2020年03月26日

今の自分が自分が生きてきた人生の表現

ブログの順位を見ていると面白い現象があります。自分が思ったことを感情そのままに書いた時とテーマをちょっと調べて自分なりに論理を組み立てて書いた時と次の日の順位はどちらか高いか?前者です。鳥巣研二の喜怒哀楽、生き方を書いた時の方が読んでいる人の評価が高いです。自分では少し書き過ぎだと反省多々なのですが。

では今日も調子に乗って書きます。世の中は「言い訳」、「弁解」、「取り繕い」、「ええ格好しい」で生きている人が意外にも多いです。自分をさらけ出すことをしない人が多いです。

自称経歴を聞いていてもそうです。「実家は3代目前までは大金持ちでしたが、祖父の代に事業に失敗して」とか「大学を目指していましたが家業が不調になり」とか「会社の理不尽な待遇が許せずに」とか「昔やんちゃやっていて勉強しませんでした」とか聞き苦しい自己正当化はたくさんあります。

私は経歴を聞かれると「百姓のせがれ、2浪の末に大学へ、39歳でオンナで会社をクビになり、女房とも不仲になり、61歳でバツイチ、創業した会社も多額の借金を抱えています」です。これが本当です。

本当のことを言うといいです。以降も嘘をつかなくていいですから。また、私の経歴を聞いての親しくしてくれる人かどうかこっちから相手をテストしています。

私の講演や仕事の受注時に経歴書を求められます。「経歴書」など何の意味も価値もありません。歴史も偉人の人生もメディアで取り上げられる人も間違いなくみんな経歴を改ざんしています。偉くなると自分の虚構の中で新たに嘘経歴が作られていきます。

偉人ではない我々社会ではまず人様はそれほど人の過去など見ていない。どうでもよい。自分のことで精一杯なのだから。その人が自分に何をしてくれるか?この人と仕事をすると互いにどんなメリットがあるか?そんなことでしか見ていません。

要は経歴をとっぱずして残った眼の前の素(す)の人間しか見ていません。今がすべてです。過去も生い立ちもすべて今の自分に込められています。これが生きた歳月のその人の価値なのです。今は日々努力、精進して来たことの表現であり、それがそこにいるのです。毎日を誠実に生きること。それ以外に人の評価を得る方法はありません。
posted by tk at 07:50| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする