2016年06月20日

言葉に翻弄される時

今日は珍しくブログを書く手が止まった。あっ、書けない。今まで10年間一日も欠かさずに書いてきたブログが書けない。なぜだろうううう。わからない。

我々のような職業は文章を書くのと人前でしゃべるのに、何を書こうか、何をしゃべろうかと思い悩むことはまずありません。

人前に立つと勝手に口が動き始めます。受講者の顔を見てから何をしゃべるかと決めていることも多いです。

文章もそうです。現在、全国農業新聞に月1回コラムを書いています。マイナー業界紙なのであまり気に留めていませんが、1年も連載を続けていると出張先で「よくいつも読んでいます」という話題が出ます。

原稿用紙で2枚程度ですが、大体1〜2時間で書きます。だから私も書いたことをよく覚えていません。

さて、今日もブログに何か書かなくては。昨日も空手の稽古で明武舘剛柔流総本部の範士十段の八木先生の教えをいただきました。

その言葉に「斬られる前に斬れ」という言葉がありました。護身術の沖縄空手はこっちから攻めることはありませんが、真髄は「殺される前に殺せ」です。

言葉とはいろんな意味合い、ニュアンスが含まれています。例えば、「嘘をつく時は誠心誠意つけ」、これなんかもよい言葉ですね。世の中がきれい事ではいかないということです。こういった言葉を聞くとほっとします。「嘘の嘘は真実である」この言葉は私の造語かも知れませんが、的を得ています。

また、新約聖書に「迫害する者のために祈れ」をいうのもあります。これまた、こんなことができるはずはないと思いますが、時々「その通りだな」と思うことがあります。

同じ新約聖書に中に「裁いてはならない。裁かれないためである」、「あなたが施しをする時には右手のすることを左手に知らせてはならない」も好きです。自分がこんな立派な人間になれないから心に響くのでしょう。
posted by tk at 08:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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