2021年02月11日

人格と社会的地位は何の関係もない

超有名人が表は身ぎれいで世の改革者が実際の顔は卑怯者で嘘つきで汚い人間であることが暴露されるとそれは週刊誌のスクープとしては最高です。そのギャップに国民は驚きます。

狙われるのは著名人でなければなりません、政治家、タレント、実業家といったところがネタになります。それにしてもネタになる人たちの虚像と実像はこんなに違うのかと国民はショックを受けます。

昔は私も幼かったので、また、田舎で少年生活を送っていたので理解できなかったのかも知れませんが、昔の人の方が表と裏のギャップが少なかったように感じます。

昔の世のリーダーは恵まれない人や貧乏人を慮っていたような気がします。世襲で高い地位にいる人もある意味、謙虚であり、偉そうな態度はしていなかった。また成り上がり者でも自分の出自の卑しさをわきまえているせいか、人には優しかったような気がします。

今はばれなきゃオーケーが一般化してしまいました。失言問題もそうです。あの人たちの失言が日頃言っている持論であればそれほど問題にならない。日頃言っていることとよそ行きでいうことが違うので失言になります。要は二枚舌がばれてしまいました。

著名政治家の長男の出来が悪いのは親の実際を知っているからだと思います。言っていることとやっていることが全然違う。外づらはいいが、実際は卑怯で汚い人間だと子供は生まれた時から知っています。要は親への復讐で出来が悪いのでは?

長く生きるとわかりますが、実際に有名人に会うと何でこんな人間が有名なのか?というのもたくさんいます。一方では、この人は人格者だ、尊敬できる、さすが有名になるはずだと感動する著名人もいます。要は人格とその人の社会的地位、あるいは名声とは何の相関関係もありません。

なぜ?こんなのが有名になったか?虚像です。メディアが作り上げた虚像です。私がある官民企業の社外取締役をしていたことがあります。そこのトップは私同様、社外からの役員でしたが、私の業界では昔は有名人でした。

実際に会うと幻滅するほど社会の常識からずれまくっていました。私が任期を終え、しばらくしてその男が自分の本籍地の会社から解任されたと知り、この会社の経営者たちはまともだと思いました。

posted by tk at 08:07| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする