2021年10月10日

中山間・山村の農業が範になる日

中山間地域や山村地域はスーパーでは買えない特産食料資源があり、魅力的です。しかし、それを栽培したり、収穫する人がいません。いるのは老人ばかりです。

いくら老人が元気でも斜面のきつい、耕作機の入らない田畑の耕作は不可能です。また、山に入って森林資源を採集するのも害獣等の跋扈を考えると不可能です。

「いるのは老人だけ」と書くとこれは幼い頃、祖母に直接聞いた話ですが、第2次世界大戦で祖父を召集された祖母は農業ができなくなり、途方にくれて旧制中学に行っていた次男の叔父を中退させたいと担任のところに行きます。

先生は「学校には来なくてよいから中退はさせるな」言ってくれたそうで、叔父はちゃんと卒業して農林省の下っ端役人で定年まで勤めました。祖母はその先生にずっと感謝していました。

今の中山間地域、森林地域はまさにこの状態です。この状態が続くと邪(よこしま)な気を持つ企業や隣の国の投資家がやって来て中山間地域や森林を買い漁ります。報道されませんが、実際そうなりつつあります。

昔は農協がありました。統制下の米の需給のためにつくられたこの組織は戦後も村落の経済の核でした。金融も生活物資も食品(a-coop)も農協組織から供給、販売されました。農協も新自由主義とかで悪者扱いになり、ものすごいリストラ合併で地方を支える力をもがれてしまいました。

農村共同体を破壊したのは戦後復興から始まる「都市部の労働力の需要」です。高度成長で工業社会に変身する我が国の生産を担ったのは「地方の農家の次男・三男・四男・五男等」です。彼らがいなくなったので田植えも機械になりました。

気がつけば「国破れて山河あり」です。日本は世界の中の「既に用済み国」になりました。「棄国」になりました。我が国の経済苦境、世界への発信力、影響力のなさがそれを物語ってします。

江戸時代は反収2〜3俵(現在は8〜9俵)だったそうです。米は大変貴重な食糧で江戸でも中級武士は自宅の広さが100坪くらいあり、そこに生活用の野菜を植えていたそうです。地方の武士も農村に知行地を持っているのではやはり耕していたようです。農家とあまり変わらない生活だったようです。半農半侍。

上杉鷹山は名門上杉家に婿入りして、関ヶ原で敗れ、100万石以上の大藩が20万石以下の小藩に落されて生活に苦しむ武士や農民の窮状を見ます。それで織物や養蚕・機織り、特産品生産を奨励しました。失敗の連続でしたがやがて米沢藩はそれで潤うようになります。

中山間は山村は魅力的な資源の宝庫です。これを迷惑物で税金で廃棄するか?資源として活用するか?答えは1つです。SDGsもそこにあるような気がします。





posted by tk at 08:15| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする