2025年03月18日

上り坂道は自分と荷物の一体化

坂道を重い荷物を上に向かって運ぶのは大変な労力が入ります。車や馬等の動力で運べると楽ですが、人間だけで運ぶとなると辛い仕事です。そういった場合、先頭で荷物を引っ張る人と後ろで荷物を押す人がいます。さらにはちゃんと引っ張り上げるように横で監督する人がいます。

荷を前から引っ張るのと後ろから押すのはどっちをやりたいか?一番いいのは鞭を持った、口だけ監督者ですがそれは特権階級の仕事です。私どもは前を選ぶか?後ろを選ぶか?です。

引っ張り役は辛いです。前方よりも後ろに積んでいる荷物を見ていることが多いです。振り返る度にまだ目的地に着かないか?ばかり気になります。それに対して後ろで押している人間の方が楽です。ただ、押していればよい訳ですから。

押している人は何も考えずにいつ着くかは先頭で引っ張る人か監督者の仕事なのでただ押していればよい。さらに頭のいい人は自分が荷物と一体化して「自分も荷物だ」と思えば押すのも歩くのと同じになります。荷物と自分の一体化。これこそ人生の極意です。

引っ張っている人と押している人の距離は荷車の幅プラスαです。2〜3m先を引っ張る人がいます。それなのに精神的な苦労、重圧は引っ張る人が多分10倍位あります。たった2〜3mしか前にいないのに、遠くで見ていると前の人も後ろの人も同じ米粒程度にしか見えないのに。

アメリカの失敗は2〜3m先を歩き、引っ張る人を成功者と礼賛した結果だと思います。日本の停滞、後退も2〜3m先を引っ張る人をエリートと称してその育成ばかり図って来た結果の失敗です。

後ろで押す人の人材を、実力アップにもっと力を入れればこんなことにならなかった。引っ張る人偉い人、監督者はもっと偉い人、後ろで押している人間は単なる動力。これが日本社会の失敗でしょう。

食と農の世界も大型化や大企業優先で規模のメリットを奨励して来た。「規模は力なり」を推進したのにその価値観は完全に崩れました。

日本の復活は後ろで押す人の育成、評価、優遇です。引っ張る人は秀才、できる人。押しているのは出来損ないといった価値観を変えない限り、日本は元気にならないでしょう。

さらにもっと悪いのは仮病を使って荷車に乗っている人、あるいは押しも引っ張りもしないで横でただ見ながら歩いている人。この人達にもちゃんと役割を担わせることが健全社会になることではないでしょうか。
posted by tk at 09:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする