2020年11月18日

弱者を犠牲にして世の中は成り立っている

オンラインを含めたミーティングをやっているのを見て、不平等だなと感じました。例えば、10名の人がそのミーティングに出席して、そのうち1人がオンライン出席だとします。

これが全員、リアル出席なら、目の前にパソコンの画面は要りませんが、オンライン出席が1名いれば目の前にパソコンのモニターが設置されます。するとリアル出席者の目と関心と神経がどこにいくか?

パソコンの画面です。リアル出席者はみんなパソコン画面を意識します。とするとオンライン出席者の発言を第一に意識しながら、会議が進みます。オンライン出席者が1人でなくても2〜3人いてもそうです。参加者の目は画面に注がれている。画面を意識してます。

私は非常に不平等状態で会議をしていると思います。会議を乗っ取ろう思えば、自分の意見を通そうと思えばリアルで出席しないで、オンラインで登場して言いたいことを言いまくる。

人間はモニターを通すとそれがあたかも何か正統された権威のあるものに感じます。これは長年我々を支配しているテレビによる世論形成の手段に染められてしまっているからです。オンライン会議は身内の単なる会議なのにです。

テレビ報道は世論操作が可能です。大本営発表を正当化するにはこれほど有効な手段はありません。カタチ、手法に支配されています。テレビ画面から流れるものは正しいという考え方がパソコンもモニターに対しても同じ意識に囚われるとオンライン会議は怖いです。

テレビが街の声として一般市民を登場させます。それすら自分にテレビ局に都合のよい発言だけを取り上げます。意識的な情報操作です。テレビを見た情報難民は「テレビでこう言っていたよ」とあたかもそれが世の正論のように話題にして行きます。こんな怖いことはありません。

声なき声、弱い者の声が無視される、無視どころか、悪者にされる。犠牲にされる。お上も政府もコロナ対策で「飲食店に行くな」と言います。声なき声の零細店の集まりの飲食店は言われるがまま、墓場、刑場に引かれていきます。恐ろしいことが行われています。
posted by tk at 08:05| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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