2020年09月11日

仕事を命じてくれた上司に今でも心から感謝

自分が好きなことを職業にした方がよいか?しない方がよいか?難しいところです。パンを焼くのが好きだと言うこととパン屋で生計を立てることは同じ線状でもあり、同じことではないかも知れません。好きなことは趣味にとどめておいた方が幸せかも知れません。

私は日本史が好きです。実際、その関係の本はよく読んでいるし、出張先で歴史の名跡はまず時間を作って訪ねています。高校の日本史の先生になりたくて大学もそこを受験しましたが見事に落ちました。

どう言うわけか?1浪した時は商学部に切り変えて、受験しましたがまた落ちて2浪してまた落ちましたが他の大学の商学部に受かったので不本意でしたが3浪すると就職がないという打算も働いて現在私のプロフィールに載っている大学に行きました。

なぜ、日本史から商学部に切り換えたか?卒業後の就職がちらついたからです。当時、オイルショック後の経済は冷え切っており、就職が厳しくなり始めた頃でした。それでつぶしが効く、サラリーマン予備軍学部に入りました。

それでコネでなんとか就職できました。元々商学部は専門性がないので、会社の営業マン養成機関みたいなものです。専門がないというのがよかったです。会社で命じられたことは何でもやりました。

命じられたことを聞いて、なぞって、まねして、何とかできるようになりました。就職して配属されたのは東北の県の連絡所でした。業務用商品の担当で担当は新人の私一人でした。

人事の発令も秋田連絡所勤務ではなく、秋田連絡所駐在でした。連絡所勤務は市販用商品担当の社員だけで、業務用商品担当は連絡所に駐在している駐在員という立場でした。

初出社の時に当時の連絡所長から言われたは、今でも昨日のことのように覚えていますが「始業30分前に出勤して、机を拭いて、床を掃いて、冬は寒いのでストーブを点けて部屋を温めておくこと。トイレ掃除は女子のお姉さんがやるのでお前はしなくてよい」でした。

この習慣は変わらずで今でも出社したらエアコンにスイッチを入れ、掃除して、机拭きをしています。お姉さんがいないのでトイレ掃除もします。

秋田駐在は2年間だけで、その後仙台支店2年、そしてそれから退職するまでずっと本社勤務になるのですが、今の社会人としての骨格はこの秋田連絡所駐在時代に作られました。新入社員にやることを命じてくれた尾形所長に今でも心から感謝しています。
posted by tk at 09:20| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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