2020年06月22日

都会からやってきて農業で身を立てる

1979年に東京農業大学に入学しました。学生時代は2〜4年卒業まで横浜の旧家の母屋を借りて4〜8名で合宿生活を行っていました。野菜を栽培してそれを住宅地に売りに行って学費を稼いでいました。卒業して種苗会社のに就職したが、その後、県農業改良普及員で入庁しました。

31歳の時に先輩が農業イベントの案内をくれたので夏休みに行きました。そこで同世代の若手農家と話しているうちに口先だけではだめだ。今すぐ、農業をやれと煽られて、県庁を退庁してこの地にやってきました。 2時間だし、うまく行かなくなっても近くの仙台市で働けば何とかなるだろうと思っていました。

住まいはちょうどよく空き家が見つかり、月3万円で借りました。そこで園芸を始めました。子供が幼稚園に行き始めた頃でこの広さはありがたかった。畑は6反借りました。たばこ農家がたばこの栽培を止めて2〜3年経っていました。

そこで露地園芸を始めました。ほうれん草市場に出荷しましたが、年間100万円にもならず、家族4人食うのがやっとでした。その年、友人のコメ農家が1俵(60kg)コメをくれたのを覚えています。

近隣の農家と3人と組んで無農薬栽培野菜セット販売を始めました。お客様ができ、1000万円以上に売り上げになり、1農家当たり300〜400万円の売上高になりました。しかし、人間関係がうまくいかなくなり、長続きせずに3年間で解散しました。

次第に地元に定着するようになり、トマトを栽培したいと思い、農協のトマト部会に入りました。新規就農の視察を受けました。胸を張って、トマトの話をした3日後、台風の大雨で全滅してしまいました。自然の無常さを感じました。

やっぱり、いいトマトを作りたい、という気持ちは収まらず、トマトを作るためのハウスを増設。研修生や息子たちとほとんど自分で建てました。ハウスは10坪から始まり、それから90坪を、さらに100坪、さらに250坪を建て増ししました。現在は1ヶ所に集中させて、1100坪を使用しています。

現在も借地農業です。自宅からちょっと離れているが、徐々に野菜づくりに適した畑に移動しました。

露地畑約70アールは移住して来た時から同じ面積です。主にねぎ、かぼちゃ、にんじん、ハウスは夏はトマト、冬はほうれん草、小松菜、春菊です。
posted by tk at 05:32| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする