2020年06月30日

アメレリ連携が今後の生きる道

虚像の人が賞味期限が切れると次の虚像の人が生み出されます。一番いいのは実で生きることです。「でも、虚像の有名人にならないとお金持ちになれません」本当かな?有名人でお金持ちになればなるほど人はケチになります。必ず見返りを求めます。出したお金は戻って来ないと思っていれば幸せな人生も、リターンを求めてお金を渡すようになると不幸が始まります。投資なんかを見ているとそうですね。

ところで昨日はイローカルでフースタの主宰者の佐藤こうぞうさんが来店してくれることになっていました。当初は私を含めて3人の会食の予定でしたが、7名が集いました。新進気鋭の外食店経営者ばかりです。

コロナ禍は経営を直撃していますが、内部留保もあるようでみんな余裕があります。私ごときが外食店の経営の話をしてもちゃんちゃらおかしいので当社が今まで全国で設立して来た加工場をマップに落とし込んで説明したら大受けでした。

東京のというか都会のレストランは何やかんや言ってもそれなりに地方の野菜を調達するルートは持っています。しかし、都会に泥付きとは言いませんが葉っぱ付きの野菜を持ち込んで洗浄、皮むき、カット、選別すると半分はゴミになります。また、その下処理をする場所もありません。

そこで地方の加工場と連携したらというのが私の発想です。全国の現地の加工場から1次加工した農産物等の食材を送ってもらう、現地の加工場は野菜畑の中にあります。そこで必要な農産物を栽培してもらう。しかもそれが全国に所在すると北海道から沖縄まで、それに春夏秋冬の季節を組み込めばそれはそれは素晴らしい食材が揃います。

またレストランは自分のブランドの加工品(自店で提供している料理を加工品にしたもの)を発売したがっています。しかし、加工設備がないのでメーカーに外注すると似て非なるものが、しかも売り切れない大ロットで要求されます。しかし、地方の加工場に頼めば30個くらいからでもオリジナルレシピで製造してくれます。

ではどこで販売するか?自店舗やネットです。昨夜は偶然にも隣の席に全国の加工特産品を取り扱うN百貨店社長やコンビニLの元バイヤーが来てくれていました。ここでお互いの販売(売り買い)ニーズがマッチしました。

農水産業者(アグリのア)と地域加工場(メーカーのメ)と外食レストラン(レストランのレ)と流通業者(流通のリ)の4者(アメレリ)連携ができればこれが可能になります。よい食材、よい加工技術、よい料理レシピ、よい売り方、これですね。
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2020年06月29日

なかなか難しい顧客心理の顕在化

マーケティングという学問はアメリカ発祥なんでしょうか?ターゲット、コンセプト、ブランディング等アメリカ語なんでしょう。しかし、アメリカから高級ブランド商品は何も生まれていません。

圧倒的にヨーロッパです。ブランドはフランス・イタリア、技術はドイツでしょう。日本も頑張っています。アメリカ発のブランディングは大量消費、あるいは大衆消費商品を対象にしています。

人間の行動を突き動かすものはアートです。アートがやがてカルチャーで普及して行きます。そういう意味ではいまだヨーロッパの底流にあるのはローマ帝国時代のアートということになります。だから、ブランドはフランスやイタリアから多くが生まれる。芸術のない国から文化は生まれない。

ターゲットは私の嫌いな言葉です。厳密にいうとターゲットのセグメントの手法が間違っていると思っています。性別や年齢や所得等でお客様を分類して十把一絡(ら)げにするのは間違っていると私は言いいます。新興国アメリカの発想です。

ではどうすればいいんですか?の質問には私なりにセミナー等で答えてきました。自分の欲しいものを開発しなさい。ターゲットは共通の価値感を持つ人を分類、集合して初めて成り立ちます。あなたの指に止まってくれる人がターゲットです。

最近、知り合った人が興味深いことを言っていたので書きます。彼曰く、その同じ価値観を持つ人のペルソナをつくるそうです。また、横文字です。ペルソナは人物像でいいと思います。

そしてそのペルソナの興味・関心、多分、何には関心があり、これには関心がないといったこのペルソナの行動を促すものを絞り込んでいくそうです。つまり、行動の仮説、予測を行います。

それでこの人は何をしたがっている、何を欲しがっているという仮説を立てます。その仮説に基づいて体験型の企画を行います。その企画に乗って来ればこのペルソナの仮説は正しいと思っていいのでしょう。

例えば、田植え体験、稲刈り体験等の企画に参加する人は農業に関心が高いとわかります。そしてその関心を充足するサービスや商品を作れば売れるということになります。

そう言われると農業とその周辺、例えば田舎暮らしの潜在的マーケットは大きいということがわかります。その実験には販売のプロモーションに体験型のスペースを併設すれば効果はなお上がるということになります。
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2020年06月28日

人は自分を認めてくれた人の商品を買う

イベントなんかで実際に販売してみます。いくら説明してもお客様の反応は鈍く、反応がありません。売れもしません。ショックで傷つく人は半人前どころか、0人前です。

四半世紀前に政界のプリンスと呼ばれた中村喜四郎氏は現役国会議員のまま、ゼネコン汚職で逮捕されます。裁判で有罪となり、服役しますが、その後も立候補し続け、何と現在まで無敵の14回当選を重ねています。彼のキャッチフレーズは「党より人」です。

この人が常に「誰も聞いていない場所で演説を続けられるようになってようやく政治家は1人前」と言っています。今でも無反応を確かめるかのように人のいない場所で街宣活動をしているそうです。そこに立って聞いている人は誰もいないそうです。手を振る人もいない。

その人が自力で14回連続当選しているということは選挙民は彼を無視しているのでもなく、聞いていないのでもなく、ちゃんと聞いているのです。だから選挙では票を入れてくれる。そして、選挙民からの要望があれば必ず自らが聞いて、自らが応対するそうです。

何かを売り出してもそう簡単には売れません。お客様の財布からお金を出してもらうのは本当に大変です。ただのサンプルは誰も褒めてくれますが、買ってはくれません。

買ってもらえない落胆の表情が出たら負けでしょう。買ってくれなくても熱心に売り続ける。大半が買う気がない人であることも事実ですが、中には買うかどうが迷っている人も必ずいます。その人の心に入れるかどうか。熱意ですね。

お客様の反応を確かめるように、お客様からの言葉に耳を傾けることも大切です。絶対、無視しない。面倒臭い要望でも可能な限り、対応する。今できなければ帰社してから必ずその回答をする、あるいはサンプルを送る。

お互いの心の通い合い、気持ちが通じ合った時にお客様はファンになって買ってくれます。私はテレビに出ました。メディアに取り上げられましたなんて何の自慢にもならない。お客様にとっては自分だけを認めてくれればよいのだから。
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2020年06月27日

加工食品のブランディングは品質と技術

例えば、シャネルのデニムパンツの価格を見ると200,000円位です。一方、ユニクロのデニムパンツは2,990円位です。価格差は197,010円あります。両方とも見事に経営が成り立っているということはそれぞれにお客様、ファンがいるからです。

では製造原価はどのくらいでしょう?マル秘なので私にもわかりませんが、勝手な想像ですが、前者は10,000円位、後者は1,000円位ではないか?と思います。販売価格から製造原価を引いたのを粗利とすると前者は粗利は190,000円です。後者は2,000円です。

価格差は何か?2つでしょう。ブランド力と品質そのもの差でしょう。一番はなんと言ってもブランド力です。世界の頂点のシャネルブランドのデニムパンツを身に付けると200,000円の価値があるということでしょう。後者を履いていると大体高くて3,000円くらいかなとわかります。

では実質的な品質さはどのくらいでしょうか?前者が10,000円の製造原価に対して、後者は1,000円だとすればその差は9,000円です。たった9,000円の差で販売価格では197,000円の差になります。

しかし、この9,000円の差に技術と品質が込められているのです。安いブランドはたいていが既に中国を通り越して、ベトナムも通り越してミャンマーやバングラディシュで製造されています。

では前者はどこで製造されているか?世界の超高級ブランドのアパレルの縫製はほとんどが日本だそうです。当社社長のお母さんは縫製技術を持ち、もうすぐ80歳なのに現役で世界の超高級ブランドの縫製をしています。アパレルの業界は分業なのでお母さんは縫製の中でも糸が表に出ない内から内へ縫っていく針縫いをしています。この技術はお母さんでなくてはできないそうです。実家に帰るとびっくりする高級ブランドが仕事場に積まれていると言っています。

ここからが今日の本題。では食品業界はどうか?ジーンズで言えばユニクロのレベルです。安く、たくさん作って売る。だから低収益に喘いています。一応商品にはブランドも付いていますが、安売りブランドのイメージばかりです。

中には時々ぎょっとするほど高いものがネットで販売されています。気になって買うと、高いのは価格だけで品質はサイテーというのも蔓延しています。2度と買わない、お客様を裏切っています。

当社が、私が目指しているのは、当社がこれから自ら加工の世界に入るのは、これから当社が地域の加工のお母さんとやりたいのはシャネル化です。でもあの価格で販売できるブランドの形成まではとてもできません。目指すのは製造技術・品質のシャネル化です。

農家には素晴らしい農産物があります。コックさんには調理技術があります。メーカーには加工技術があります。これをうまくマッチングして分業体制を作ればお客様が納得してくれる品質レベルのものが生まれると信じています。最近、やっているのは実はこの準備です。
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2020年06月26日

この仕組みを自由経済とは笑ってしまう

嘘のようで本当の話です。ある村で道の駅に併設する農産加工場を建設しました。この加工場で製造してこれを隣接する道の駅で販売しようという考えです。今年から稼働しています。

しかし、このコロナ騒ぎで道の駅の販売が減少しています。それで加工場で製造する数量や品目数が当初目論見よりもだいぶん下回っています。そこでこの道の駅の運営協議会の幹部メンバーから、こんなに稼働しないものなら潰してしまえという意見が出ました。稼働してまだ半年足らずなのに。

それを言ったのはこの加工場の建設を請け負った地元の建設業者です。建設費用の2億円をちゃっかりいただいている企業の社長です。最初はジョークで言っているのかな?と思っていたら本人は本気でそう言っているそうです。

もう2億円を獲得したのであとは加工場は野となれ山となれ、俺には関係無い。稼働率が低くて村の足を引っ張るくらいなら潰してしまえということらしいです。普通はこの加工場の稼働率を上げるために村のリーダーたちは知恵を絞るのが役目でしょうに。

建設業者がみんなそうではないでしょうが、正直呆れます。行政予算で行われる建設、工事を請け負う建設業者はまだこんな経営がまかり通りのだとびっくりです。大手ゼネコン社員の下請け業者に対する態度、びっくりするくらい尊大です。

建設業界はピラミッドの頂点から幾層にも重なった構造を下々の業者に下りていきます。その間、それぞれが上前(うわまえ)を跳ねるので最後の末端(最下層)の業者は人工(にんく)賃程度しか回ってきません。

現在、社会問題になっているコロナ禍の給付金がある特定企業に丸投げされてそれを数社の大企業が2次受けして、さらに末端へ下りていきます。多分、ゆうに5〜6層は形成され、ピンハネされているでしょう。それは東日本大震災の時もそうでした。原発事故処理業務は7〜8層くらいのピラミッドで末端に仕事が下りていました。

食品業界はどうか?縦の引き算ピラミッドはないですが、横の足し算構造です。農家ーJAー全農ー産地卸売市場ー消費卸売市場ー仲卸ー小売店ー消費者の構造です。農家が10円で出荷したものが消費者には100円で届きます。

いつの世も中間搾取した者が富を得ます。それが自由主義といい、民主主義というのですからおかしいですね。耕さない者が儲けている、ああ情けなや。
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2020年06月25日

何事も努力している人には勝てない

昭和30年生まれで今、65歳です。青森県で生まれて、実家は農家でした。8反の水田と1.2町の畑を所有していました。しかし、現金収入の得られる出稼ぎが村でも盛んで、親父は11〜3月までは関東の道路工事の出稼ぎに行っていました。

8反の水田が親父が夏場に田植えをして稲刈りが終わると出稼ぎに行きました。出稼ぎに行っている会社から現金封筒が毎月送られてきてそれが生活費でした。畑は1.2町歩ありましたが、出稼ぎの方が収入になるので母親が生活で食べる程度野菜を作っていました。

親父が出稼ぎ先のマンホールに落ちて大怪我をしてから出稼ぎは止めて、地元で土木工事の作業員で働くようになりました。親父も母親も働きすぎのせいか、60歳代で倒れて80歳を超えて亡くなるまでずっと施設に入っていました。

私は親戚のおじさんが北海道で競争馬の飼育の仕事をしており、それに憧れて、北海道に行こうと思い、高校卒業して定職につかずにその費用をアルバイトで稼ごうと働きました。ガソリンスタンドで働いていた頃、高校の先生が近くによい建設会社が募集しているので行けと言われて就職しました。

40歳で専務になり、45歳で独立しました。入社当時は施工管理から施工、工事まで受注していましたが、手間ひまのかかるフルファンクション機能を捨てて受注だけして実作業は下請けに丸投げ会社になり、業績が悪化しました。

慕ってくれている現場作業員を引き連れ、新会社を起こして、もう20年が経ちました。それから10年後に農業に参入しました。参入したと言っても実家の荒れて鋤き込みだけしてその後はそのままにしている田畑に種を撒く耕作を始めました。

理由は60歳代で両親が倒れて、施設に入れた時に膨大なお金がかかると知って、行政に相談に行ったらそれなりの田畑等の資産があるので国の補助援助の対象者にならないと言われ、それなら逆にその田畑を活かそう思いました。

最初はニンニクを植えました。農業をやり始めたと家族も親戚も近隣の人にも言わずに、気づかれずに始めました。3年目にそれなりの収穫があり、農業開始宣言をしました。

その後、2町歩ににんじんを植えてその種から農薬・肥料、収穫までJAに委託したら私にJAから振り込まれたお金は27,000円でした。これじゃ食えない。それなら自分でやって自分で売ろうと思いました。

現在は産直とネットで販売しています。産直はスーパーのインショップです。毎朝午前3時に起きて、七戸の十和田地域から青森市内まで数店配達します。そして午前8時に戻り、それから仕事を開始します。

サラリーマン時代は健康なのにいつも体調がどこか悪かったのが、65歳にして健康診断でもどこも悪くなく、体調も最高です。農業を始めていろんなものを得ましたが最大は健康です。
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2020年06月24日

生活のリズム、心の平穏を保てることが人生の勝ち

毎日、山にんじん茶を飲んでいます。事務所にいる時はいつもこれです。厳密にいうと山にんじん茶と私好みの緑茶をブレンドして茶パックに詰めてお湯を注ぎます。事務所にいる時は一日5〜6杯飲んでいます。

山にんじん茶も緑茶もパウチ(袋)に入っているものを茶筒に入れ替えて飲む都度、必要なだけさらに茶パックに詰めます。今朝、茶パウチ(袋)に入っているのを茶筒に入れ替えようとして茶筒を倒してしまい、台無しにしてしまいました。安全無事できれいなところを回収しましたが、それでも半分はオシャカです。

原因はコロナ対策で毎日何回も消毒液で手を洗うので手がカサカサで脂っ気がなくなってしまいました。わかっているはずなのにそれによるミスです。この場合、半分なくしてしまったことを嘆くか?半分回収できたことを喜ぶか?当然齢重ねた現在の私は後者です。若い頃なら間違いなく前者です。

毎日、生きていて生活のリズム、ペースがあります。それが崩れた時が大変です。心やリズムを平静に戻すのが大変です。生きるペース、単位をどこに置くか?例えば本を書く時、200ページ書くにしても、それぞれ文章は原稿用紙2枚〜3分(1000字前後)程度で完結させています。その積み上げが1冊の本になります。

人生100歳。その超長距離マラソンを走っているわけではありません。年で区切ると100回、月で区切ると1200月、1日で区切ると36500日程度です。睡眠は1日最低でも1回はあります。眠っていると記憶がありません。一旦、死んでいるようなものです。そして朝になると生き返る。

人生の区切りを1日に置くと自分のペースやリズムや人生そのものを保ち易いです。人生の勝者になれます。勝者?勝つということは誰かを負かすことではありません。自分が幸せと喜びを感じて生きることができるかです。勝つことは競争することではなく、相対的に自分が幸せでいられるかです。

無競争の世界に自分を置く。毎日髭を剃る時に自分の顔を鏡で見ます。66歳の老醜がそこにいるか、30歳代のお兄ちゃんがそこにいるか、確認するとよいです。まず毎日鏡を見れることを喜ぶべきでしょう。そして自分におはようという。

毎日、元気でいられる、毎日仕事があり忙しい、友人がいて、話し相手がいる、今日も大いに笑える。それが勝つことでしょう。
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2020年06月23日

コロナ禍のおかげで新しく得るもの

桜の花が永遠に咲いていたら誰もきれいだとは思わないでしょう。散るからきれいです。人間も刹那を生きているからこそ人生の泣き笑いがあります。世の中は新陳代謝が前に進めています。

人生、仕事においていろんな企画を考えて提案を行います。あるいはアドバイスをします。それが受け入れられることもあれば相手が拒否することもあります。拒否はまだしも無視されることもあります。心が塞ぎますが、受け入れられなければ、受け入れる人を探せばよいです。

新型コロナウィルスで県をまたぐ行動が可能になりました。こっちは国の方針に従って行動していますが、地域によっては露骨にそれを嫌がる地域というより、人がいます。これまた地域愛に燃えている素晴らしい人なのでしょう。

こっちが行かなければよいだけのことです。歓迎してくれる人のところに行けばよいだけのことです。

こうやって、新規に切り開いた顧客やクライアントは大変貴重な存在です。まさに天の配剤、縁、巡り合わせを感じます。新しい世界が生まれていく感動があります。

それは予め、準備されているものなのかも知れません。何かを捨てなければ、新しいものは入ってきません。まさに自分がそれを必要とする時にそれが目の前に現れます。

コロナ禍でなくすもの、失うものも山ほどあります。3ヶ月の動けない期間はそれを悲しみ、憂いました。しかし今思えば新しいものへの胎動だったわけです。

何もないのに縁を切るのは恨みつらみを残します。コロナ禍で先方から切ってくれたことはまさに幸せなことです。コロナ禍は今までの人生も仕事もリセット、再構築する大きなチャンスです。自分を取り巻く環境が大きく動いています。
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2020年06月22日

都会からやってきて農業で身を立てる

1979年に東京農業大学に入学しました。学生時代は2〜4年卒業まで横浜の旧家の母屋を借りて4〜8名で合宿生活を行っていました。野菜を栽培してそれを住宅地に売りに行って学費を稼いでいました。卒業して種苗会社のに就職したが、その後、県農業改良普及員で入庁しました。

31歳の時に先輩が農業イベントの案内をくれたので夏休みに行きました。そこで同世代の若手農家と話しているうちに口先だけではだめだ。今すぐ、農業をやれと煽られて、県庁を退庁してこの地にやってきました。 2時間だし、うまく行かなくなっても近くの仙台市で働けば何とかなるだろうと思っていました。

住まいはちょうどよく空き家が見つかり、月3万円で借りました。そこで園芸を始めました。子供が幼稚園に行き始めた頃でこの広さはありがたかった。畑は6反借りました。たばこ農家がたばこの栽培を止めて2〜3年経っていました。

そこで露地園芸を始めました。ほうれん草市場に出荷しましたが、年間100万円にもならず、家族4人食うのがやっとでした。その年、友人のコメ農家が1俵(60kg)コメをくれたのを覚えています。

近隣の農家と3人と組んで無農薬栽培野菜セット販売を始めました。お客様ができ、1000万円以上に売り上げになり、1農家当たり300〜400万円の売上高になりました。しかし、人間関係がうまくいかなくなり、長続きせずに3年間で解散しました。

次第に地元に定着するようになり、トマトを栽培したいと思い、農協のトマト部会に入りました。新規就農の視察を受けました。胸を張って、トマトの話をした3日後、台風の大雨で全滅してしまいました。自然の無常さを感じました。

やっぱり、いいトマトを作りたい、という気持ちは収まらず、トマトを作るためのハウスを増設。研修生や息子たちとほとんど自分で建てました。ハウスは10坪から始まり、それから90坪を、さらに100坪、さらに250坪を建て増ししました。現在は1ヶ所に集中させて、1100坪を使用しています。

現在も借地農業です。自宅からちょっと離れているが、徐々に野菜づくりに適した畑に移動しました。

露地畑約70アールは移住して来た時から同じ面積です。主にねぎ、かぼちゃ、にんじん、ハウスは夏はトマト、冬はほうれん草、小松菜、春菊です。
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2020年06月21日

心の抵抗、摩擦、対立をなくし平にする

健康診断でγーgtpの数値がどんどんよくなっていますが、反面お酒を飲めなくなりました。次の日の二日酔いが酷くて苦痛です。それに二日酔いが酷いと心が塞がって、落ち込みます。いっそ、お酒を飲むのを止めようかと思っています。

私は高齢で元気な人に必ずお酒を飲みますか?と質問します。たいていの答えは「昔は飲んでいましたが、今はほとんど飲まなくなりました」です。逆に言えば大量の飲酒を毎晩している人には「高齢で元気な人はいない」ということにもなります。

健康と精神状態とものすごく関連していると思います。つまり、肉体を精神は一体でしょう。大量の飲酒はまずは精神を左右します。躁鬱になります。飲んでいる時は躁(爽)ですが、覚めると鬱状態です。これが続くと間違いなく、自分の肉体を傷つけます。次に他人、友人を傷つけます。そしてみんな離れて行き、最後はますます孤独になり、心身ともにボロボロになります。

お酒は関係なく、仕事をしている時はうまく行く時といかない時があります。仕事は必ず摩擦があります。対立があります。うまく行っている時は高揚しますが、一旦不調になると落ち込みます。

若い時は好調状態を持続して、どんどん積極的に攻めた方がよいです。それだけの知力も体力もあります。しかし、歳を取ると不調な状態、落ち込む精神状態を作らない方が上手に生きることができます。

いわゆる「気にしない」です。なるべく心の気がかりや障害を避けて通る。結果を出さないでそのまま通り過ぎる。相手の言うことを同調する。同調するが協力まではしない。さらには不快なことはさっさと忘れる。上りでも、下りでもない階段を歩く。つまり、階段、通路をフラットにして置く。

歳を取ると物忘れが激しくなります。これは神からの大切なプレゼントです。忘れてしまえば人を恨むことも憎むこともありません。ただそこにいる自分を楽しく生きる。それだけです。
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2020年06月20日

予期せぬお金は人生を狂わせる

ブログを書こうと思って画面を開いたら、昨日の順位がなんと210位、信じられません。こんな好き勝手なことを書いているブログを多くの方々が読んでくれています。実はここ2週間、私はブログで実験しています。

コロナ後に農業や食と農をビジネス、あるいは生活をしたいという人が増えるだろうと思って、その本を執筆しようと思って全国取材をしています。取材先は私の知っている人で私がこの人の生き方はぜひ本にしたいという人を取り上げます。

取材したもののあらましを次の日のブログで書いて、読者の反応を見ています。こういった生き方にブログの読者は興味を示すのかどうか?触りの部分だけですが書いて載せます。その結果が210位ということはニーズは高いということです。

ネットを見ているとコロナ蔓延の頃から地域特産品の販売が増えてきました。スーパーのチラシと何ら変わらない、それ以上に下品な「安い、安い」フレーズが並んでいます。地方に30年近く足を運んでいる私はどの地域にどんなものがあるか、多少わかっています。その私が聞いたことも見たこともない????と思う特産品のオンパレードです。

また、ネットでコロナ後の会社経営はどうなるか?マーケティング手法は?ビジネスモデルは?と言ったコンサル会社の宣伝情報も溢れています。その自称コンサルの名前も実績も聞いたことのない人があたかもプロのような顔で掲載されています。

東日本大震災でも多くのお金が投入され、それを権力に近い東京の大企業が受注して、地域がますます倒壊していくのをつぶさに見てきました。震災で辛い思いをした人よりも、震災後のマネーに踊ってしまった人の方が壊れてしまったのを見てきました。

さて、昨日に全国の往来が解除されました。国のお金が地方に大量に投入されます。虎視淡々と狙っている政商企業が手ぐすね引いて待っています。大震災後のバブル再来でしょう。

地域で農業をすることはその人のライフスタイルであり、その人の人生です。お金とは関係ありません。目くらませのお金がコロナ後の社会と人間をを狂わせないか心配です。だからこそ、しっかりした本を書きたいと思っています。
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2020年06月19日

農業は自己実現であると同時に奉仕である

仕事とは何か?金儲け?日本近代の会社や経済の仕組みをつくった福沢諭吉や渋沢栄一の書を読んでも仕事・事業は金儲けとはどこにも書いてありません.むしろ仕事は奉仕であるという考え方です.

アメリカでは仕事は金儲けという思想が強いように思います.アメリカンドリームとは大金持ちになることです.日本でも事業を成功させ、大企業に育てた人の名言集がベストセラーです。ということは今の日本も仕事=金儲けです。後から道徳をくっつけています。

私が物心ついた頃から大金持ちのなった人は不動産所得、株の大化け、最近ではネットでのビジネスモデルに成功した人です。そして会社を早く売って使い切れないお金を手にした人です。

最近、農業に参入した人を取材しています。農業の世界でリッチマンになろうとしたら生産規模拡大ですが今までの経営手法でした。たくさん作れば、コメがそうであったように政府が買い上げる価格が決まっているので売上高は相当なものになります。

買い上げ制度は無くなりましたが、たくさん作れば生産コストが抑えられて、実入りがよくなるという手法です。でもそれをやると農薬、化学肥料まみれの農産物ばかりになります。あるいは面積の広い国で作ったものが有利になります。

そのためには当然、生産設備や圃場の整備が必要ですが、それは補助金や一部は融資で行います。しかし、農業をすることとたくさん売上高を上げる事はあまり関係ないような気がします。現在、単純掛け算の世界はビジネスモデルとして人の心を動かすものではないような気がします。

農業以外から参入する人の多くは「田舎暮らしが好き」、「幼い頃から農業に憧れていた」と言います。反面、農家出身の人は農家を継承していない人がほとんどです。親が「百姓では飯は食えんぞ」と言っているからです。

実際、霞を食べて生きていけないわけですから、当然対価という商行為は発生します。農産物を販売して、対価を得てそれで生活して、農業を続けます。

取材をしていて共通しているのは農業を「自己実現」としていることと同時に「奉仕」の精神を持っていることです。いや、奉仕の精神ではない、実際に奉仕しています。農業は自己実現であると同時に奉仕です。損得だけではない、人間同士の心のふれあい、絆を大切にしている人が多いです。農業をするということは経済行為の原点に立ち返ることではないととつくづく思います。
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2020年06月18日

二人の夢がピタッと合った時

(ご主人)沖縄の出身ですが、父が転勤族で育ったのは東京です。環境分析の会社に勤務していましたが、地域おこし協力隊の前身の組織の「田舎ぐらしをしてみないか?」に応募して、会社を辞めてこの地に来ました。農業が好きというよりも田舎暮らしをして見たかったです。

農業の手伝いや林業の手伝い、観光イベントで1年間の契約期間はあっという間に終わりました。その後、「気に入ったらここに定住して農業を教えてやる」という師匠が現れて、定住を決意しました。農地を借りて農業見習いをしながら、生活費稼ぎにコンビニやスキー場のアルバイトをしました。

(奥様)私は東京の生まれです。小さい頃から料理が大好きで栄養士の学校に行きました。合わせて調理師の免許も取りました。幼い頃は親の実家の田舎に帰省する友達が羨ましくて仕方なかったです。栄養士で働いている時も同じ種類の作物なのに産地が変わると味がこんなに変わるのはどうしてだろう?と興味津々でした。

当時3泊4日で「田舎で働きたい」募集があり、募集して滋賀県に行きました。その4日間が楽しくて楽しくて。東京に戻ってもまた行きたいとずっと思っていました。すると滋賀県の引率をした人から田植え手植え体験に参加して見ないか?とお誘いを受けて初めて福島県のこの地を訪れました。そしてその年に夏はじゃがいも植え体験、秋は稲刈り体験で3回も来ることになりました。

その時の先生が今の主人です。今の主人がキラキラ輝いて憧れるようになり、お付き合いを始めました。結婚式は東京でしました。その日は2011年3月12日でした。東日本大地震に翌日でした。

一緒に福島県に行く予定が足止めを食らうことになり、週末婚で月に何回か通いました。そして1年後に私も転居しました。当時原発事故の影響で農産物出荷制限がかかりました。

検査した安全な農産物も出荷できません。作物は育ちます。廃棄するしかありません。その状況の中でブルーベリーを出荷できないのでジャムにして欲しいという農家からの相談がありました。

それで加工を思い立ちました。それまではペンション、農家民宿が夢でしたが、加工に変わりました。加工技術は農業短期大学校のカリキュラムを見て通いました。加工施設は栄養士時代の蓄えと「復興六起ふるさと起業事業認定」を受けてその補助金で建てました。加工場はかっての牛舎跡です。

昨年、長女が生まれました。今年2人目も生まれます。育児が多忙ですが、主人と一緒に充実した日々を送っています。
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2020年06月17日

公務員を定年退職後、林業を


40年勤務した農政局を定年を半年残して退職しました。定年延長で勤務することは考えませんでした。人と同じことをするのが苦痛で、せめて退職後は自分なりの生き方をしたいと思っていました。実家は森林業を営んでおり、原木しいたけ栽培と森林組合の伐採等の作業受託をしていました。

両親に後継の話をしたらいい顔はしませんでした。原木しいたけは森林組合に出荷していましたが、価格等であまり林業にいい感じは思っていませんでした。

一人息子なので妻に相談して実家の近くの都市部に住まいを借りて、そこから1時間以上かかる実家に通い始めました。妻は住まいの近くに畑を借りてトマト栽培を始めました。その作業もあり、実家5.5、住まい4.5の比率の生活をしています。

9年前の東北大震災の原発事故で原木しいたけは出荷制限を受けてホダ木は廃棄していました。その後は父が規模縮小して行っていましたが、自分が後継者になるのと共に椎茸種菌メーカーから栽培技術指導を受け、出荷制限も解け他ので原木しいたけの復活から始めました。

父母は89歳と84歳で元気ですが農林作業は無理です。自分でやると決めて始めました。原木しいたけのホダ木はナラの木です。

自家の森林から伐採業者にチェーンソーで伐採してもらって2400本のホダ木を作りました。それに菌を植えつけます。収穫まで3年かかります。

販売先は近隣の都市部の農産物直売所です。系統出荷だと乾燥しいたけでkg2700円の出荷価格、これでは経営は不可能です。それで顧客、ユーザーへの直接販売することでkg8500円の手取りを確保しています。栽培の椎茸は縄文椎茸というネーミングで商標登録しました。

山ぶどうは平成30年に父から引き継ぎました。現在、70本を栽培しています。近くの加工場に委託して山ぶどうジュースにしてもらっています。山ぶどうは剪定作業に興味を持つ人が多く、その人たちと「山ぶどう栽培プロジェクト」を開始して剪定作業の連携を開始しました。

通常の生活は毎日朝5時〜午後7時まで働き続けています。休みはありません。定年後10kg痩せました。椎茸のホダ木作り、草刈り、トマトの定植、山ぶどうの剪定、鹿除けネット張り、DIYで作業台作り、ハウスの修繕等。大忙しです。
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2020年06月16日

40歳過ぎてからの食と農での起業

実家は五所川原で3代続いている理容店です。でも私は弟が理容店を継いでいるので私は衣料品の販売の仕事をずっとしていました。

主人が体の調子を崩し、余命長くないのを察してか、自分の手に技術を持つことを勧めてくれました。一生続けることができる仕事ということで理容師を選び、38歳から2年間理容師専門学校に行きました。それからインターンを経ました。理容師になったのは40歳を過ぎてからです。

その頃主人が亡くなりました、理容師になったもののお客様を得ることができない期間が続きました。当時、理容学校も卒業してすでに2年が経っていました。

理容師は男がほとんどです。自分が女であることを生かして女性に来てもらおうと思いました。理容店と美容店の違いはカミソリを使えるかどうかだけです。理容店は髭剃りをするのでカミソリが使えます。

それを逆手にとって女性に顔そりを考え、それから勤めの利用しから自分の理容店をオープンしました。馴染みのお客様は男性主体から女性に変わり始めました。それから頭皮マッサージや頭皮の中の脂取りのメニューも入れました。

その頃、高齢者の理容に対する期待が高まりました。悩みは薄毛、しみ、女性は肌の荒れです。その解決のためにはリンゴが必須とわかり、青森県産リンゴを使った商品を作り始めました。

そのうちにリンゴの剪定枝と鹿角霊芝の粉末をブレンドしたものが老化防止に効果があるということで石鹸を作りました。「リンゴ美人石鹸」で販売したら大変よく売れました。

すると行政指導が入り、化粧品登録して製造販売していないので製造できなくなりました。それで初めて食品製造に参入しました。最初にレトルトカレーを製造委託して販売してよく売れました。

そのうちにりんごみそを計画しました。おかずみそでこの地域に昔からありましたが余計な具材を入れないでりんごとみそだけで商品化したらこれが大ヒットしてちょうど東北新幹線の新青森延伸の頃で売れました。

この頃から理容師との2足のワラジを辞めてりんご商品開発と販売に専念するようなり、現在に至っております。
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2020年06月15日

子育てしながら農業をする

京都精華大学時代に地元学で後の滋賀県知事になる嘉田由紀子さんの授業でNPO活動に興味を持ちました。また、農業への関心を高めたのはやはり授業で農を目指している環境社会学で槌田劭先生の授業を受けて有機栽培、自然農の農業をやりたいと思いました。

また、幼い頃から母が健康に関心が高く、アトピー等で病院に頼らない食事を家族に食べさせてくれたのも影響しています。

大学時代の自然保護活動のサークルに入っていました。シキタ純さん「be good cafe」の「自然農と野菜を求めて」のイベントにも参加しました。

就職は自然や環境が好きなのでアウトドアの会社でした。キャンプ用品や釣り用品をインターネット販売している会社でした。
 
5年間働いて、退社しました。それから一般財団法人で1年間働きました。コミュニティが行政の課題を解決するという活動をしていました。ここで川のごみ調査や子育て調査等好きなことをしている人とのふれあいは楽しかったです。

結婚してそこを辞めました。そして、出産、子育ての生活になりました。そこで子供をよい環境で育てたいと思い、家庭菜園等キーワードを検索すると豊能町が出てくるのでその近くの箕面市箕面森町に居を求めました。
 
早速、豊能町高山で「ふれあいファーム」という定年後のサラリーマン達約20名で行なっている家庭菜園があるのを知って、子供を連れて参加しました。
 
やがて高山地区に棚田管理一・四会があるのを知り、もっと農業・農村を知りたい、こだわりの栽培の高山棚田をみたかったとで訪ねました。子供連れで通いました。自分が欲しいレベルの作物がつくれるようになってきたので自分でやりたいと思いました。

ちょうどその頃、豊能町役場がとよの新規就農塾を開催していたのでその塾の第2期生で入りました。(※当社団法人エクセレントローカルが豊能町から受託している新規就農塾)ここで1年学んで、丸2年経って、棚田を借りました。
 
販売はかって勤務したアウトドア会社主催の月2回の農産物直売会に出店して農産物と自分で製造した加工品を販売しています。

2週間に一度は自宅の前にテントを張ってテーブルを置いて販売します。徐々にお客様が期待してくれるようになりました。インスタグラムでとどろみ(止々呂美は地名)舎を出店して販売しています。

自分は自由人であると思っています。自分が収穫したものを自分や家族が食べるこの行為は一体であり、それを自由にできるような環境になりたいです。
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2020年06月14日

この話はフィクションかな?

最近、仕事の関係で熊本県荒尾市に行く機会ができるようになりました。福岡県と熊本県の県境に熊本県側は荒尾市、福岡県側は大牟田市です。でも県境はないに等しい1つの都市です。一般的には大牟田市がよく呼称されます。

ここは三池三井炭鉱があったところです。私は福岡県出身なので高校、浪人時代の年齢まで糸島の実家に住んでいました。物ごころついた頃の西日本新聞には既にピークは越していたとはいえ、三井三池労働争議の記事が載っていました。

この頃から社会問題化する公害事件で世界中を震撼させた水俣事件、もう少し後には沖縄返還問題と長崎県佐世保への原爆搭載空母エンタープライズの寄港デモの事件を憶えています。

この三井三池労働争議を書いた「血の底のヤマ(西村健著)」を読み始めたら実に面白い。こっちも新刊の執筆に取り掛かったばかりなので人様著書の本を読んでいる余裕はないのですが面白いです。

この中に警察、刑事が犯人を特定する場合の被疑者や関係者との心と言葉のヨミ、やりとりが出て来ますが、実に興味深いです。

自分の事件を思い出しました。私は27年前に会社をクビになりました。懲戒解雇というおぞましい退職でした。私を話をでっち上げてクビに追い込んだのは中途入社の元警察官で当時は総務部勤務40歳代でした。私を調べる時に「警視庁の元課長だった」と言いました。今思うと私に完全な嘘のバイアスをかけていました。

後でこの男が逮捕された時に週刊誌で知った経歴は「都内の交番の巡査」だったと書いてありました。詐称していたわけです。その後に私事で首の骨を折って身体障害者になり、その採用枠で会社に中途採用されたと知りました。が、当時はそんなことは聞かされていません。

この事件が持ち上がった時の担当役員も担当部長もみんな私のかっての上司です。何故彼らが私を助けてくれなかったか?不思議でした、それは後で懇意にしている新聞記者からおかしいでしょと言われましたが。その時は俺も仕事でやり過ぎて敵を作ったんだろうと反省して、妙に自分に言い聞かせました。

「何故助けてくれなかったか?」この本を読んでわかりました。私の事件を一番恐れていたのはその担当役員と関連役員ということが。このお巡り上がりの社員が重役達にお前達のスキャンダルを掴んでいるぞと匂わせていたことです。

私のことはでっち上げですが、役員達はカネとオンナではヤバいのがたくさんいました。この男は私をでっち上げ、この重役達を脅した。それで私をクビにすることで自分たちを突かないで欲しいと暗黙の取引をした。

その後、この男が株主総会対策で総会屋に巨額の金を渡し、かつ自分も2桁億円の金を横領していたことが発覚して逮捕されました。その時に一番胸を撫で下ろしたのは悪行をやっていた重役達のはずです。

この連中がこの株主総会利益供与事件の後に私に近寄って来る、来る。何故か?後ろめたさのためか?と思っていましたがそれも違います。この総会屋が消えた後に事実を知るのは私だけになったので私への機嫌取りにです。

その頃、かって最も尊敬していた上司、この事件の担当役員から「お前があんなことするはずがない。俺はあの時にお前を庇ったんだぞ」と言われた時はこの人こそ俺を一番認めてくれている上司だったと信じ込みました。しかし、この本を読んでわかりました。私を売ったのはこの男だと。そう思うと釈然としなかった事が全て腑に落ちました。

27年前の話ですが、この悪どもはまだほとんど生きています。
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2020年06月13日

書いてあることは嘘とは思いたくないが

今朝は東京は雨です。もう梅雨に入ったのかも知れません。早朝、来週からのJR東日本のチケットを買いに行きました。今週は西日本、来週は東日本です。みどりの窓口カウンターに2名が座っていました。休日早朝なのと自粛なので客は私一人です。

手前のスタッフはいらっしゃいも言わず、かつ下を向いたまま私を無視です。向こうのスタッフは立ち上がって大きな声で「いらっしゃいませ」。距離からすると手前の方が近いですが、私は向こうの人のところへ行きました。

手前のスタッフにチケットを発券させるとミスをするのがわかっているからです。私の長年の経験から表情と態度を見ればわかります。要はやる気がないのです。向こう側の人に頼んで正解でした。

これでもこの手前のスタッフがミスしてもJR東日本では特に注意もしなければ、彼が叱られることもありません。向こうのスタッフはこれだけ立派に気持ちよくやってくれてもそれで給料が上がることはありません。

手前のスタッフのミスを怒ると怒った私が怒った分だけ損するだけです。気持ちが不快になった分だけ損します。おかしいと思いません?

ネットを開くといろんな情報が入って来ます。自己PR、自社パフォーマンスのコンテンツもたくさん掲載されています。最近、この大半は嘘なのでは?と思っています。

食と農に関すると私はこの業界は長いのでたいてい真贋がわかりますが、名前を聞いたこともない企業が立派なことをシャーシャーと書いています。また、新規就農セミナーも聞いたこともない講師陣がイケメンぶってホストかモデルかって格好で写真に写っています。

ネットは余程のことがない限り、詐欺で訴えられることはありません。これまた致し方ないのかも知れません。じゃあネットビジネスで成功した人がみんなこんな人間か?そんなことはないと思います。逆でしょう。実際、会うと誠実で魅力的な人なのでしょう。だからビジネスがうまく行った。

ネットでサークルを募集するサイトが増えています。とても入る気がしません。しかし、人生は友達探しの旅です。テレではなく、実際にそこに赴いて、息遣いの聞こえる距離で親しくなりたいです。


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2020年06月12日

線香花火をつくるために米作りを

この地域に6軒の花火製造元がありましたが、今はうち1軒だけになりました(全国では愛知県にもう1軒あります)。花火製造には打ち上げ花火と玩具花火があり、この地域は玩具花火製造業ばかりでした。

子供が花火を知らないのと花火をする場所がないのとで玩具花火は衰退の一途でした。特に国内の製造業者は激減して、たいていが中国で製造したものを販売問屋が仕入れて販売しています。

近くの八女市の親戚が当時唯一の線香花火業製造所でしたが、その叔父が廃業する時に、「線香花火の配合を覚えておけ」と教えてくれました(当時、当社は玩具花火製造所)。

線香花火の配合の奥は深く、線香花火に火をつけると4段階の花になります、最初は牡丹(ぼたん)、次は松葉(まつば)、そして柳(やなぎ)、最後は散り菊です。この配合が難しいです。

叔父から技術取得と自分の技術を作るのに丸1年かかかりました。毎晩、作業所で火薬で真っ黒になりながら夜明けまで没頭しました。明け方、帰ると妻から毎晩何しているの?と不思議がられました。現在、我が国で線香花火を製造しているのは当社だけです。

東の線香花火は持つところがこよりで「長手牡丹」、西の線香花火は持つところが藁(わら)です。現在は両方を製造していますが、この地域は「スボ手牡丹」わらが主流です。

このわらは昔、おかいこさんを飼っている頃は上部の柔らかいところはかいこ用ほうきに使われ、下部の芯のあるところが線香花火の取っ手に使われていました。

北朝鮮から輸入していましたが、5年前から輸入できなくなり、スタッフ全員パニックってしまいました。それで自ら、農業に参入しました。4反歩の田んぼを借りて新規就農しました。米作りの先生は近くの農家の人たちです。

ワークショップで「花火のつくり方」の依頼が多いです。花火のストーリーを伝えるとみんな買います。販売先はセレクトショップのようなライフスタイルショップが多いです。

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2020年06月11日

カフェをやりたくて農業へ

私は福岡市出身で東京の大学を出て不動産会社に就職しました。その新人研修で石川県小松市の航空自衛隊での研修を受けた時の教官が今の主人です。交際が始まって1年後に結婚して会社を辞めて、東京から小松市に引っ越ししました。教員免許があったので学校の先生の職を得ました。

その時から将来は漠然と農産物を活かしたカフェをやりたいと思っており、休みの日は石川県の農家やカフェを回りました。

結婚して初めて熊本県の主人の実家を訪ねたら、主人の祖父が荒尾競馬場の競走馬の育成をしていたことを知りました。現地を訪ねたら、20年前に廃業して朽ちかけた厩舎と荒れ果てたパドックがありました。

その時にここで何かできないかな?と思いました。そこで浮かんだのが将来の夢のカフェ。そのカフェの食材をここで作ろうと思いました。農家をやると主人の両親に打ち明けたら、両親も親戚一同大反対でした。大反対を押し切って、これ2人とも仕事を辞めて主人の実家に戻って来ました。

経済的な蓄えも小松時代での貯金では足らずに、熊本に戻っても1年間教師の職を得ました。主人は農業大学校の週2日の一年コースで農業の勉強を始めました。

戻ってすぐから荒れ地と化した60アールの農地に手を入れ始めました。そして、念願のイタリア野菜を植え始めました。退職したのが2012年の3月で、農業を始めたのは4月からです。

野菜は思い通りにはできませんでした。現金収入が欲しいのでできた野菜を使ってホットサンドを商品にして移動販売車で各地域で週末行われるイベントで販売しました。

さらに売り上げアップのために加工食品の開発を始めました。加工技術は農業大学校の加工担当の先生にその都度相談しました。販売はSNSを活用しました。今はインスタグラムで発信して得たお客様が主です。ベースのネットショップを開店してから注文が来るようになりました。

そうしているうちに主人の農業技術もアップして次第に野菜も美味しい野菜が栽培出るようになりました。農法は当初から無農薬、無化学肥料です。今でも毎日が農法の試行錯誤です。

次第にイベントで知り合ったシェフ達から野菜の注文が入るようになりました。現在は200種類の野菜を栽培しています。
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