2020年06月09日

農業をするために夫婦で日本に移住

小学生までは日本の学校でしたが、父が外務省勤務でそれから中高大学大学院は外国の学校です。大学と大学院はアメリカです。そこで数学と環境学を学びました。妻はアメリカ人で環境学を学び、当時、結婚したら田舎で2人で農業をすることを決めていました。

アメリカではその場所が見つからずに日本で探したら岡山で里山の古民家が見つかり、移住を決心しました。

当時アメリカで日本語と英語の翻訳の仕事をしていたので日本に移住してもリモートで仕事ができました。結婚したアメリカ人の妻は来日と共に日本語教師になりました。

古民家に住んでパン屋を始めました。そして移動販売車で販売しました。ピザのトッピングはその古民家に付いている2畝の畑で作った野菜を使いました。2畝の田んぼでは自家消費の米を栽培しました。

そのうちに妻が小麦粉アレルギーを発症しました。パン生地をこねる手がかぶれはじめました。また、パンを食べる度に体調不良になりました。

それで次の特産品品目を製造販売を考えなくてはいけなくなり、鳥巣さんの会社(キースタッフ社)の加工特産品セミナーに行ったのはその頃でした。そこでドレッシングやピクルスの作り方を学びました。

パンを焼くための原料を求めて農業をするようになったのではなく、パン屋を始めたのでその材料に自家栽培の農産物を使っただけです。

もちろん大半は仕入れた小麦を使っていました。小麦粉の代替としてグルテンフリーの米粉の存在は知っていましたが、当時の米粉はとても使えたものではありませんでした。

ある日、製粉メーカーの微細粉米粉を知ったのでそれで試作したら小麦粉使用よりも美味しいパンが焼けました。これだと思いました。

これがグルテンフリーのパン製造に入ったきっかけです。今は古民家はそのままにしてパン屋は市内でカフェに業態変更して営業しています。さらにブラウニーを開発して、その製造加工場も作りました。ブラウニーは全国に販売されるようになりました。そっちの担当は妻です。

現在、アメリカもコロナ禍で大変で、みんな個人レベルの農業をしたいと言い出し、日本のホームセンターで販売しているような家庭菜園向けの農業資材がよく売れているようです。
posted by tk at 06:47| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする