2021年08月11日

無意識に死のリスクを避けている

10年前頃、体重が74s(私の適正体重は58sだそうで)になり、いつも正常だった中性脂肪と血糖値が限界線を少し超えてしまい、かつγ-GTPは恒常的に高いのでいろんな本を読んで減量と断酒することを決めました。

毎日ウオーキングをすることにして出張先でも毎日1〜1.5時間歩きました。直に体重は落ち、58sを達成しました。そうなると脂肪肝を改善してγ-GTPも減少傾向に転じました。ドクターの指導はさらに厳しく、毎月10日以上断酒日をつくることということでそれも守りました。

その後、空手をやるようになりました。毎朝、筋トレと稽古を1時間行います。すると知らず知らずのうちに筋肉が増強されるようになりました。胸板が厚くなり、猫背も改善されました。腿もウオーキングをしていた頃よりも格段太くなりました。

そして日々毎日それを続けているとズボンは通常太ると腹回りがきつくなるに私の場合は太もも部がきつくなり、結果、大き目のサイズになりました。体重も確実に増え始め、現在は73sです。10年前に戻りました。

体重は戻りましたが中身は変わりました。脂肪が筋肉に置き換わりました。でも体重だけを見るとこれは肥満です。血液検査で内臓の働きを見るとこれまた10年前に戻っていると問題ですが、今のところその兆候はありません。

しかし、最近断酒も止めました。外食できなくなり、独り自炊昼食・夕食が続きます。夜は少し飲みます。量は日本酒平均0.5〜1合程度です。この量だと少しリラックスできて一番気分がよくなります。たまの会食でも2合程度。それ以上は飲めません。飲む体力がない。

また、食事は脂物を摂るなといますが外食のメニューに脂物が並んでもまた、肉が並んでも食べるのは2〜3口。あとは魚と野菜です。また、私の体は加齢と共に食品添加物への反応が敏感で食品添加物まみれの食品は食べられません。無理にそうしているのではなく、それが私の最近の嗜好です。

ストレスが大敵と言います。仕事のプレッシャーやストレスはこのコロナで高まりました。しかし、引きこもってもしょうがありません。昨年から国の方針に逆らって地方を営業活動で行脚しました。迷惑だろうに昔なじみの人が快く迎えてくれます。旧交を温めているとまたコロナの中で会っていると戦友のような気分になって先行きの不安やストレスなど吹き飛びます。

こうやって生きているとコロナだからことさら生活態度を変える気がしません。コロナ前と同じです。それは危険だ、罹ったら重症化するぞと脅されても、それほど体力が弱っているなら67歳、もう他の病気でくたばっている気がします。

加齢とともに生活態度も生活習慣も変わります。体が自然に、無意識に死亡へのリスクを体が避けています。それに従うのが一番だと開き直っています。それで私が明日コロナで死んだら笑ってください。





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2021年08月10日

仕事も空手も人生もすべて縁

8日(日)から沖縄県那覇市に来ています。目的はもちろん仕事です。友人T氏と仕事の打ち合わせです。この人は10年以上前頃からの付き合いがあります。最初は沖縄県の物産を販売する会社が「離島マーケティング」事業を沖縄県から委託され、私はそのアドバイザーで年3〜4回沖縄県に行っていました。

この事業は数年続き、そのおかげで私は沖縄県の離島は相当に行くことができました。宮古島・石垣島・久米島・伊平屋島・伊良部島・津堅島等まだありましたが知名度の高い離島は行かせていただきました。その人脈はいまだ生きており、宮古島の「楽園の果実」社、石垣島の「石垣の塩」社等はその後、ずっとお付き合いをしています。

その当時の担当者はこの友人T氏でした。T氏は沖縄空手をやっており、私にも沖縄空手を勧めましたが、その頃は忙しくてとてもそんな気にはなれませんでした。

それが今から8年前頃に右膝を痛めて歩行できなくなり、3ヶ月間位は杖をついて歩くのがやっと。当時は千葉県に住んでいたので通勤は東京駅から事務所までタクシーでやっとこさ通勤する羽目になりました。

なかなか治らずに杖が要らなくなるのに1年かかり、普通に歩行できるように回復するのにさらに1年かかりました。右膝がO湾脚してしまいました。その頃に空手をやらないかとの勧めを思い出し、これも「神のお告げかも」と思い、入会しました。

そして偶然、ラッキーなことにT氏が銀座勤務になりました。もちろん沖縄本部の道場長が毎月来京して稽古を指導してくれますが、T氏の東京勤務は私にとって大きなものでした。

昨年、コロナが蔓延し始めた頃の3月末で定年を1年残してT氏は退職しました。理由は多くを語りませんが銀座店の売上げの件で那覇本社のトップとの意見の食い違いが原因と聞きました。

T氏は4月に沖縄に帰り、独立しました。株式会社を設立しました。お世話になったのと当社の沖縄の食と農への関心から私も半分出資しました。しかし、残念なことにそれからコロナの大蔓延が始まります。

私も息をひそめましたがT氏も開業したばかりなのに営業活動ができないという状況に陥りました。行政機関のプロポーザルコンペに企画書を書いて応募しますが全部落選です(当社もそうですが)。

生活費に退職金がどんどん減って行き、マンションのローンの返済は大きくのしかかり、途方に暮れたそうです。昨年は励ましの意味もあり、当社が事業を行なっている福岡県M市の事業で沖縄県の観光物産について講演に来てもらいました。

今年度になり、中小企業支援機関から「小規模事業者のコロナ対策アドバイザー」の仕事を得、収入が生まれました。その彼に農水省の中山間地域事業を紹介し、応募したらT氏の会社が受注する可能性が大になり、その援護射撃の意味合いもあってこのW台風とコロナ蔓延の中を私が出張して来たわけです。

仕事の縁、空手の縁に支えられて私も当社もまだ生きていられます。感謝です。



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2021年08月09日

情緒不安定が増えているような

コロナワクチンを打った私世代の友人に異変が起きているように感じます。異変というほどでもないですが、私が感じるのはワクチンを打つ前と打ってからと性格が変わってしまっています。

私世代はそれぞれ持病があります。薬を常用している人が大半です。例えば私も軽い不整脈で薬を常用しています。親父も同じ症状で同じ薬を飲んでいましたが、87歳まで元気に生きました。我が家の遺伝的な持病なのか、あるいは加齢による症状なのかよくわかりませんが、薬と上手に付き合っています。

新型コロナは循環器系や呼吸器系の持病を持つ人は特に気をつけなさいと言います。私は私なりの予防を私の考え得る常識と知識と経験で行なっています。その方法は人様に広言するものではなく、私の生活の中で行なっています。

話を戻すとワクチンを打った人は「もうこれで新型コロナには罹らない」と医者にも言われ、いわばお墨付き(根拠は証明されていませんが)をいただいています。それなのに彼らの様子が何かおかしい。

ワクチン接種後1ヶ月くらいしてから体調不良で入院した人もいます。あるいは急に怒りっぽくなった。30年来の付き合いで陽気で人を笑わせてばかりいた人から笑顔が消えた。仕事でも言うことがコロコロ変わるようになった。心の高揚と消沈が極端になった。

また、ある人はワクチンを打ってから急に覇気がなくなった、元気がなくなった。引き篭もるようになった。みんなワクチンを打ったのでコロナには罹らないので元気になるはずがみんな精神的に不安定になっています。

悩みは他にあるのでしょうか?コロナの長期化で会社経営が追い詰められている?あるいは会社の中にあるい得意先との間に不信感が芽生え、社内が荒んできた。ワクチン接種による情緒不安定か?経済的な将来不安か?わかりません。

自分はコロナワクチンでコロナに罹らなくなったが若者が打たないのでコロナ陽性者は激増しているその不安。自分はコロナからの安全をもらったが世の中はそうならないのでワクチンを打った意味がないのではないか?という世の中への不信感。

私は仕事で那覇にいます。非常事態宣言ですが、私が宿泊しているホテルはカップルで一杯です。カウンターでも男一人は私だけ。みんな若い男女のカップルです。

非常事態宣言でお酒を出さない。それでも営業している居酒屋もあります。そこはお客様でいっぱいです。しかも若いカップルが楽しそうにハイボールを飲んでいます。別に那覇だけではない、東京も同じです。

国民は2年間にも上る牢獄と言わないまでも拘束、軟禁の生活を強いられています。いつまで続くのだろう??あと1年、2年、5年、永遠????これからもささくれだった世の中を生きるのはごめんこうむる、俺の人生は俺のもの。そんな人が溢れてくるでしょう。
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2021年08月08日

「出は百姓・農家」を誇れる日

私は自己紹介する時に「出は九州の百姓のせがれ」と言います。そう大衆の面前で言えるようになったのはコンサルを始めて7〜8年経ってからです。食と農のコンサルで行こうと思ってからです。だからほんの20年くらい前からです。

それまでは「実家は農家」とはなかなか言い辛かった。田舎の農家=貧しい、汚い、下等な仕事のイメージがあったからです。ずいぶん古い話になりますが、セミナーの受講者で同世代の女子が言った言葉をまだ覚えています。

「実家は農家です。年頃の娘だった頃、肥汲み(こえくみ)させられるのが一番辛かった」当時の農家のトイレの水洗率は無に等しかったです。家族の人糞の処理を家族の誰かが背負っていました。それが女子であることも多かったと言うことです。

新入社員の頃、先輩(特に田舎から製造要員で入社して製造部門が機械化で人員余剰になり、営業部門に配転された人たち)が二言目には「お前の実家は百姓か?」といわば蔑みの言葉を後輩の私に投げていました。実はその人達のたいていが農家の次男坊か三男坊ですが、自分の実家のことは隠していました。

時代が一回りしました。農業は衰退産業になりました。衰退しても人間は飯を食べなくなるわけではない。人類が存在する限り食料生産はあります。耕す人がいなくなると耕す人が必要になります。それをスマート農業で機械やコンピュータにやらせるという人や産業も出て来ましたが。

それでも農業は人手不足です。希少価値が出ます。希少価値が出れば自分の工夫ややり方ができるようになります。JAの規格を否定して、自分の栽培方法や売り方をやり、それを一定規模のお客様が支持してくれればメシは食えます。

私に向かって「お父さんはサラリーマンだったけど、父母の実家は農家でおじいちゃんが農業をやっています」と胸を張る若者が増えて来ました。内心私も嬉しいです。言われてみると我が家もそのパターンです。

地方に行けば地方公務員が真っ黒に日焼けしています。ゴルフなんかちょろいことはしません。土日祭日は農作業です。公務員仕事もしなければならないので米の生産が一番多いですが、両親が園芸作物なのでそれを手伝っているという人もいます。

では役場では仕事していないか?しています。兼業農家の職員が一番しています。夜明けから農作業をしてから出勤して午後5時になればまっしぐらに田畑に行って農作業、夜は袋詰め作業等。よく働きます。こんな人が私の仕事の担当になれば本当に楽です。実行力があるので仕事が進む、進む。

日本の若者が農業をやりたいと思っています。外国人労働者受け入れもいいけどまず日本人が農業でメシが食えるように我々はサポートしなければなりません。その一番のサポートは採算に見合う価格で買うことです。腐れ切った流通を潰してしまうことです。



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2021年08月07日

食と農業界が大きく動き始めた

昨日、当社の月例会議をしました。日にちを変えたのでオンラインの参加者がないリアルの会議になりました。社内の会議はリアルがよいです。議論できるから。オンラインは電波を通した瞬間に伝達になります。

昨日の会議で私はスタッフの中の一人として埋没している感がありました。これは非常な満足です。私以外は社長の40歳代前半を除くとみんな30歳代前半から20歳代です。大いに考えを述べて大いに議論しました。

若くてもそれぞれが自分の持ち場のプロに成長しているのがわかります。たった1人の個が複数いれば、そしてそのまま大きくなればそれが複数名の部門に育ちます。将来の部門を率いる中心人材が確実に育っています。

昨日、私の昔の後輩が訪ねて来ました。その人は順調に出世していた人がある日突然50歳代になって突然異動となります。その会社が複数の大手食品会社を統合した物流の会社を物流会社が立ち上げることになり、その社長拝命しました。

それから10年間苦労して事業を成功させ、素人だった食品物流のプロになります。本社の役員、社長ルートは消えたけれど彼は食品物流の業界では定年になった今、ひっぱりだこです。サラリーマン社会も素人社会からプロの集まりに変わりつつあります。

話を戻します。当社は今、引っ越しして新しいビルの中に食品加工場を設置しようとしています。担当者が保健所との折衝や工務店、機器販売者との打ち合わせに追われています。これを通してまだ20歳代の彼は大きく成長しています。

創業、30年にして当社は社内に食品加工場の図面まで引ける人材を持つことになります。このことは当社は将来、計り知れないビジネスチャンスが待っています。

コロナ禍の最中ですが新社屋建設の会社が増えています。糸島市の二丈赤米産直センターは念願の直売所併設の新加工場を建設しています。また、沖縄県宮古島の楽園の果実も大量処理能力を持つ1次加工場を建設しています。

共通点は親たちと私が友人ですが後継者がいることです。二丈赤米産直センターは3人の姉弟が後継し、楽園の果実も長女が後継します。長女は昨日まで東京出張して来ていました。目的はポールスチュアートとのコラボ企画のためです。会社が、業界が、農業が、時代が大きく動いています。

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2021年08月06日

従業員に会社を好きになってもらう

会社法の改正で大企業の上場企業(監査役会設置企業)は社外取締役の人数増加が義務付けられました。理由は今まで会社取締役は経営の執行が主な仕事でしたが、監査役機能も取締役会が担うと言うことでチェック機能を増強するための措置なのでしょう。

大企業の取締役会を複数の(3名以上の)社外取締役が占めることになります。その会社の中身をよく知らない人が会社を監督します。会社も会社の中身を知らない社外取締役用資料と会社執行をする社内取締役のためのダブルスタンダードの資料が生まれるのかどうか?知りませんが。

会社はだれのものでしょう。アメリカが資本家、投資家、株主のためのと言い出して久しいです。会社は投資家の売り買いの対象になりました。また、会社はお客様のためのものという経営者もいます。これは何か偽善めいています。ええかっこしいの会社の匂いがします。

会社は社長やその一族のものである。これまたある意味零細企業や中小企業には当てはまります。経営者家(創業家の場合が多い)が家計とも会社経費ともつかないお金を使って経営しています。

しかし、日本型経営は「会社は従業員のものである」が長くまかり通って来た通念です。昔は終身雇用で入社は就職ではなく、「就社」でした。そこで自分の働く会社への忠誠心が生まれました。江戸時代の藩と同じでした。会社が家族の延長であり、社員にとっては全社会でした。

昨日、20年ほど前からお付き合いのある全国的にラスクで有名になった優良企業を久しぶりに訪ねました。経営者はパートも含めて10名程度だった頃からの付き合いです。

経営者は会社は「社員のためにある」の実行者です。第3工場まで現在稼働しており(家業だった頃の工場は取り壊しているので稼働しているのは2工場)、その工場内の製造スタッフだけでも数百人です。手づくりの美味しさと工場生産の均一性と効率性を見事にバランスさせ、この会社は全国ブランドになりました。今でも機械ができない熟練等手作業は製造スタッフがやっています。

ここの現在の工場には食堂、リラクスゼーションルーム、軽度のスポーツのできる施設、一人になれるプライベート休憩室、看護師が常駐する医務室、メンタル相談室等があります。

それも工場の製造場所と劣らぬくらいのスペースを有しています。会社が急成長する過程でスタッフ300人までは経営者が一人一人を自分で把握認識できたのがそれを超えるとできなくなった。

従業員、スタッフに愛情をかけるのにはどうしたらよいか?従業員、スタッフに会社を好きになってもらうのにはどうしたらよいか?それこそ命がけで考え抜いた結果がこの施設になりました。

もちろん顧客も大事にしています。経営、商品づくりのの第一には「食べた人が感動してくれるラスクづくり」をど真ん中の経営方針にしています。それを実現するために「従業員、スタッフに会社を好きになってもらう」があるのです。
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2021年08月05日

ケチ男の老後の極貧生活

このブログでも再三書いていますが、私の個人貯蓄はゼロです。コロナまでは多少老後のための貯蓄もありましたが、全部資金繰りに窮した会社のつぎ込んだので無一文になりました。しかし、これは当たり前のことです。金融機関に融資を求める前に経営者(資本家)が自らのお金を投入するのは当然です。

無一文の割にはブログにアップされる会食は美味しそうなお店ばかりで贅沢三昧なのでは?これまた違います。地方に出張した時はなるべく当社や私を応援してくれる人と会食します。その人達のご推薦のお店なので美味しくて勘定はリーズナブルプライスです。

会食相手は「割り勘で」と言いますが、そこは日頃の感謝の気持ちでこっちが支払います。すると相手も「わかりました」と言って私の気持ちを汲んでこっちに支払わせてくれます。これが世の常識でもあり、お付き合いのマナーです。

さて今日はそうじゃない人を書きます。私の近親者の配偶者にぎょっとするほど、世の中で2人といないくらいケチがいます。年齢は私よりも5つ程度年上です。ケチは吝嗇はある意味よいことですが、この人はあさましいくらいお金を払わない。親戚で会食しても勘定の時になるとトイレに隠れます。

戻って来て誰かが立て替えたお金を求めても絶対に払いません。我が近親者がなんでこんな男と結婚したか?暗澹たる気持ちになったことも1度や2じゃありません。この人だけそうかと見ているとこの人の親兄弟もすべてそう。

いかにして相応の負担を逃れるか?がお金持ちになる方法だと信じています。「お金を出さないとお金持ちになれる」という生き方です。その人の妻、つまり私の近親者にその男(亭主)が金持ちになったかどうか聞いてみました。

現在は近親者とは別居中だそうです。実家に戻り、親が建てた家に独りで住んでいるそうです。その理由はこの実家を兄妹で分与相続するのがいやでこの家は生前に親から自分がもらったものだと主張するために立て籠もっているそうです。

現役時代に相応の負担を拒否して貯め込んだこがね(小金)はおいしい話に乗せられて投資に回し、すべて回収できずに紙切れになってしまっているそうです。投資家としての才覚があれば取り戻すだろうに、度胸も脳みそもなく、ただ欲だけだから相場が張れない。

定年後、再就職しても「お金のあさましさ」からかでどこも1年契約でクビになってしまい、現在は無職だそうです。厚生年金で暮らしていますが配偶者と分けるととても暮らせる金額でないそうです。

私は30歳のこの男と親戚になり、この人の他人の評価を気にしないケチとあさましさで老後はそれなりのお金を残すものと思っていましたがその逆で極貧生活です。

人のためにすれば、人のためにお金を使えばひょっとしたら多くの人が助けてくれ、老後も稼ぐ機会を与えたのかも知れませんが、自らそれを断って来ました。自業自得なのでしょう。お金は死ぬ時にプラスマイナスゼロになればよい。

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2021年08月04日

初対面の好感が一生続く

昨日は糸島市役所に行きました。同行したのは糸島高校同級生の田中三香子さんです。いつを糸島市役所を訪問する時は彼女に同行お願いします。彼女は同世代の女子がそうであるように学校を卒業してしばらく勤めて家庭に入りました。

いつ頃から社会活動をしているか定かでありませんが、とにかく人脈が豊富です。民生委員もやっているようで社会奉仕活動に力を注いで来てその知名度、実績は凄いです。見ているとほとんど無報酬で活動しています。高校時代のクラス委員でみんなの席を回ってプリントを配っていたのを思い出します。

市役所で用事を済ませてから田中さんと2人で糸島市教育長をやっている家宇治さんの部屋を訪ねました。彼はずっと現場で教師をしていたそうですが半分が経過した40歳頃から県庁勤務になり、定年まで大半を県庁勤務で過ごしました。

そして定年後、その教育行政の手腕を買われて現在は糸島市教育長に就任して3期目です。彼ともそんなに親しくはなかったですが時々みんながひっくり帰って笑い出すようなことを言っていたのでよく覚えています。

昨日は3人で糸島高校昭和47年卒で現役はこの3名だけになってしまったなと笑い合いました。ざっと見渡しても東京在住と糸島在住でも現役はほとんどいません。実際はもっといるのでしょうが我々が知らないだけでしょうが。

高校時代にこの2人とはそんなに仲がよかったわけではありませんが鮮明にインプットされた記憶があります。高校時代の忘れられない印象的な1コマがあります。そういった意味では卒業後半世紀も付き合えるのは何かの縁、あるいは相性があるような気がします。

また、その後に二丈赤米産直センターの吉住さんを訪ねました。彼のところを訪ねるようになって四半世紀が経ちますが今年度ようやく彼の農業法人と農水省の事業をすることになりました。

高校の後輩ですが、彼のお姉さんも高校の同級生でしたが特段付き合いがあったわけではありません。しかし、彼が25年以上前から赤米を生産しているのを知り、帰省する度に彼を訪ねていました。あの頃は彼も稼ぐのに必死だったようで家族総出で「二丈の夕市」を企画して実行していました。

その仲間の福吉水産の釘本さんも一貴山牧場の瀬戸さんと吉住さんの「二丈の夕市三羽烏」はそれぞれ立派な会社に成長しています。その3名も既に60歳後半に差し掛かりました。

私は日本中いろんなところを訪ねます。初対面の印象で好感を持ち、仲良くなった人とは今でも長く付き合っています。今の仕事の友人知人達の大半は初対面で会って意気投合して30年近い付き合いのある人がほとんどです。また、初対面の時、仲良くなっても縁がなくても、奇妙な縁で10年後、20年後に再会してから付き合いが始まる人もいます。

事業をしている友人知人の共通点は若い頃は貧乏で借金があるのに自分が得ることよりも人様への役立ちを優先していました。毎日の奮励努力の継続で苦境、逆境を乗り越えて来てそして気が付いたら今があるという人生です。

なぜか?そんな人ばかりと縁があります。人間は初対面でインプットされた直感、好感を抱き続けている気がします。初対面の直感が全てです。
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2021年08月03日

博多は物価が安く魚がうまいは嘘

私は博多の出身ではなく、糸島の出身です。東京が生活の基盤です。全国あっちこっちの方を博多に案内することがあります。するとみんな私に博多のいいお店やオススメのお店を聞いて来ます。

博多は魚が美味しいとか水炊きが美味しい、ラーメンはどこがいいか?かっての地方都市博多(福岡市)の魅力を全国に広げたのは「ハカチョン」と呼ばれる大企業の社員の福岡単身赴任者です。ハカチョンとは「博多住いのチョンガー」という意味です。

彼らが伝えた博多の魅力は「魚がうまい、物価が安い」です。残念ながらそのフレーズは神話と化しています。私の博多は「魚がまずくて、物価は東京並み」です。

特にひどいのは美味しい魚が食べられなくなったことです。博多駅の周辺に宿泊することが多いですが、まずその周辺に「魚のうまい店」はありません。まあ、日本一まずい東京の活き造り(刺身)よりは多少はマシですが50歩100歩です。それで最近は九州の地魚を使った洋食のお店によく行きます。

博多のネイティブ料理は鶏肉(かしわと呼ぶ)料理が多く、一番の会席料理は「鶏の水炊き」です。そっちは健在で、友達のトリゼンフーズ経営の「華味鳥」が気を吐いています。鶏肉の苦手な私も博多ではお客様の所望で鶏の水炊きで接待することが多いです。また、博多家庭料理のネイティブは「がめ煮」(福岡県以外の呼び名は筑前煮)です。博多料理は魚ではなく、鶏肉が主です。

話題を魚に戻すと博多や糸島の目の前は玄界灘なので魚は美味しいです。しかし、それをウリにできるのは養殖ではない水揚げの魚を出せるお店です。一定規模の集客を必要とする規模のお店ではその日の水揚げの魚を出していると経営が安定しません。ましてや地価も高い博多です。それで一部を除き、魚のうまいお店は存在しません。

糸島も魚は美味しいですが「水揚げ魚の料理屋」はほぼ存在しません(あることはありますが)。一番美味しいのは実家の母親が近くの直売所から買って来て母親がさばいてくれる鯖や天然鯛やいかや鯵の刺身です。しかし、それも時化(しけ)の時は手に入りません。

営業店で糸島でおすすめのお魚のお店は喜八荘のレストランです。私もよく利用していますが、お昼などはいつも満席です。ウリはイカの活き造りです。ここが糸島では文句なしに一番です(あくまでも私の評価)。

昨日、一昨日美味しい魚のお店を知りました。福岡県小郡市の「山長」、昨日は佐賀県佐賀市の「浜幸」です。前者はやまながと呼びます、後者はあの政治家を彷彿させるハマコーです。

両方とも経営者が40歳代、毎日市場に行く、毎日活のいい鮮魚が入る仕入れ先を開拓、開発しています。定番料理ではなく、今日のオススメがウリです。魚狂いの私にはたまらない魅力のお店です。

私は基本的にはチェーン店には行きません。魚のお店に言ってサーモンがメニューにあると興ざめです。「いつから九州で鮭が獲れるようになったの?」と嫌味を言います。「鳥巣さんはそんなことばかり言っているので銀座のお店を閉める羽目になったんじゃないの」と反論が来そうですが。
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2021年08月02日

いい加減飲食店を生贄にするのを止めよ

毎日、好き勝手に書いています。このブログは私のもので私の好きなように書いています。生け贄(いけにえ)という言葉があります。神への供物です。一般的には生きた動物を捧げます。「スケープゴート」とも呼びます。

生け贄は捧げることによって人間の力では及ばないことを神に助けてもらうための手段です。最近は問題の本質を隠すために誰かに罪をなすりつけることの意味合いになっています。神への捧げものでなく、悪への捧げものになっています。

かって50年前にプロ野球黒い霧事件がありました。暴力団からの依頼でプロ野球選手が野球賭博のために八百長をしていた事件です。出身地福岡県のプロ野球団チーム西鉄ライオンズがその犠牲になりました。

読売ジャイアンツを頂点にして国民的興行スポーツになったプロ野球が存続の危機に立ちました。それをカモフラージュするためのスケープゴートが西鉄ライオンズのエース池永投手でした。東京や大阪のチームの相当数の選手が八百長をやっていたのにそれらは不問に付すで臭いものに蓋をして、九州の片田舎のプロチームのしかもエースをスケープゴートに仕立てました。

実際は証拠はなく、しかも多くの捜査、取材から池永投手は八百長をしていないと判明しています。しかし八百長のコミッショナー裁定が覆ることはなかった。

私が昔の会社をクビになったのも会社が飼っていた総会屋担当の組員の存在が発覚するのを恐れてその男のでっち上げを正当化して私がスケープゴートで差し出されました。その3年後にその総会屋が逮捕されて、私の身の潔白は証明されましたが、会社は未だ知らんぷりで通しています。私だけでなく、相当数の社員がその男の嘘で会社を退社させられました。

今回のコロナ禍も何の証拠もなしに飲食店がスケープゴートになりました。そしてスケープゴートにした側が平気で飲食店で飲み食いしている事実も明らかになりました。政治家の嘘、分科会の有識者の嘘、医師会長の嘘等そして究極はメディアの嘘。しかし誰もそれを指摘、指弾しません。飲食店はスケープゴートのままです。

ワクチン、ワクチンです。ワクチンを打ちさえすればコロナが撲滅できるようなこれまた嘘です。それを冷静に判断してコメントすることすら許されない国家です。もっと、冷静に、もっと公平に世の中を見ないとそれこそ次の生け贄、次のスケープゴートが葬られます。私がコロナ対策に批判的なのは片手落ちの采配だからです。
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2021年08月01日

興味と直感、見切り千両/七息思案

大企業にいると、少なくとも私がかっていた大企業では決断しない方が出世していました。評論家に徹していれば部長までは昇格していました。日本一のいや世界一の食企業の評論家集団でした。

その会社の先輩(この方も評論家ではなかったので部長になれなかった)が色々よい言葉をメール等を通して教えてくれます。「見切り千両」言われるとわかるけど知りませんでした。当社の飲食部門を昨年11月で閉店したのは今考えると見切り千両でした。それで新ビルに移転も可能になりました。

今日もメールが来ていました。「七息思案」です。「葉隠」の中にあるそうです。「葉隠」は何も「武士道とは死ぬことと見つけたり」だけではないんですね。かって私も読んでいますが、また読みたくなって来ました。今、私は再び「葉隠」を必要とする局面に来ています。

「七息思案」は「七息する間の決断」だそうです。慎重は迷いである。「分別も久しくすればねまる(腐る)」直感って大事ですね。直感を磨くために「葉隠」もある。

歳を取ると今までやったことのあることは人に差し出がましく口を出すくせにやったことのないことは先延ばし、先延ばしで手を着けられません。若い人の方が未経験にスムーズに入って行って、難なくクリアします。

経験を活かしてと言いますが、年寄りの経験したことなどそれほど活かす場はありません。世の中はどんどん進化しているし、変化している。不透明に向かって、予知せぬ世界に向かって進んでいます。過去の経験など何の役にも立ちません。

私の同世代で一流企業のトップやトップクラスまで出世した者でその後もその名声と能力を発揮している人間はほとんどいません。辞めたその日からどんどん劣化して行きます。

生き残っている、あるいは輝いている者は現役時代からの趣味や得意や技術を活かしている者です。地位ではなく、能力です。

じゃあ、お前は?と言われます。コンサルになって食と農に舵を切りました。食と農の時代を予見していたのもありますが、それ以上に興味があり、農家出身で食品メーカー出身の私にとって食と農の世界は大変楽しい世界でした。

折からの6次産業化の波に乗り、30年近くやっており、この業界では老舗になりました。当社はこの「6次化」をコンサルに加えて当社の実業にしようと向かっています。会社ビルの中に食品加工場をつくるのもそのためです。

併せて昨日も書いたように私はもっと興味のあるさらに奥地、さらに源流、つまり里、木、森林、川、森の世界に踏み込もうとしています。「里、木、森林、川、森を活かしたビジネス、ライフスタイル」の世界です。熟考したわけではありません。興味と直感です。

生まれ故郷糸島(今の糸島ではない)の60年前の原風景が私を呼んでいるのかも知れません。そう思って見渡すと仲間も人脈も教えを乞う先達もたくさんいます。私が過去にやってきたことも活かせます。



posted by tk at 08:05| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする