忘れていました。この言葉「あなたがたのうち、誰が思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも伸ばすことができようか」(マタイによる福音書6章27節)
まったくです。取り越し苦労です。自分で自分の運命も人生も命も変えることはできません。ただ少しだけのアロワンスはあるようでちょこっとだけ変えられます。
元気で長生きするために精進することはいいことです。それでも永遠の命を得ることはできない。せいぜい10年程度寿命を延ばせるだけです。でも10年も寿命を延ばせたらそれは精進のし甲斐があります。でもいずれ死ぬ。死にたくなかったら生まれないことです。それまた自分では選択できませんが。
神様(がいるのかどうか知りませんが)はブレません。いかなるいい加減な宗教まがいの宗教も神様の存在は絶対です。また動物もブレません。死ぬ時に人間ほど未練たらしい顔はしません。動物は明日もまだ生きているような表情で死を受け入れます、それこそ神です。
人間だけがこの世に未練があります。なまじ大きな脳みそを持っているからです。この脳みそが悪さします。苦しみも悲しみもつらさもこの脳みそから生まれます。同時に喜びも楽しみも幸せもこの脳みそから生まれます。
70年も生きさせてもらっていますが、「あと何年」生きられるかわかりません。しかしせめて臨終時には幸せな人生だったと皆様に感謝して死にたいです。
そのためにはつらいこと、貧乏なこと、持病に苦しんでいること、中傷、誤解、誹謗、攻撃、蔑みそして何にもまして無視(シカト)等を気にしない人生を送れるかどうかです。命は人様からいただいたものではありません、両親やさかのぼってご先祖さんからいただいたものです。
なら、せっかくの命を喜びに使った方がいいです。寿命など天にまします神様にお任せしてせっせと自分が幸せ、楽しく思おうことまた人様を幸せに、楽しくすることに注力しましょう。
そうすれば天にまします神様も天から降りて来て一緒にやろうと言ってくださるかも。まさに思いわずらったかとて幸せにはなれません。返って人様を不幸に引きずり込むだけです。ありふれた言葉ですが陽気にプラス思考で楽観的に行(生)きましょう。