1年前頃左ふくらはぎがひどい静脈瘤になり、内出血もしており、ふくらはぎ自体が紫色にくすんでいました。右ふくらはぎは同じ人か?と思うくらいきれいです。左ふくらはぎにアロマオイルをほぼ毎日根気よく塗っていたら治りました。一部血管がつぶれて出血した血痕は残っていますが。
毎日、エクササイズをやっています。そこでふとあることを思い付きました。エクササイズとふとものの静脈瘤は何も関係ないと思っていました。しかし、ある日、ピンと来て、再発もあり得るのでさらなるエクササイズでふくらはぎ鍛錬を行おうと思いました。
ずっと心房細動が持病です。最近は症状は落ち着いていますが相変わらず不整脈には変わりません。ふくらはぎは第2の心臓と言います。もっとふくらはぎに重点を置いたエクササイズを行えばきっと関連している心臓の心房細動にも効果があると思いました。
経験による思考はいい方向に向かいます。今、私はローカルにおける食産業の活性化を考えています。ヒントは自分が生まれ育った半世紀前の農家の食生活です。江戸時代は江戸は世界一の大都市だったと言いますが併せて地方も元気でした。しょぼくれたローカルなどどこにもありませんでした。
トップ産業は農業ですが、士農工商の「工」では地域で食産業も盛んでした。その地域の主幹食産業は醸造業です。たいていが庄屋階級が営んでいました。年貢の米を原料に酒、醤油、酢、味噌等醸造業を営んでいました。あるいは油屋、鰹節、煮干し乾物屋等もありました。
農家は農家で味噌、漬物等日持ちする食品は自製造でした。魚は鮮魚は浜の魚屋が一心太助のように天秤棒を担いで朝穫れを運んだのでしょう。
食品添加物もあったか?否でしょう。なぜ?食べられる消費期限内に商人が売りに来て、また商人が消費者に媚びる必要もなかったから。採れた(獲れた)ものを採れた(獲れた)だけ販売していました。
昭和30年代から食品添加物(防腐剤、保存料や着色料等)を食品メーカーが使用するようになりました。どうして?食中毒防止で消費者のため。どんでもない自分の為でしょう。自分の責任逃れときれいにお化粧するためです。
日保ちさせて大量製造したものを在庫できる、また遠隔地まで販売できる自己都合です。着色料は?すっぴんでもきれいなのに、やたら厚化粧。あの頃に戻しましょう日本を。
2025年03月22日
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