貧乏人はいい。世の中に存在感もなければ、敵もいません。誰にも期待もされないし、敵もいません。不義理も許されるし、不参加も「お金がない」と言えば許されます。
最前線にいた頃はとにかく忙しくて、自分のことなど何もできませんでした。人も寄って来てくれましたが、最近はすっかり棄老状態です。本当の友人は今まで通り付き合ってくれるので、不義理しても私の存在が話題にもならないのは喜ばなければなりません。もちろん離れて行く人もたくさんいます。
今まで365日全日仕事をしていました。70歳を近づいた頃から徐々に仕事が減り始め、スケジュールが緩やかになり、土日祭日は比較的空いているようになりました。そしてそれも定着して来ると休日も暇になりました。
365日のうちの300日を自分の好きなことに使えそうです。あと神様におすがりして元気で20年生きさせてもらえればその20年は自分の好きなことに使えます。この20年のご褒美をいただくために70年頑張って来ました。
やりたいことは山ほどあります。が計画倒れにならないように大切に実行します。日々の歩みを止めないことでしょう。実際に最近の私は出張もなくなり、会社と1K長屋の往復です。
仕事は自分でテーマ化した人生の仕上げになるような企画を立て始めました。ただし、好奇心が強いので横道にそれます。しかし、横道にきれいな花が咲いていたらそれを見ないで過ごすとそれは人生の大損です。どういうことか?というと楽しみながら仕事をするということです。
料理家の土井先生が書いた「一汁一菜でよいという提案」を読みました。私は味噌の使い方が下手でみそ汁もほとんど食べません。しかし自炊なので九州在住の当社スタッフから野菜等を直売所で買ってもらって送ってもらっています。
野菜は副菜、脇役で見ていましたが、会社に弁当を持って行く時に会社に即席味噌汁を常備しています。お湯をかければ出来上がりのものです。味は全く期待していませんでした。
最近、その即席味噌汁に九州から送られて来る野菜を切って持参してそれを具にしてチンして食べ(飲み)始めました。実に美味しいし、具が毎日変わるので飽きません。最近は明日の味噌汁の具には何を使おうかと前日の夜に考えるのが楽しみです。
人生を楽しいものにできるかは他人様頼りではだめですね、自分の喜び・楽しみは自分で作らないと。
2025年03月10日
自分の楽しみは自分で作る
貧乏人はいい。世の中に存在感もなければ、敵もいません。誰にも期待もされないし、敵もいません。不義理も許されるし、不参加も「お金がない」と言えば許されます。
最前線にいた頃はとにかく忙しくて、自分のことなど何もできませんでした。人も寄って来てくれましたが、最近はすっかり棄老状態です。本当の友人は今まで通り付き合ってくれるので、不義理しても私の存在が話題にもならないのは喜ばなければなりません。もちろん離れて行く人もたくさんいます。
今まで365日全日仕事をしていました。70歳を近づいた頃から徐々に仕事が減り始め、スケジュールが緩やかになり、土日祭日は比較的空いているようになりました。そしてそれも定着して来ると休日も暇になりました。
365日のうちの300日を自分の好きなことに使えそうです。あと神様におすがりして元気で20年生きさせてもらえればその20年は自分の好きなことに使えます。この20年のご褒美をいただくために70年頑張って来ました。
やりたいことは山ほどあります。が計画倒れにならないように大切に実行します。日々の歩みを止めないことでしょう。実際に最近の私は出張もなくなり、会社と1K長屋の往復です。
仕事は自分でテーマ化した人生の仕上げになるような企画を立て始めました。ただし、好奇心が強いので横道にそれます。しかし、横道にきれいな花が咲いていたらそれを見ないで過ごすとそれは人生の大損です。どういうことか?というと楽しみながら仕事をするということです。
料理家の土井先生が書いた「一汁一菜でよいという提案」を読みました。私は味噌の使い方が下手でみそ汁もほとんど食べません。しかし自炊なので九州在住の当社スタッフから野菜等を直売所で買ってもらって送ってもらっています。
野菜は副菜、脇役で見ていましたが、会社に弁当を持って行く時に会社に即席味噌汁を常備しています。お湯をかければ出来上がりのものです。味は全く期待していません。
最近、その即席味噌汁に九州から送られて来る野菜を切って持参してそれを具にしてチンして食べ(飲み)始めました。実に美味しいし、具が毎日変わるので飽きません。最近は明日の味噌汁の具には何を使おうかと前日の夜に考えるのが楽しみです。
人生を楽しいものにできるかは他人様頼りではだめですね、自分の喜び・楽しみは自分で作らないと。
最前線にいた頃はとにかく忙しくて、自分のことなど何もできませんでした。人も寄って来てくれましたが、最近はすっかり棄老状態です。本当の友人は今まで通り付き合ってくれるので、不義理しても私の存在が話題にもならないのは喜ばなければなりません。もちろん離れて行く人もたくさんいます。
今まで365日全日仕事をしていました。70歳を近づいた頃から徐々に仕事が減り始め、スケジュールが緩やかになり、土日祭日は比較的空いているようになりました。そしてそれも定着して来ると休日も暇になりました。
365日のうちの300日を自分の好きなことに使えそうです。あと神様におすがりして元気で20年生きさせてもらえればその20年は自分の好きなことに使えます。この20年のご褒美をいただくために70年頑張って来ました。
やりたいことは山ほどあります。が計画倒れにならないように大切に実行します。日々の歩みを止めないことでしょう。実際に最近の私は出張もなくなり、会社と1K長屋の往復です。
仕事は自分でテーマ化した人生の仕上げになるような企画を立て始めました。ただし、好奇心が強いので横道にそれます。しかし、横道にきれいな花が咲いていたらそれを見ないで過ごすとそれは人生の大損です。どういうことか?というと楽しみながら仕事をするということです。
料理家の土井先生が書いた「一汁一菜でよいという提案」を読みました。私は味噌の使い方が下手でみそ汁もほとんど食べません。しかし自炊なので九州在住の当社スタッフから野菜等を直売所で買ってもらって送ってもらっています。
野菜は副菜、脇役で見ていましたが、会社に弁当を持って行く時に会社に即席味噌汁を常備しています。お湯をかければ出来上がりのものです。味は全く期待していません。
最近、その即席味噌汁に九州から送られて来る野菜を切って持参してそれを具にしてチンして食べ(飲み)始めました。実に美味しいし、具が毎日変わるので飽きません。最近は明日の味噌汁の具には何を使おうかと前日の夜に考えるのが楽しみです。
人生を楽しいものにできるかは他人様頼りではだめですね、自分の喜び・楽しみは自分で作らないと。