よく予備校などが模擬試験の結果に対し、合格率何%といった判定をします。合格するかしないか0か100、◯か✖️のどっちかなのに合格可能性60%など受験生の心を惑わす表示です。
合格可能性99%と出ると受験者は1%の不合格が気になります。合格率1%と出ると「えっ俺でも◯◯大学に入れるかもしれない」と勘違いします。こういった判定は小賢しくて愚かな人間のみの反応です。なまじ脳みそが肥大化したことによる不幸です。
動物を見てみよ、野生も家畜も殺される直前まで悠然と餌の草を食べています。人間が一番優れた動物などと誰が決めたか?死の間際でも悠然と日頃の態度ができる動物の方がより神に近いです。
昨日、ある方がお見えになったのでいただきものの銘酒を差し上げました。ちょっとだけ惜しさの未練が残りましたが、その方への日頃の感謝が自然に私にそうさせました。
その2時間後に来客がありました。その人がお土産にワインをくれました。たまらないほどのよいワインです。人生とはそんなものです。あげれば誰かがくれる。
人間は打算的な動物です。だから上記の予備校の合格率に踊らされる。何か辛いことに直面すると人間は禁欲的でストイックな行動を始めます。立派な行動をすればきっといいことがあり、この逆境から抜け出ることができるかも知れないといった「助平心」がもたげます。
しかし、それは利己的な、自分勝手な自己満足にしか過ぎません。最近私がFacebookに粗食をアップしていると「自虐ギャグ」ですねと見事に指摘した人がいました。
人間が困難から脱却できるのはその策・行動を1つに絞ることです。しかもその策・行動は何でもない日頃の通常の行動です。自分の中のその1つの行動を見つかられるか?どうか、さらにはその1つに絞って行動できるか?がその人の能力です。
平時はその難局のためのリハーサルです。毎日、リハーサルをやっていれば本番になってもいつものようにリハーサルをやっていればよい。そんな人間に私はなりたいです。