2020年03月23日

昔は社会という学びの場でみんな成長した

この時期になると電車の中吊り広告である予備校が「何で私が東大に、京大に」が始まります。そしてそのモデルは多分その学歴を得るためだけに人生の運と能力を使い果たしたであろう若者が天下を取ったような笑顔で載っています。

最近は「何で私が医学部へ」も増えてきました。医者の志望が増えています。なぜなら年収がよいからです。国家財政の半分にも迫ろうとする医療福祉費は医学業界、製薬会社の草刈り場と化しています。同時にその予備軍の医学生教育機関も熱いものにしています。

併せて家系の教育費も増大しています。子供全員を大学まで卒業させようとするとそれこそ親が医者でないとできないくらいお金がかかります。医療福祉費と教育費の2つの巨大産業で先進国のいずれも沈没しそうです。それをあざ笑うかのように新型コロナウィルスが登場しました。

だれか言っていました。昔は中卒か、高等小学校卒しかいないので(大卒は1〜2%)15歳前に社会に出ていたので寿命が50〜60歳でも40〜50年は社会で働いていた。しかもほとんどが中卒か小卒なので学歴社会も存在しないし、学歴コンプレックスもなかった。

まったくその通りで社会が教育機関、学校だったわけです。体と工夫で仕事を覚えたわけです。受験に偏差値をいうものが生まれて世の中がおかしくなりました。人間の評価は学校の偏差値でするようになりました。教育=偏差値さらにおぞましいのは偏差値=人間になって教育が崩壊しました。

人生が90年になっても30歳まで学校にいて30年働いて、60歳以降30年は年金と福祉の社会保障にお世話になるのですから、社会という学びの場を失ってしまった現代人がいろんな適応障害に直面しています。人生のたった1/3しか人間としての社会活動をしないのだから。

うちのれいらんは学歴0です。でも見ていて感心するのは危機に対する本能的な忌避・回避行動。それさえあれば生きられる。それこそ己の実力で。これこそ野生で生きるために一番必要な能力です。動物はそれを持っていて、人間はそれを失いつつあるということは人類は確実に滅亡に向かっているということです。
posted by tk at 07:48| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする