2021年09月27日

準備や稽古は本質を掴むため

先週日曜日は福岡にいたので2週間ぶりに空手の先生のところに稽古に行きました。先生も教えるのは初めての先生で、個別指導を受けている私も年数は長いですがまあ新米みたいなものです。先生は私の実力をよく把握してくれ、事前によく調べて分かり易く教えてくれます。

空手と仕事は切り離して考えていますが、空手の1つ1つの動作は仕事にも役立つヒントがたくさんあります。空手の基本の攻撃は突きと蹴りです。突きは手、蹴りは足で行います。

初心者やへたくその私は突きと言われば力いっぱい力を込めて突こうとします。蹴りと言われれば足で力いっぱい蹴ろうとします。いきなり攻撃の最先端(最末端)の手や足に力を入れて攻撃しようとすれば、スピードは遅くなり、体勢が崩れます。またいきなりやろうとするので力を込める予備動作をします。それが敵に手の内を知られる致命的な行動になります。

それを仕事に置き換えるといきなり結果を出そうとすれば失敗すると言うことです。ものごとには準備が必要です。準備とは初発・助走です。しかし、その準備も大組織になるとうまく行きません。準備ための準備が目的化します。

大企業でプロジェクトをやっても毎日小田原評定をして何も答えは出ずに、月日だけが経って行きます。そのために使われるお金は膨大であり、かつロスです。

それでも何とか実行までこぎつけても各部門が膨大な知恵と自分たちのリスクヘッジをしてつくった準備は完璧で芸術的な感さえします。だれがこのプランを実行するの?と思います。実行できる人この会社にいないんじゃないの?

準備する人と実行する人が別である大企業は準備が目的化しています。実際にやって見ると行動・実行がかんじがらめで現場では通用しないし、目の前に敵がいるのを全く無視しています。

準備は簡潔明瞭で優先順位をつけられるものでなければなりません。最後は1つだけ「合意」、実行の申し合わせがあればよいです。激戦になればその「合意」を心に抱いて戦えばよいです。

さて空手に戻します。準備なし、体勢なしのいきなりの手や足の攻撃は何の威力もないと書きました。上手な人はどこが違うか?最初に体の中心部(軸)から動くと言うことではないか?

しかも無意識に。でもそれはその名人が何か1つコツ、ポイントを持っているのではないか?そこから指令が出て行動が開始され、手や足は末端にしか過ぎない。その指令はその人が稽古で掴み、やがて無意識にできるようになっている。これが名人ではないのか。

準備や稽古は何のためにするか?本質を掴むためではないのか。
posted by tk at 07:19| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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