キースタッフ社を若手の布陣に変えて私はエクセレントローカルという飲食店を始めました。7年前頃です。銀座の飲食業界はなかなかタフで厳しく、黒字にならないうちにコロナ禍がやって来て閉店しました。
もっと続けていればコロナ救援金が結構出て、それで逆にリッチになり悠々たる花道を去って行った人も結構います。しかし、私は後悔していません。あのまま止めなかったら累積赤字が増えたら身動き取れなくなっていたと思います。
かってお店のあった銀座8丁目の店跡はその後どこも入っていないようでずっと扉が閉まっています。
そのコロナ禍はその後も数年続き、本業のコンサル事業が当社は公共機関から受注の案件が多いのでストップしてしまってこっちは未だ回復せずで苦しんでいます。これが当社の実情です。
数名のスタッフは「退職届」も出さないまま逃げ出しましたが、新商品開発コンサルと新商品開発業務のできるスタッフはそのまま残り、かつ1人新たに採用しました。
会社はそれこそ「商品開発型戦略的企業」になり、それがようやく認知されて来て仕事が増えて来ました。日本中だけではなく、世界中から商品開発の依頼が来ます。
コロナ禍の負の部分の始末と現在の新規業務の攻めの部門と両方でお金がかかり、経営は依然苦しく、社長は創業者の私が見ても私ごときをはるかに超えた名社長に育っています。
しかし攻めないと企業は生きて行けません。しかもオンリーワンと言われる部門を持っていないと中小企業、小規模企業は生きて行けません。それが少しずつ実を結んで来ました。
同時に一般社団法人エクセレントローカルは私が代表でこっちも新たな大きな事業を2つ組み立てていますのでこっちの方も「乞うご期待」です。