2021年07月04日

地域を動かすのは60歳以降女子

先週、1週間(6日間)福岡県で仕事をしていました。そのうちの3日間は郷里糸島で仕事というか人と会っていました。とみに最近、妹の名前が出ます。私は3人兄弟妹で母親が同じなのが妹で、弟は今の母の子供です。

当時の福岡県立高校は小学区制で糸島郡は県立糸島高校か糸島農業高校にしか行けませんでした。よって我々世代はほとんどが糸高の先輩後輩です。

二丈赤米産直センターに行ったら奥さんの康子さんが出てきて、妹の話になりました。「孝子さんが部室に入って来ると後輩はみんな緊張が走りました」あ〜恥ずかしや。「家で兄の私も緊張していました」とは同調できずに笑ってごまかしましたが。

最近、弟が後継ぎし、家族で甥も姪も大きくなって来たので私も実家に行くのは遠慮しています。あるところから葬式の返礼が来たので母に電話したら「香典は研二の名前で私が出しといた」というので多分これだけではなく、いつも母が立て替えているんだろう、配慮が足りなかったと反省。

まとめてお金を渡そうとして聞いたら「昼間はいつも一人でおるけん、遠慮せんで来んしゃい」とのこと。そしたら「今日、孝子ちゃんが来るよ、もうすぐ」とのこと。

悪い日を引き当てたと私に緊張が走りましたが、逃げ出すわけにも行かず、妹が買って来た450円のテイクアウト寿司を3人で食べました。親子水入らずの食事はおよそ半世紀ぶりくらいです。

拙著「農と食ビジネスへの転身」を糸島の超ローカル紙「糸島新聞」が取り上げてくれたので、私には何の反応もないのに「お兄さんが出とったよ」と妹には相当の問い合わせがあったそうな。

「孝子さんのおうちはお母さんが行商に行くほど貧しかったと?そうは見えんやったけど」等幼き日の思い出を書いたつもりが妹に言わせると「誇張している、一家は恥ずかして道も歩けない。いい加減にしろ」とお叱り。でも嘘は書いていないつもりなんですが。

妹は女の子は手元でということで地元の大学を出て、その頃は大卒女子の就職はなかったので小さな会社に就職して、福岡市に在住して育児と短時間パートで生きてきたようです。最近は子育ても終わり、孫もいるようです。

「今仕事に行っている食品関係の協同組合が構成員企業が高齢化して、解散するけん、私もクビ。あにき、電話番でよかけん、私ば使こうて」と来ました。電話番で雇っても電話番だけに納まるはずがありません。全権を掌握して采配を振るい始めます。勘弁してくれ〜。私には生母と妹と我が娘はまったく同一人物に見えます。性格も声も言うこともそっくりです。


待てよ、糸島に人脈も豊富。そう言えば最近活躍している糸島女子は二丈赤米産直センターの康子さんを含め、私よりもちょっと後輩の育児、家事から解放された女子たちがたくさんいます。亭主達のおおかたはうちにこもってずっと留守番。

それも手かも知れないな。もうすぐ65歳だと言っていたので10年はフルに働ける。高齢化のコミュニティ社会を動かせるのはアフター60歳世代の女子かも知れないな。いい時に妹と再会しました。



posted by tk at 08:26| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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