2020年06月08日

アレルギー物質・食添フリーソーセージの誕生

薬学部を出て薬剤師になりました。当時、医薬分離で処方箋調剤薬局ができ始めた頃でした。年収も高く、業界自体が守られており、厚生労働省が決めた薬価に従って仕事するだけでそれを守ることだけが仕事の評価でした。

世の中のビジネスはたくさん売れば評価されますが、薬剤師界も同様ですが飲み合わせ等で患者にたくさん飲ませることが決していいこととは言えない業界でした。苦しみました。

当時、キャンピングカーで全国を回っている頃でアウトドア料理に凝っていました。そこで特に薫製に興味がありました。肉の薫製を製造するためには食品衛生管理者が必要です。薬剤師は無条件で食品衛生管理者になれます。これをやろうと思いました。それで会社を辞めました。

最初はチーズの薫製ばかり作りました。これを近くテーマパークで販売していました。よく売れました。それで自信が出て、全国のフェアに出店するようになりました。出張費や出展費用でお金はかかりますが、会社の経営は何とかなっていました。

その頃からチーズ薫製からソーセージ製造に商品を広げました。ドイツのカレーかけソーセージにヒントを得ました。

しかし、ドル箱のテーマパークが入場者不振で閉館しました。それで売上高が1割まで落ち込み、倒産するなと思いました。

経営の勉強をしてこなかったことを後悔して、鳥巣さんの会社(キースタッフ社)がやっていた6次産業化セミナーに年一人、全員を受講させました。

国の経営革新に手を挙げて、事業計画を作成しましたが、計画が認定された頃、会社が債務超過になり、融資が確定していた国の金融機関が逃げました。それでクレジットカードのリポ払い貸付と当時あった高金利のビジネスローンを借りて凌ぎました。

その頃から食と農の関連を考えるようになりました。そして他社のソーセージを分析してみました。卵・乳・小麦のアレルギー物質と食品添加物を入れないで、ソーセージを製造している会社は当社だけだと気がつきました。

それで冷蔵の軽自動車を購入して県内スーパーに商談をかけました。定番は大手ハムソーメーカーなので、こっちは産直コーナーに置いてくれるように商談しました。折からの産直ブーム到来で売り場が活気付きました。

さらに、辛抱強く全国レベルの展示会・商談会に出展し続けました。そうするうちに今度はこだわりスーパーから声がかかるようになり納品出来るようになりました。またそのスーパーの紹介で次の納品できるようになりました。テーマパークが存続していれば今の当社はありませんでした。
posted by tk at 06:27| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする