2020年12月18日

変えられないけど認める事はできる

規格というのが加工食品を縛り付けています。確かに規格は大切です。メイドインジャパンは世界で一番規格がしっかりしています。しかし、それは工業製品の場合です。

アートの世界に横一線の規格を求めたら、アートはアートでなくなります。農業はどうでしょう?世界の農業は大量収穫を目指して来たのに、日本の農業は収量アップも行って来ましたが、それ以上に味覚や形や色等の中身と外観を良質のものにしようと頑張って来ました。

でも農産物はアートにはならない。いくら立派な料理人が料理を作っても料理が美味しいか、不味いの腕前のウェイト(影響力)はせいぜい2割でしょう。ましてや、料理のための調味料のウェイトは1割でしょう。7割方は素材そのもの、材料の味です。

名料理人はこのわがままな自然児である材料の特徴を活かせるかどうかが腕前です。しかし、そんなに学力の高い子供ばかりいるわけではない。その一人ひとりの魅力を引き立てられるか?これが名コックの腕前です。それでも美味しさへの影響力は2割は超えません。

JAに出荷しても儲からないと言います。そりゃそうです。統一規格があるからです。それからはみ出すと規格外品になって二束三文というより、引き取ってくれません。別にJAが悪いわけでがありません。JAの先にある需要者がそうなのだから。また、農家もJAに出荷するために農業をしているわけでない。

いびつ、不揃い、色違い、糖度差、軟硬さ、大小さ等人類の農業技術をしても超えられない限界があります。その理由は農作物を育てているのは人間だけでなく、風土、寒暖差、天候、降雨量、土壌等人間が支配できない要因によるからです。

それなら人間の理屈や枠にはめないで、好きに育てる、そして我々の関与はその個性をどう活かすかに徹する。そうすれば楽になります。人間社会もそうです。人を変えることはできませんが人を認め、合わせることはできます。
posted by tk at 08:33| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする