2021年01月31日

準備、努力、稽古、鍛錬、精進それが人生

仕事は戦いでもあります。なぜなら、仕事をしたらお金を貰わなければなりません。そして人間はそのお金(対価)で暮らしています。働かないと食えないわけです。先達を見ていると経営が長く続いている会社や息の長い現役の人は努力しています。

その努力、わかりやすく言えば準備しています。日頃の活動自体が仕事への準備として蓄積されて行きます。一発の僥倖はしょせん、一発の僥倖にしか過ぎません。賭け事の好きな人は僥倖を狙っている人なのか?データの分析という膨大な目に見えない準備をして賭け事をやっているのか?聞いてみたいところです。

経験があろうが、なかろうが仕事の成否の局面は緊張します。緊張すると実力を発揮できません。緊張時の点数がお前の本来の自力だよと言われればその通りです。

準備しておけばやるべきことを一心不乱に無心でやれます。ライバルや合格ラインが頭をよぎると必ず失敗します。そういう意味では勝負というのはいつも自分との闘いです。でもそんなに俺は気が強くない、怯むし、怖じけるし、怖くて仕方ない。

みんなそうなのでしょう、強い人ほど謙虚です。強い人ほど自分が弱いことを知っています。ライバルや合格点に気を取られなくするにはどうしたらよいか?日々の練習しかありません。

毎日、毎日未熟な自分の心と体の鍛錬です。その鍛錬が成功への準備です。ライバルとの闘いではなく、自分とのたゆみない闘いです。

仕事は会社に入れば実務から管理職になります。そうすると実務、要は準備は部下がすることになります。部下ができないと怒鳴ります。じゃあ、自分ならできるか?多分できないのです。

自分ができるのなら事前にもっと的確な指示をしているはずです。それができないのは自分もできないレベルだからです。特に中小企業は難度の高いものは部下にやらせるよりも自分でやる。そしてこのレベルなら俺でもたやすいと思ったものを部下にやらせて育てる。

準備、稽古、練習、努力とは反復の繰り返しです。来る日も来る日も反復をして体が覚え込むまで、頭が完全にそらんじるまで稽古して身につけた者が勝ちます。まだまだ修行の足りない私です。今日も精進です。
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2021年01月30日

発言は同時に責任を伴う

プラス思考で行こうよと言いながら今日はいきなりマイナス思考の話です。へへへへ。私が生理的に嫌いな人種は弁論大会の優勝・入賞者、労働組合組合長・幹部、メディアのコメンテーター・評論家です。

なぜ?無責任だからです。発言は同時に責任を伴います。人間が何か口にする時はその裏面に責任がセットになっています。これがなければ人間は何でもしゃべれるし、ええかっこ出来ます。

実際、労働組合の幹部の演説など何の奥の深さもなく、言いっぱなしです。演説が終わるともう忘れています。政治家もそうだろう?特に野党はそうですね。自分の言葉に酔っています。弱者救済と言いながら弱者を見ても知らんぷり、陰では権力者にすり寄っています。

事業もそうですね。小規模事業者や中小企業は言ったことを実行しないと会社は潰れます。それに比べて組織が大きいと社内は評論家ばかり。私が昔、勤務した会社もそうでした。評論家ばかりで何もしなくて、いやしない方が出世しました。

国の組織でいうとこのコロナ禍の当局の省がそうです。いまや国家予算の半分近くを握るこの省は医療も年金も管轄しており、大官庁ですが何もできない。手が打てない。

医師会会長が医療崩壊だと行動を自粛しろと言っていたのは実は国民に対してというよりもこの巨大当局官庁に対しての怒りだと思います。「この官庁は当てにできないから国民よ、自己責任で自分を守れ」と言っていたのだと思います(真偽のほどはわかりませんが、ごめんなさい)。

あの官庁に有言実行のほら吹き大臣を据えると少しは変わるかな?ワクチン担当大臣頼みますよ。

もう1つの弊害巨大組織は首都圏を治めている官庁、当局です。ここはタレントキャスター上がりのトップがメディアに向かっては立派なことをいいますが、現場は動かせていない。コロナの迷走もそこにあると思います。
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2021年01月29日

学ぼうとする時は興味の出る教材を

出張先で私のブログを読んでいますという人が本当にたくさんいます。「ブログ読むだけでなく仕事をくれ」と悪態をついているのですが。こう読者が多いとブログを止めるわけにはいかないですね。

昨日、旧知の奈良県桜井市商工会事務局長から久しぶりに電話が来て、鳥巣さんは「ブログに邪馬台国は福岡県みやま市にあった」と書いていましたが、世の中ではうち(奈良県)の纒向(まきむく)古墳群の箸墓(はしはか)古墳が卑弥呼の墓といわれていますと笑いながら食ってかかってきました。

私が古代史が好きなのを彼はよく知っているのです。一般的に両方とも正解で邪馬台国九州説の有力な一つにみやま市あたりが比定されます。また、邪馬台国畿内説は奈良県桜井市の箸墓古墳が卑弥呼の墓に比定されます。

私の出身の糸島市は掘れば遺跡といわれるくらい出土品が多いですが、この桜井市も同じで掘れば古代出土品です。近くに明日香(あすか)村があり、7世紀に突如として明日香に大権を持つ巨大王朝が出現します。

糸島の伊都国、みやま市の邪馬台国が奈良の王朝とどうつながるのか?食と農にひっかけて謎を解くのが私の夢です。早速、「久しぶりに何か仕事を作って俺を呼んでくれ」と言ったら再び笑っていました。

ところで、ローカルの地域おこしの1つの鍵はSDG'sです。この勉強をしようとして相当の本を買いましたがどれもろくな本はありません(私が知らないだけなのでしょうが)。国連の宣言のコピー&ペーストばかりです。書いている人達の能力不足で体でわかっていないのが多い(かな?あるいはゴーストが書いているのかな?)。

そこでリサイクルや省資源等の環境を興味を持って知るにはどうしたらよいか?石川英輔さんの「大江戸リサイクル事情」や「大江戸えねるぎー事情」等の江戸本を読むと環境への興味がわいてきます。SDG'sは環境だけではありませんが、入り口のとっかかりになります。

今、この江戸本を持ち歩いて読んでいます。私は日本史が好きです。世界史は嫌いです。世界史は固有名詞がカタカナなので。カタカナはいくら努力しても頭に入りません。何かを学ぶ時は努力もよいですが、自分がすっと入っていけるものを見つけたほうがよいです。これは2浪の経験の賜物です。
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2021年01月28日

九州は旬の野菜が新鮮かつうまか、安か

地方には鮮度がよくて、しかも価格が安い(東京に比べて。地方では当たり前)、かつうまい(おいしい)野菜がたくさん販売しています。道の駅や農産物直売所は大盛況です。小さい子供連れのママも高齢のおじいさんもおばあさんも競うように旬の野菜を買っています。

私は仕事でそんなところによく行きます。時々、買って来ていましたが、11月末までは夜は営業していた自社レストランに行くので休日以外は自炊の機会があまりありませんでした。最近は在京の時は夜はほぼ内食です。自炊です。

それで地方に行った最終日に買って来ます。私の野菜は私が運ぶので高価な飛行機輸送野菜です?最近は月曜日から水曜日の3日間が地方出張、木・金・土・日の4日間が在京なので4日分の野菜を買います。それからは行きつけの住んでいるところからかなり離れたところにしかなかったスーパーに行く必要がなくなりました。

野菜で献立を決めるか?献立で野菜を決めるか?料理の達人でなく、しかも食べるのは自分だけなので直売所の野菜を買ってからうちに帰って来てから献立を決めます。

といっても料理は生で食べるか?煮るか?炒めるか?焼くか?揚げるか?浸(漬)ける?かしかないのでそのどれかですが、油で揚げると鍋は独り暮らしの場合はまずないです。

また、ドレッシング開発を売りにしている割に私は生のままはあまり食べません。野菜も煮てからドレッシングをかける場合が多いです。火を入れられない野菜は買いません。

九州に行くことが多いので野菜が豊富に手に入ります。昔、東北に行くとよく東北の人が「せいなんだんち」はうらやましいと言っていました。その意味がわかりませんでした。「西南団地」と思っていました。中学の名前が西南だったので、でも団地はないぞと。実は「西南暖地」と知ったのはずっと後のことです。

昨日も白菜、なず、春菊、ねぎ、ホウレンソウ等を買って来ました。4日分です。ご覧のようにすべて火を通せる野菜ばかりです。スティックセニョールがあり、買うのをためらっていたら茹でて、塩かマヨネーズでおいしいと聞いたのでサラダにいいなと思って買って来ました。

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2021年01月27日

理解者、協力者、後押し者を作れるかどうか

仕事を創っていく時、まさに今のようなタイミングでは2つの重要な要素があると思います。1つ目はあれもこれもはダメ、1つの事に集中する。2つ目は協力者や協力体制がないとうまくいかない、つまり1人では無理であると言うことです。

1つ目は「1つに集中」で2つ目は「1人じゃ無理」です。相反することを書いているようですが、そうではありません。1つのことをみんなで力を合わせないと事は成らないと言うことです。

たくさんの仕事を受注した方が会社の経営は楽になりますが、会社あるいは自分自身の能力も体力も限界があります。初めて企画して実行する仕事は全知全霊を傾けて最初の風穴を開ける。開けてしまえば2つ目、3つ目も可能になります。

1つのことに集中して活動していると理解者、協力者が出てきます。また同じ利害の人が出てきます。その人達が話を聞いてくれるようになり、ぞれぞれの持ち場と自分の能力を提供してくれるようになればその事業は俄然、現実味を帯びます。

自分が言い出しっぺの時点では周りは無関心です。相手の無視と無関心を怒っているようでは前に進みません。何度も何度も足を運んで相手がうんざりするほど説明と夢を語るうちに少しずつ進みます。

相手が乗ってこないからうまく行かないは単なる言い訳です。説得、納得させられない自分の未熟さと自分の構想の未完成を恥じて、何度も何度も修正しながら完成させて行かなければなりません。

企業は費用対効果で動きます。その説明や啓蒙の出張や時間にあまりお金をかけるとトップからもいい顔はされません。しかし、トップが後ろからガンガンやれと応援してくれる社内体制を作ることも必要です。

相手に説明して説得する時もリモートで1回説明したくらいでは誰も関心を持ちません。何度も何度も当地、当人まで足を運んでファイスツーフェイスをで交渉しなければなりません。

このコロナ禍の中、規制を守りながら、その活動を怠らなかったところが生き残ります。
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2021年01月26日

毎日精進そして生涯精進

仕事のやる気のない人間は仕事をやる気十分の人間に淘汰されて行きます。技量や経験等ではなく、後ろから来る人のやる気に追い抜かれます。私が代表取締役を降りて5年。一番、心しているのはやる気を失う、あるいは「鳥巣はやる気をなくした」と思われることです。

肩書きはなくなっても活動は現役でなければなりません。人生は生涯実践、生涯精進です。「毎日精進、生涯精進」これで行きましょう。

私と同世代の人が現役でやっています。やっていると言っても肩書きだけが現役です。肩書きにしがみついているだけの人間です。この2人は新型コロナ非常事態宣言が出て、あるセミナーをドタキャンです。1人は主催者で、もう1人は講師でした。待ってましたとばかりのドタキャンです。両方ともこちらへは一方通行の宣告です。

しかも一人はその組織のトップと話をしたら、そのトップも中止を知らされていませんでした。勝手に判断して、勝手に講師の私に通告して来たわけです。次をどうするか?話し合いをというと逃げまくってテーブルに着きません。

もう一人もドタキャンです。こっちは当社主催で本人は講師です。2週間前に出講可能かどうかこっちが心配して確認したら大見えを切っていた男が開催1週間前にメール1本でキャンセルです。私が怒ったらその後、読むに堪えられない醜い長文のメールで自己弁護をしていました。

集客まで準備していたので止めるわけには行きません。地元の代役を立てて昨日実施しましたが、好評でした。代役は若い人で経験のあまりない人でしたが、抜擢してくれたと感激して、よく勉強してきており、受講者も喜んで彼女を受け入れました。俺は有名だとうそぶいている逃げたロートル男に再び登場が回って来る事はないでしょう。

2人に共通しているのはコロナを理由に逃げていると言う事です。非常事態宣言は全てを規制、禁止しているわけではありません。我々も政府の意向に沿って企画しています。進もうと思えば正当に実施できるのです。彼らの行動自体がコロナに負けています。

そこには老醜と化した哀れな気持ちの萎えた人間がいます。歳を重ねるとあらゆることが劣化してきます。いつまでも若い頃の自分に慢心していると周りは誰も相手にしなくなっていることに気づきません。毎朝、起きたらスタートラインです。毎日が初出場です。

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2021年01月25日

空手の先輩達は人生の仲間

半年間、空手の稽古をリモートでやっていたのが、今月からリアルになり、通っています。中野にある高嶺道場です。ずっと私が通っていた道場の稽古場は10数人の会員がいて、一緒に同じ内容で稽古するのでど下手くその私はなかなか上達しません。

そこで稽古のない日もその稽古場で時間があれば稽古している師範代格の渡慶次先輩がいたので彼が稽古する時にちゃっかり時間を合わせて行って個人的に見てもらっていました。もちろん先輩はお金は一切受け取らないので好意に甘えていました。

その渡慶次先輩がコロナ禍が始まった頃、会社を辞めて沖縄に帰ることになり、再び、困っていたら、渡慶次先輩の後輩で、何と新築の家に道場を作った人がいて、その方が高嶺先輩で習うことにしました。

高嶺道場に2度行ったら非常事態宣言が出てしまい、ずっとリモート稽古でした。そしてようやく年末からリアル稽古になりました。高嶺先生が道場を開いたのが半年前なので生徒も少ないです。個人レッスンで教えてくれます。同じ明武館東京本部所属なのでずっと前から知っていました。

高嶺先生はものすごく、勉強していて私ごときに私のレベルと成長に合わせて教えてくれます。私ができないからと言って声を荒げることもありません。最近は空手の稽古に行くのが楽しくて、楽しくてです。

一方、沖縄に帰った渡慶次先輩は会社を辞めて会社を興しました。私も出資させてもらいました。5月1日創業です。コロナの真っ只中の起業です。起業したばかりでコロナで世の中大騒ぎ、仕事があるはずがありません。

お互い様なので私の会社の仕事で2〜3回九州に来て講演とコンサルをしてもらいましたが、なかなか大好評でした。空手では私の大先輩ですが、仕事では私が大先輩です。それで2人でバランスを取っています。

こんな泣き笑いがもう1年です。空手の素晴らしさが本当にわかった1年でした。空手は段が高位とか、技術が優れているとかは半分です。あとの半分はやっている人間の素晴らしさです。

最下位の私がこんな無礼なことをシャーシャーと言っているのだから沖縄明武館剛柔流はとても素晴らしい道場です。
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2021年01月24日

覚悟とは迷いを脱し真理を知ること

平時のリーダー、有事のリーダーと言います。「じ」の字が違います。平時は「時」、有事は「事」です。私は平時のリーダーなどいないと思います。リーダーは常に有事のために存在すると思います。有事の役に立たないのはリーダーとは呼べません。

平時のリーダーとは単なる取りまとめ役、村長(むらおさ)、座長、議長もかな?多数決とバランスのために存在します。「長」が付くから名刺にはもってこいです。肩書が欲しい人には最適の役職です。

世の中もそっちの方が世の中はのどかで、平穏で幸せです。一番困るのは単なる「長」の肩書が欲しい人が有事のリーダーを求めた時です。これは困ります。国は大混乱になる。卑近な例でいえば総理大臣や都知事という政治の最高級の「長」を肩書が欲しいだけの人が得た時です。

平時タイプの長はリスクのところはいつも隠れて責任を取らない、人に擦り付ける。しかし、密室での陰謀や狡猾な手口には長けている、顔からして姑息な顔をしています。

もう一方での平時タイプはタレントさんです。メディアで名と顔を売って他人事みたいにコメントして役者を演じている人達です。この人達も平時型のおめでたい人々です。

この人達はオリンピックで自分が最高脚光を浴びることを夢見て、ここまで来ました。それでオリンピック中止です。彼らの心は萎えます、負けます。さあ、これから、どう逃げるかの方策に入ります。醜い政治ショーの第2幕が始まります。

小さな会社でも創業者や社長、経営者は常に有事に身を置いています。小さな会社だから有事も小さいではありません。その逆です。小さな会社だからこそ、有事には吹き飛ばされます。そのリスクで生きています。

私はいつも覚悟しています。覚悟とは一般的には悪い状態を予測して心の準備をすることと書いてあります。でも心だけではだめでしょう。体もです。体とは命です。「うまく行かなきゃ命をなくす」その準備ができているかどうかです。

また、覚悟とは仏教用語では「迷いを脱し、真理を知る」と書いてあります。私が求めている真の覚悟はこれです。ここに到達したいです。そのためには「うまく行かなきゃ命をなくす」を体験、くぐり抜けないとだめです。貴重な体験をさせてもらっています。

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2021年01月23日

忙しさの手応えが生きる励み

東京にいる時の朝の行動というのは決まっています。起床してから身の回りのことをして出勤です。目の前のコンビニで飴を1袋買ってから会社に入ります。すぐにお湯を沸かして、お茶を淹れます。同時にアロマオイルをディヒューザーに入れてディヒューズ開始です。

それからブログ書き、空手の稽古、ここまでは土日祭日も同じです。そして平日は朝早く出社する2名と会社の掃除と続きます。それまでは頭は仕事のことを考えていませんが、掃除終了後から仕事モードになります。

私に休日はありません。年中、仕事し続けています。たいていの中小企業の創業者はそうです。一番幸せなことは今日は何をしようか?と考えなくてよいことです。やらなければならない仕事が山ほどある状態です。

コロナの襲来で1年この生活習慣に異変が起きました。やることがない。やることがないと不安がやってきます。不安がやってくるとその恐れを人にぶつけたくなり、人に当たり散らします。

最近は忙しいです。目が回るほどまでは行きませんが、忙しくなりました。ということは仕事の手応えを感じます。これが仕事になり、お金が回収されるのは1年後ですが、嬉しい限りです。

一方、仕事は来過ぎても困ります。昔は来過ぎても嬉しかったです。子供を飢えさせなくて済むかと思うと。しかし、最近はどんなに踏ん張っても体力に限界があります。自分の体力に合った仕事量が一番いいですが、世の中はそんなに甘くない。それだったら仕事一杯の方がいいに決まっています。

真面目にやっていると人が助けてくれます。まず、人を紹介してくれます。新たな仕事のチャンスの情報をほのめかしてくれる。そして、たまには労をねぎらってくれます。この惨状を見るに見兼ねて手伝ってくれる人がいます。本当に人様に助けられ、応援されているのをひしと感じます。だれも私に面と向かってそうは言わないけど。

独立して、2〜3年して仕事がぽつぽつ来るようになった頃、次は最初の本を出版して、東京に事務所を移し、活動が全国区になった頃、そして今度3回目の手応えを感じています。ありがとう、みんな。




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2021年01月22日

新しいことを始めるなら今がチャンス

経営の危機に陥っている企業はたくさんあると思います。経営者が「もうだめだ」と自分の心に負けた時が終わりです。朝、起きて「今日も一つ新しい仕掛け、挑戦」をしてみようと思う経営者はまだ持ちます。

私くらいの年齢から上の経営者でコロナで経営が厳しいので、新しい事業を展開しようとする人もいます。負けていない挑戦は見事ですが、口だけ挑戦はうまく行きません。

新しいことをやるぞと言いながら体も心も既存の商売にしがみついていると新しい商売は花が開きません。新しいものを掴もうとするなら今、持っているものを捨てる覚悟をしないと無理です。

とは言っても何をやるかも決まっていないのに今を捨てろというのは無茶苦茶だと反論します。まあそうですが、新しい葡萄酒は新しい革袋に入れないと破けると葡萄酒までこぼれて両方とも台無しになってしまいます。

昨年、コロナで仕事もなくなり、暇していても仕方ないので、新刊を書き始めました。私の教え子や当社スタッフの推薦の22の人生を取材しました。ものすごく勉強になりました。原稿にまとめると取り上げた方々の人間とビジネスの魅力が増してきました。この1週間で発売できそうです。

さらにコロナの深刻化でさらに暇になり、現在、大ブームの郷里糸島で勉強会を開始しました。糸島ブランド、糸島スタイルとメディアや広報が騒ぐのが嘘臭くて、「自分にとっての真の糸島はなんだ?」という自分なりの勉強を始めました。それも2月には第1次提案ができそうです。

さて、そんなことばかりしていると本体の自分の会社がないがしろになります。「これからのキースタッフ」を書いてそれに必要な融資等をお願いしなければなりません。

どう書くか?自分の会社が一番書きづらいです。でも、「新刊の執筆」と「糸島勉強会を始めたこと」で今後、キースタッフがどうあるべきか?が自然と出来上がっていました。

昨日、スタッフと打ち合わせをしていてすらすらと「今後のキースタッフのあり方」が浮かんで来るのに自分でもびっくりしました。この半年の間にキースタッフが必要とする人材、人脈、技術、農水産物等資源、環境、そして事業そのもの(コンテンツと言うんですか?)が揃い、出来上がっていました。

かつ、既存のキースタッフの経営資源も活かせます。が、既存の事業に立ち戻ることはあり得ません。前に進みます。朝、布団から出る時にこのぬくぬくの布団で寝られるのもあと1か月と言い聞かせます。さあ、戦場に向かおう。

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2021年01月21日

今日明日の事より10年先を見つめて

初めて飛行機に乗ったのも福岡ー東京(羽田)間です。思い出の空港ですが、最近は週1回は福岡ー東京間をフライトしています。

以前にもこのブログで書きましたが、100年前当時、普及し始めた自動車タイヤのトップ企業はYタイヤです。そこの福岡駐在社員が九州の特約店会に出席予定の会社役員10数名が高額な飛行機に乗ってやって来るので、福岡空港まで出迎えに行ったら待合室の片隅でブリヂストン(福岡県久留米市が発祥の地)の創業者石橋さんがお供も連れずに、奥さんと2人だけで奥さんのつくったおにぎりをうまそうに頬張っていたそうです。この光景を見て、やがてうちの会社はこの会社に負けると直感したそうです。

Ⅾ社が権威の象徴の汐留の本社の売却に入るそうです。そんなに経営が苦しいのか?コロナ禍?もあるでしょうが、本社売却するほど追い詰められていません。今後のリモート勤務等働き方を勘案して先手を打ったのでしょう。「もう元には戻らないよ」と社員に伝えたいのでしょう。その変わり身の速さ、さすが、世界のD社です。

コロナ派禍は小さな事業者や中小企業を消滅させるでしょうが、合わせて盤石を誇っている最強の企業も明日をも知れぬ状況にあります。直面している課題は同じです。課題というかリスクは。

経営資源にプライオリティ(優先順位)をつけて強いものをさらに強化するのが経営の常道です。しかし、これは平時の経営です。むしろこの発想は会社のお荷物をさらに重くするだけかも知れない。

もう一度、経営資源を足元から見つめ直して、今はすぐにはお金にならないものの中にも他社より優れていると思うシードを育てる経営をした企業がアフターコロナ時代を制すると思います。

明日のことは誰にもわかりません。だからこそ、明日の生き残りがんじがらめに縛られないで、10年先、30年先を見据えた経営に切り変える最良の時代がやってきました。
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2021年01月20日

糸島ブランドって何?

昨日は「郷里糸島がどんな地域になればよいか?」の会合でした。糸島在住の生産者や製造者が参加です。発起人は私なので私の知っている好きな人が中心です。場所は福ふくの里の裏の集会場でした。

ブランドという言葉は陳腐化しています。大量消費時代を迎えた昭和40年代から我が国で使われ始めました。いわゆる「ターゲット」、「コンセプト」、「差別化」と並ぶ多用されるマーケティング用語の1つです。

あの頃は商品に対して「ブランド化」という言葉をよく使っていました。いわゆる「プロダクトブランド」です。平成の頃から行政もやたら使い始めました。どうして?地域活性化の仕事を受注した広告代理店やコンサル会社が持ち込んだからです。

「地域にブランドをつけたがる現象」が起きました。郷里糸島も「糸島ブランド」で現在、日本1、2位を争う人気スポットです。でもネイティブの私に「糸島ブランドって何?」と聞かれても答えられません。

「実体がないんじゃないの」、全くその通り、実体がないから「ブランド」。言葉の遊びになります。「糸島ブランド」探しをしよう。実体がなければ創ろうということにしました。

会の主メンバーは2人がいます。福ふくの里社長で福吉水産の社長の釘本さんと二丈産直赤米センターの吉住さん。釘本さんは中学の先輩、吉住さんは高校の後輩です。私が30年前に会社をクビになり、現在の仕事で独立した頃でマイナーですが志摩の朝市、二丈の夕市が当時の糸島で話題になり始めた頃です。

帰省した時にその二丈の夕市は二丈中学の近くの駐車場で行われているという情報を得て見に行きました。その時に中学の憧れの先輩だった釘本さんが獲れた魚(漁協に出荷できない不揃いの)を捌いて加工して販売していました。

吉住さんは高校の後輩で成績はずっと一番。東大ストレート間違いなしだったのがお兄さんの急死で九大農学部に行って家業の農家を継ぎました。当時から赤米に目をつけて自家栽培していた赤米と日向夏と甘夏が自然交配してできた糸島はるかの販売に注力していました。

二人共も家族総出でやっていました。正直、「落ちぶれたな」と思い、声をかけられませんでした。実際、味の素をクビになって落ちぶれていたのは私の方でしたが。やがて2人とも旧交温め合うようになり、糸島に帰ると必ず別に用事もないのにこの2人を訪ねました。どうしてかわかないけど私の足を向けさせる何かがあった。行けば家族で受け入れてくれました。

あれから30年が経ちました。糸島ブランドがもてはやされるようになりました。2人が登場することはありません。多分、2人がこのブログを読むこともない。でも糸島ブランドってこの2人とその家族の活動じゃないのと思っています。
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2021年01月19日

人生とは自分の生き方

そろそろ新刊が出来上がります。1月末には発売できそうです。今までは「どう書くか?」等中身に集中していましたが、これから「どうこれを世に知ってもらうか?」になります。つまり、発売後の活動です。

既存の書店で販売しても既存の書店自体が消滅しているのでそのチャネルはないも同然です。今回は出版元は(一社)エクセレントローカルで、発売元は(株)キースタッフです。

SNSやネットを使った販売を考えています。と言ってもやり方はそれに強い当社社長の野口の指示で動きます。前の本の発売が東北大震災の起きた年ですから10年近くが経っています。出版業界も様変わりです。

世の中の経過と共にやり方も変わります。変化を認めて変化について行くのは大胆な変身を求められるので辛いです。安住が一番幸せです。

長く生きていると商売で成功している人にいろんなパターンがあります。わかりやすい例でいうとその人は「約束を守るか?」と「ちゃんとお金を払うか?」の2つです。

答えは1つ。みんな成功している人は「約束を守る」と「お金払いがよい」と思うでしょうが、そうでもありません。「約束を守ること」と「お金をちゃんと払う」と人生の成否は何も関係ありません。

むしろ、ケチはお金を払わないのでお金がよく貯まる。約束を守らない人は責任感がないので傷を負うこともない。世の中はいろんな人間を受け入れる大きさがあります。あえて言えば半々でしょう。「必ず約束を守る人」、「金払いのよい人」で貧乏人という人も多いです。私はどっち?

どっちの生き方をするか?人それぞれです。昨日も一昨日、私に対して明らかな約束違反、金の亡者の行動の人が2人現れました。そういった人は実に言葉が多いです。要は自分がやっていることが後ろめたいので言い訳と自己弁護の言葉が多くなります。

それでも世の中は生きていけます。本人がそれを望んでいるのだから。こっちも何もなかったように誰にも言わず、心の中に留めておきます。ただし、嘘とケチは許されても裏切りは許されませんね。
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2021年01月18日

チャップリンはいずこへ?

今日は「1.決断する、2.信じる、3.諦めない」の「3.諦めない」です。めげますね、毎日、鬱陶しくなります。逃げ場がない、生活苦がそこまで来ている。

この1年間、非常事態宣言やいろんなコロナ対策を打ち出す度に給付金、補助金、支援金等が支給されました。「支給するから言うことを聞け」という方式です。しかし、このお金は国庫です。誰のものでもない、国民のものです。

それをあたかもお上のお金を恵んでやるんだと言わんばかりに支給されます。また、これからも追加で出てくるのか?どうか知りませんが、出てきても国にはお金がありません。我々が次世代に残す借金になります。

このお金が政治権力の維持や堅持に使われたらたまったものではありません。最近、見ているとその傾向があります。それを使う側の政治家が権力誇示のためにやっています。政治家が政治を弄んでいます。自分の政権維持、あるいは次の選挙を睨んで。

しかし、まだこの国にはこのお金があるということです。政治ショーのための製作費と出演料が。いよいよなくなると権力者は逃げ出して、国は破綻です。あるうちはいただいてもよいです。我々のお金なのだから。

しかし、なくなればたいていの国民は破綻です。特に事業主は。どうすればよいか?返済しなくてもよいということです。税金も払わなくてよい。「欲しがりません、勝つまでは」と国民に強いてきた軍部と政治家が戦争に負けると何か償ってくれましたか?さっさと逃げ出し、国民は廃墟の中から立ち上がりました。

今はその様相を呈しています。政治が怪しい。我々が破綻する時は国が破綻する時でもあります。だからあまり深く考えない方がよいです。

テレビは見ませんが、お笑いタレントがずいぶん人気があるようです。人気女優を嫁にしているくらいです。でも、コロナ禍からお笑い芸人がいっぱしに、国の行く末を論じているので、それこそ笑ってしまいます。これこそ、喜劇????

こんな時こそ芸人は心から笑わせてくれればよいのに。それが仕事でしょうに。煽り現象の一翼を担っています。エノケン・ロッパ、アチャコ・エンタツはどこに行ったのでしょう?それこそチャップリンはどこにいるのでしょう?諦めないで待ちましょう。
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2021年01月17日

再起を忘れた頃、復活が訪れる

今日は昨日の4つの言葉の「2.信じること」です。私は困難に直面するとある場面を必ず思い出します。その場面は中学校の授業の一環で観た映画の場面です。旧約聖書の「出エジプト記」です。

迫害に堪えかねたイスラエルの民をエジプト軍が迫ります。紅海の淵まで追い詰められ、絶体絶命のピンチの時に預言者モーゼ(モーセ)が紅海に向かって1本の杖を突き出すと紅海が真っ二つに割れ、道ができます。

イスラエルの民がその道を渡り切ると再び紅海は海に戻り、後を追うエジプト軍に水死して全滅してしまいます。ピンチに立った時はいつもモーゼの杖を思い出します。

今回のコロナ禍も人生もピンチです。今まで自分なりのピンチはありました。大学に入れなくて2浪は大変屈辱でした。会社を首になった時は人生が終わったと思いました。これらのピンチは誰かが宣告してくれたピンチです。今回は誰からも宣告を受けたわけではないし、日本国民というよりも人類すべてに突き付けられた困難です。

でも今回は私にはモーゼの杖があります。それは28年前に会社を首になり、そこから復活したという杖です。実際、前回の再起は判定者もいない中での再起でした。あえて言うと飯が食えるようになったということが最大の判定だったのでしょう。

不安だけどそんな余裕はなかった。無我夢中、必死、毎日疲れ果てて最後は酒の力を借りて眠りこけていました。中傷誹謗の声も聞こえてこないわけではなかったけど耳を塞いでいました。

今日一番書きたいのはここからです。自分の思い描く再起の時間と実際に復活するまでの間にタイムラグがあるということです。こっちは余裕がなく、焦っています。はやく普通に飯が食えるようになりたい。

しかし、そう簡単には復活の時は来ない。そして大事なのはそのギャップ期間の心の持ち方(様)で決まるということ。焦らずに待つとは恰好のよいきれい話です。そんな甘いものではない。

奥さんと喧嘩もし、子供たちに申し訳ないと悔やんでいるうちに必死にもがき、試行錯誤していれば、いつの間にか復活しています。再起、復活という言葉を忘れた頃に再起、復活が訪れます。
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2021年01月16日

乱世、決断できないのは死への道

新刊書の入稿をしたので今週末はちょっと時間ができました。早速、空手の精進です。苦しい戦いは続きます。れいらんの屈託のなさが心を支えてくれています。

3月に67歳になります。自分ではずっと34歳から年齢が止まっているのですが、いよいよダブルスコアの年齢が近づきます。今回のコロナの襲来でずいぶん鍛えられています。

3プラス1合計4の信条を得ました。1.決断すること、2.信じること、3.諦めないこと、そして4つ目は1〜3に反している人と戦わないこと、相手にしないことの4つです。

今日は1の決断するを書きます。決断することの大切さをひしひしと感じています。のっけから人の批判はよくありませんが、新総理がいきなり国民の厳しい批判を受けているのは政策の間違いではありません。決断できないことによる批判です。

あの人はナンバー2向きだという人がいますが、それも間違っているような気がします。政府のナンバー2が官房長官であれば官房長官も自分の職責を全うするために決断しています。仕事をすることにおいて決断しないはあり得ません。

あえて言うならあの方は私設秘書タイプです(公設政務秘書ではありません)。自分を殺して、おやじの意のままに動くロボット私設秘書です。うまくおやじに取り入れば出世しますが、自分の意思で動くとおやじから放逐される。(小此木先生は偉大だった)こういったタイプの国会議員の秘書上がりの地方の県会議員や地方首長がたくさんいます。

決断できない人は人に意思、どうするかを確認してきます。特にどうしたらいいかわからないコロナ禍では。不透明だからと言って人に決断させようとする。それは逃げです。結果が悪くなれば、あの人の指示に従っただけだと人の責任にして逃げます。

平時はそれで生き抜けるかも知れませんが、乱世はそれでは生き残れません。必ず途中で命を落とします。戦国時代生き残った武将はすべて自分で考え、自分で決断して、実行しています。

今は間違いなく乱世です。今日の決断が失敗か成功かわかりません。しかし、最大の失敗は決断できないことです。予測不可能な中でも自分で考え、決断して、信念を持って行動すれば必ずや道は開けます。
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2021年01月15日

今を生き延びなければ明日もない

年が明ければコロナも沈静化し、徐々に仕事も回復して、何とか倒産は免れるだろうと思って頑張ってきましたが、一向にその気配が見えません。ますます、状況が悪くなっています。

このままお上の言う通りにしていたら倒産します。昨年は補助金が出たので生き長らえましたが、もう出ないでしょう。座して死を待つか?仕事を創りに行くか?です。

この場合、私は積極的に仕事を創りに言ったら、世の指弾を受けるでしょうか。でも道は1つしかありません。受注活動をするしかありません。昨日は15年来のお付き合いのある村を訪ねました。

新しい仕事の提案です。旧知の経営指導員は快く迎えてくれた上に私との1時間以上のディスカッションの後に、これはうちでも考えていたよい提案ですと私に恩着せがましいことを一言も言わずに、これから役場に言って今日の提案を話してきますと行ってくれました。大筋は役場も同意してくれたようです。

涙が出るほど嬉しかったです。中止と取りやめの大合唱の中で、前に進むという行動は勇気のいることです。中止と取りやめておけば白い眼で見られなくて済む。行政には執行されなかった行政の予算が山のようにあるようです。でも誰もそれを口にできない。

私も含め、政府と政治を批判します。しかし、自分はどうか?それを言い訳にしていないか?逃げ口上に使っていないか?国を批判しながら、何もしない、手を打たない。自粛という言葉は怠け者にとっては最高の言葉です。

非常事態宣言も飲食店営業の規制をかけていますが、すべての国民の行動を規制しているわけではありません。間隙を縫って進む手立てはあるはずです。

そして、やがてアフターコロナはそんな人材や企業の時代になるでしょう。現在の巣ごもりで特需に狂喜している企業は間違いなく潰れていくでしょう。

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2021年01月14日

仕事が長生きの最良の薬

早朝、徒歩3分の通勤時間は人はまばらですが、見かけるのは掃除婦の人です。また、会社の至近距離にクロネコヤマトの発祥の地があります。ここは今でも配送センターをしています。ここには出るクルマ、入るクルマを交通整理する人がいます。

掃除婦は婦と書いたくらいだからほとんど女性です。クルマの交通整理は全員男性です。共通しているのは高齢者、つまり私よりも明らかに年齢が上の人です。

昔、よく使われた言葉に「完全燃焼」という言葉がありました。プロ野球の人気選手が引退する時に使った言葉で、当時私もかっこいいなと思っていました。

最近は私の心は「燃え尽きてはいけない」に変わりました。完全燃焼は選手寿命の短くてかつ一生分以上稼いだ人の言葉であり、私には当てはまりません。

「燃え尽きてはいけない、自然寿命まで元気に生きることが人生である」と思えてきました。どうすればそれが可能か?答えは1つだけです。仕事をし続けることです。

仕事以外に人生を現役で生きながらえさせてくれるものはありません。しかし、弊害もあります。あの人は老害といわれるようになったらだめです。そのためには組織の中で頂点で君臨するのは弊害です。

一人完結型がよいです。でも一人では生きていけません。近くに仲間がいて、それぞれが自分の仕事を完結してやっている状況がよいです。誰にも命ぜられずに、いや、命ぜられたらその通りにきちんをそれをやる。

一日それをやると達成感がある仕事がいいですね。気持ちが清々しくなるような仕事がいいです。たとえ、いつものようにうまくいかなかった時もめげることはありません。

自ら、ギブアップをしてはいけない。自らもういい、やめたと思った時が敗北、退場です。調子の悪い時は休息すればよい。元気が回復したらまた再開すればよいです。人生にギブアップはありません。



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2021年01月13日

45〜46年前頃の1枚の写真

従妹に年賀状を出していたらメールで戻って来ました。この従妹は私の父の弟の娘で1人娘です。既に年齢も60歳代に突入しています。メールには写真が付いていました。45〜46年前頃、叔父と祖母と出かけて撮った写真です。

叔父に男子がいなかったので何かと息子のようにかわいがってくれました。叔父は農林省の食糧事務所に勤めていました。仕事の関係で現在は名称は変わって統計事務所になったけれど、この名刺をもらうと叔父を思い出します。

その従妹が10数年ほど前に、自分は嫁に行って糸島には住んでいないので、「研二さん、実家の家を買ってくれない?」と言ってきました。それで糸島に行った時に見に行きました。少年の頃、遊びに行っていたそのままでした。

当時は福岡県や糸島での仕事はほとんどなく、私と糸島をつなぐ線が作れなくてそのまま断ち切れになりました。糸島が人気都市になり、従妹の家の近くの私がいいなと思っていたマンションの最上階には最近、タレントのピーターが住んでいるそうです。

叔父の家の裏の浜は、誰も知らないけど、我々だけが知るプライベートビーチといってもよいほど素敵でした。今、そこも「これはハワイの真似事」と言いたくなるほど下品なバーチにデベロップされています(それも従妹が送ってくれた写真で昨日見て知ったのですが)。がっかりしました。

あの時に決断しておけばよかった。でも、老後のために多少準備していたお金もコロナですっからかんになり、今は会社の借金をどうやって返すかで頭は一杯です。

私が最近、頻繁に糸島入りして、糸島でプラニングしている仕事はこのエリアの仕事です。従妹からの連絡で仕事もプライベートも私にがぜんやる気が出てきました。今まで漠然と考えていたものが現実になるかどうかのスタートラインに立ちました。

あきらめないことです。ギブアップした時が負けです。退場です。引退です。戦い続けていれば勝利のチャンスも来ます。女神がウインクすると信じよう。
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2021年01月12日

豊作貧乏は悲しい言葉

世に出てそれが受け入れられるようになると大量生産に入ります。それで価格は安くなり、多くの大衆がそれを享受できるようになります。それが生活の質の向上と言われ、経済繁栄がなされていきます。

農産物の世界もそうです。昭和40年頃までコメは生活必需品なのに供給よりも需要の方が上回っていました。ようやく、需要と供給が逆転して昭和45年から減反政策が取られるようになります。

田んぼを畑にで、園芸作物、特に野菜の振興が盛んになりました。生活野菜の産地化が進んで行きます。玉ねぎ、じゃがいも等日本の家庭料理の先兵となったカレーライス用の野菜の振興が行われました。

中でも玉ねぎ、じゃがいもなどは日持ちがするので都会から遠いけど耕作地が広い北海道で栽培、玉ねぎは季節で産地が替わる産地間リレーのしくみが確立されました。

その後は洋風化路線の主役はサラダが台頭します。当初はサラダに生で食べられる高原野菜として嬬恋キャベツなどが大量生産の象徴となります。さらにいろんな品種の葉物野菜が需要が高まり、消費期限も短く、流通も限定になります。都市型近郊農業が盛んになります。葉物は水耕栽培も確立されます。

たくさん作られると価格も安くなります。ずっと野菜の先頭を走っているトマトは相変わらず、生産量は王様ですがそれを上回る生産者が現れ、大手食品メーカーが生産者団体まで作ってしまったので、価格も需要も下落傾向に入っています。ぶどうではシャインマスカットが席巻し始めました。価格も頭打ちに入りました。今年はもっとマーケットが乱れるでしょう。

中山間地域は耕地面積が狭く、生産条件が不利です。大量消費、大量生産作物は平地部に比べ、ハンディがあります。米が採れないので雑穀、野菜は自生の山菜やきのこ。たけのこ等。

しかし、知恵者がいてこれらの作物が価値があると思えば平地で栽培を始めます。栽培雑穀、栽培山菜等。価格も大量生産によりぐっと安くなります。旬もなくなります。

こんな中山間部に何を栽培すれば、生活できる金額を稼ぐ農業経営ができるのか?面白い時代が来ています。
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