2020年06月25日

何事も努力している人には勝てない

昭和30年生まれで今、65歳です。青森県で生まれて、実家は農家でした。8反の水田と1.2町の畑を所有していました。しかし、現金収入の得られる出稼ぎが村でも盛んで、親父は11〜3月までは関東の道路工事の出稼ぎに行っていました。

8反の水田が親父が夏場に田植えをして稲刈りが終わると出稼ぎに行きました。出稼ぎに行っている会社から現金封筒が毎月送られてきてそれが生活費でした。畑は1.2町歩ありましたが、出稼ぎの方が収入になるので母親が生活で食べる程度野菜を作っていました。

親父が出稼ぎ先のマンホールに落ちて大怪我をしてから出稼ぎは止めて、地元で土木工事の作業員で働くようになりました。親父も母親も働きすぎのせいか、60歳代で倒れて80歳を超えて亡くなるまでずっと施設に入っていました。

私は親戚のおじさんが北海道で競争馬の飼育の仕事をしており、それに憧れて、北海道に行こうと思い、高校卒業して定職につかずにその費用をアルバイトで稼ごうと働きました。ガソリンスタンドで働いていた頃、高校の先生が近くによい建設会社が募集しているので行けと言われて就職しました。

40歳で専務になり、45歳で独立しました。入社当時は施工管理から施工、工事まで受注していましたが、手間ひまのかかるフルファンクション機能を捨てて受注だけして実作業は下請けに丸投げ会社になり、業績が悪化しました。

慕ってくれている現場作業員を引き連れ、新会社を起こして、もう20年が経ちました。それから10年後に農業に参入しました。参入したと言っても実家の荒れて鋤き込みだけしてその後はそのままにしている田畑に種を撒く耕作を始めました。

理由は60歳代で両親が倒れて、施設に入れた時に膨大なお金がかかると知って、行政に相談に行ったらそれなりの田畑等の資産があるので国の補助援助の対象者にならないと言われ、それなら逆にその田畑を活かそう思いました。

最初はニンニクを植えました。農業をやり始めたと家族も親戚も近隣の人にも言わずに、気づかれずに始めました。3年目にそれなりの収穫があり、農業開始宣言をしました。

その後、2町歩ににんじんを植えてその種から農薬・肥料、収穫までJAに委託したら私にJAから振り込まれたお金は27,000円でした。これじゃ食えない。それなら自分でやって自分で売ろうと思いました。

現在は産直とネットで販売しています。産直はスーパーのインショップです。毎朝午前3時に起きて、七戸の十和田地域から青森市内まで数店配達します。そして午前8時に戻り、それから仕事を開始します。

サラリーマン時代は健康なのにいつも体調がどこか悪かったのが、65歳にして健康診断でもどこも悪くなく、体調も最高です。農業を始めていろんなものを得ましたが最大は健康です。
posted by tk at 07:26| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする