2020年01月01日

暖房つけるより明かりを灯した方が暖かい

夜明け前に、寒くて目が覚めます。明かりを点けます。暖房はまだ入れていないのに、明かりが灯っただけで暖かくなったように感じます。不思議ですね。一隅を照らすともしびは冷え切った人の体と心まで暖かくします。

食事をする時に、何を食べるか?ではなく、誰とたべるか?です。寂しい財布でも、粗末な食事でも好きな人と食べると食事は楽しくて、満ち足りたものになります。

暖房も食事のお金も自分のためだけに使おうと思うといくらお金を持っていても足りないし、不安になります。富は人間の心を貧しくします。

今年3月で66歳になります。早生まれなので同級生はみんな67歳です。物心ついた頃、祖父は明治35年生まれなので、私が小学校に上がった頃、60歳ということになります。祖父の記憶があるのは庭で薪割りばかりしていた姿です。仕事もしていなければ、農作業もしていませんでした。

私は父親の29歳の子供ですから、親父が60歳の時は、ちょうど31歳でした。親父はこれから百姓だけでは飯は食えないと早々と決断して、サラリーマンになり、我が家はいわゆる兼業農家でした。

60歳で定年退職して、亡くなる26年間は庭いじりばかりしていました。26年間、庭いじりしてでも尽きないくらい庭が広いとも言えますが。祖父の薪割り、親父の庭いじり、この2つが2人になければ2人は60歳以降を何をして暮らしたのだろうと?ふと思う歳になりました。逆に言えば今の私の薪割りと庭いじりは何をすることなんだろう。

私はまだ現役で仕事をしています。若いつもりでいますが、仕事の相手は私より年下ばかりです。同級生か年長者は地方自治体の首長か創業者の社長ばかりのわずかになりました。

62歳で代表の座を降り、無役になりましたが、相変わらず仕事をしています。私がスタッフの仕事の領域に口を出す気はないし、出していませんが、絶対的なスタッフ数不足で、年寄りも私もしなければならない仕事がたくさんあり、それをやっています。キリがないですね。

後の人生、体を大切にしながら生きても残されているのは20〜30年です。この残された人生を自分のために使おうと思うと足りません。ずっと不老長寿で生きていたいです。

しかし、この人生と同じ考えで同じ行動をしている仲間と一緒に使おうと思うと充分過ぎるくらい充分な人生が残っています。仲間・同志そして自分のために使えばこんな幸せなことはありません。そんな人生を生きていきたいと思っています。

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い申し上げます。
posted by tk at 10:13| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする