2020年05月09日

水草を掻き分けみれば底の月ここにありとは誰が知らなむ

「水草を掻き分けみれば底の月 ここにありとは誰が知らなむ(もともと池の面に映るべき月が、水面を覆っていた水草のせいで映っていなかったのが、その水草を掻き分けて初めて月が映った。今までの迷いの観念にとらわれていたのが、それに気付いてそこから脱したら、初めて今まで見えなかったものが見えた)」(甲野善紀 進化の過程)

氏は作家であり、古武道研究家です。この本はDVD付きでそれが目当てでずいぶん前にAmazonで買いましたが、DVDは見ていなくてこの本もほとんど読んでいませんでしたが、何故か上記の部分だけが眼に入りました。

新型コロナウィルス禍でいろんなことを考えます。世間では仕事のやり方が変わるとか人生のライフスタイルが変わる等いろんなことが言われています。私は「意外にもただ昔に戻るだけなんじゃないの」派です。2〜3ヶ月のこの程度の苦しみでは人間はなかなか生き方を変えられません。

その難事が自分だけに降りかかったなら人間はそこから大きく成長するでしょうが、今回は社会現象として起こったことなので辛い思いはしているけど、「赤信号みんなで渡れば」の感は拭い去れません。

何故なら、人の責任にしているから。やれ政府が悪い、やれ医療機関が悪い、やれ感染者がけしからん等他人の責任にしています。これだは人間の生き方の根本は変わりません。

上記の道歌(と言うらしいですが)は心に刺さりました。コロナ禍のおかげで今まで自分の心にかかっていた水草を払い除けることができそうです。「心にかかっていた」とは弁解、言い訳ですかね。はっきり書くと意図的に自分の心にかけていた水草、わかっているけど見て見ぬ振りをしていた水草を払わざるを得なくなりました。

逃げられなくなりました。隠せなくなりました。そして覚悟して見てみると確かに水底の月が見えました。そしてその月は実に綺麗でした。迷いが吹っ飛びました。これから何をすべきかの心が固まりました。

よく私が引用する新約聖書から「新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れよ。そうすれば両方とも長持ちする」が改めて思い出されました。講演では何百回も喋っている言葉ですが、自分ができていなかった。さあ今からでも遅くない。水の底の月の綺麗さを信じて、新しいぶどう酒を新しい革袋に入れよう。



posted by tk at 07:40| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする