2020年12月09日

器の水が多ければ濁水も薄められる

朝、起きてすぐに昨日の行動を振り返る。馬鹿なことをしていないか?職業上から偉そうなことを言っていないか?できもしないことを人様に提案していないか?実際、恥ずかしいことばかり言って、やっています。でも大して毒のないことばかりだからみんな笑って流してくれると自己弁解する。こんな毎日です。

毎日、自分の生活でもいろんなことが起こります。一喜一憂することばかりです。一番難題は怒りです。すぐ怒ることはろくなことはない。怒らないで過ごすにはどうしたらよいか?

怒りは人様から不快な態度をされて怒るというのは間違いでこっちの問題です。こっちが怒らなければ怒りはありません。こっちが平静でいられるように心の容量を大きくすると怒りは大海に注ぐ濁水にしか過ぎません。ほとんど影響がありません。

小さな器に汚れた水を入れるとてきめんに濁ります。怒りはこっちの容量が小さい時に起こります。もう1つ、濁った水が濁っていると思うので濁ります。この濁り水がきれいな真水と思えば器の水は濁りません。

人生の名人は濁り水も真水に見える器の大きさを持っています。寛大、寛容。しかし、一方で、何でもかんでも濁り水を真水に見るととこっちが死に至ります。その見抜く力と判断力とが優れているのでしょう。

過敏であることは大切ですが、あまり過敏だと生きていけません。起こることを先読みして事前に手を打つことと起こってから考えて手を打つことの2つのやり方があっていいような気がします。その判断力を持ち得ている人が優れた人でしょう。

取り越し苦労は自分の寿命を縮めます。平常はなるべく楽観的に生きる。不安と恐怖の事態がやって来た時は逃げないでしっかり眼を開けて、対処です。それでよいのでは。

それと長く生きていると応援団、仲間がたくさんいます。その仲間が助けてくれます。人間は一人で生きているのではない。



posted by tk at 07:08| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする