2021年09月22日

農業と林業は継業である

昨日は群馬県上野村に行きました。中小企業診断士で開業して29年ですが、四半世紀前の25年前には既に仕事で伺っていました。それからずっと長い付き合いをしています。

特に6次産業化華やかりし頃はここの食品加工場建設は当社がコンサルしていました。東日本大震災時は当社スタッフ2名は上野村で仕事中に被災しました。当社も最近は私が出向くことがなくなり、4年ぶり位に伺いました。伺ったのは中山間事業や山村活性化事業の提案です。

久しぶりにトップとゆっくり話せました。トップは私より7つ下の60歳です。お互いの生い立ちの話になりました。上野村は国有林半分、民有林半分です。その民有林の半分(全体の1/4)は隣の長野県の林業会社が保有して、残りの半分(全体の1/4)は村民の所有です。

国有林は天然林で杉とヒノキが主で営林署があり、昔はそこ林野庁職員がたくさん勤務していました。現在は営林署職員も1名になってしまいました。民有林は村民が平均で5〜10町、一番多い人で30町程度所有しています。

トップのひいおじいさんは戦前に村民に木炭のつくり方を教え、自らも木炭業を営んでいましたが台風で施設が全壊して止めました。林業会社は木を伐り出して鉄道の枕木をつくって国鉄に納品していました。鉄道の枕木は栗の木がよいそうです。それが時代と共に電柱になり、今は丸太の需要もなくなり、よい材木も合板やべニア板にしてしまうそうです。

林業と共に村民の生活を支えたのは養蚕とこんにゃく栽培です。お父さんはやはり村民にこんにゃくの栽培法を教えたそうです。こんにゃくは3回植え換えします。要は大きなこんにゃく玉になるのに3年かかります。

こんやく畑を3反持っておれば生活できるほどの価格で出荷されました。昭和45年頃から中国産が流れ込み、急速に衰退しました。日本ははるな黒という品種に対して中国のシナ玉が席巻しました。高度成長時代が始まり、品質よりも低価格の時代に入りました。

上野村は米が採れません。米は購入するものです。常食は大麦の中に米を少し入れたごはんでした。小麦は村内の精麦所(それ以前は水車小屋)で精麦し、うどん(お切込み)で毎日食べていました。

同時にお蚕さんも衰退していきます。そして農業の暇な時期に営林署に伐採に行っていた仕事もなくなります。

次に村の生活を支えたのは土木の作業員です。クルマの普及と共に車道の建設が急がれました。また、高度成長で公共設備が完備されるようになり建設業も大忙しになります。農家は土木作業員と建設現場作業員で村内や出稼ぎで生活を立てました。

我々の父親世代です。それで我々世代は村外の学校に行かせてもらい、都会でサラリーマンになるか、地元で公務員になるかの道を選択しました。

そして今、村はどうやって雇用と村民の所得を確保するか?再び森林です。しかも森林資源を簒奪するビジネスではなく、循環するするビジネス。この村では森林業で使えない端材等をバイオマスとして発電をしています。その電気を地域で使用し、また村内製造業の電気にも活用します。

「鳥巣さんには6次産業化でずいぶんお世話になったけど、これから森林の6次産業化をやるよ、協力して」農業と林業は継業である。それがサスティナブル社会ですね。これから大いに勉強します。



posted by tk at 06:27| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする