2019年12月31日

働き方改革なので夜はジムか空手を習いに行こう

フェイスブックを開いたら、4年前の写真が出て来ました。痩せてる、痩せてる、痩せています。体重が60〜62kg程度でした。最近は太っている、太っている、太っています。体重計に乗ると71〜72kgです。

ここ4年で体重が10kg増えました。8年前には76kgありました。健康診断でいつもγーgt、中性脂肪、時折、血糖値と尿酸値も上限ぎりぎりまで迫っていました。、不整脈・心房細動と脂肪肝が指摘されていました。

それでウオーキングとダイエットで減量を始めました。よく歩きました。悲壮なくらい歩きました。それで一時は60kgを割るところまで行きました。体調もよくなり、健康診断の数値もよくなりました。持病になってしまった心房細動以外の脂肪肝等も消えました。

それから月に10日くらいの断酒を始めました。そして4年前から空手を習い始めました。断酒のおかげでγ−gtは劇的に改善しました。

同時に空手を始めて、空手と共に筋トレを始めました。狙いは空手が上手になることと肩甲骨を鍛えて猫背を治すことでした。空手の腕前はさっぱりですが、着々と筋トレは効果が出て、胸板が厚くなりました。

60kgまで体重が落ちた時は洋服のサイズがSまで小さくなりましたが、Mに復活して最近はLです。そして体重計に乗ると70kg超えです。ベルトはと言うと4つ目の穴に入れていたのが、現在3つ目です。10kg体重が増えたのにお腹周りはベルトの穴1つしか増幅していません????

全体が大きくなったのでしょう。前の76kg時代の肥満とは違うようです。実際、健康診断の数値が物語っています。10kg体重が増えたのに数値はγーgtが測定始めた以来の良好数値を示しているのと他のスコアも全部正常値です。

これはなんといっても主治医の谷先生のご指導の賜物によるものです。肥満と体重はあまり関係ないようです。体全体に対する脂肪と筋肉の比率で、疾病率、生活習慣病の発生率が決まって来るのではないかと思われます。

最近、若者を中心にジムに通うのが流行っています。働き方改革で午後5時に会社を追い出されると飲み屋だったのが、ジムに向かっています。ジムで鍛えて、暴飲暴食は週末1日だけ、そんなライフスタイルがここまで来ています。

ジムでなくても空手も十分効果があります。会社を終わると夜は空手で鍛える、女子にとっては最高の護身術なのでさらに効果倍増です。みなさん、空手をやりましょう。
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2019年12月30日

農家と共に戦い、共になき笑う

講演をする時に具体的な事例を挙げて欲しいと主催者から要望があります。もっともなことです。人の話を聞くことはあまりないですが、新米のコンサルや講演者がしゃべる時の事例はほとんど第2次情報です。メディア報道や資料・研究発表論文からの抜粋です。

それを謙虚に喋ればよいのに、あたかも自分がやったことのようにしゃべっているのを聞くと笑って噴飯ものです。でも私も開業期はそうでした。講演前はいろんな資料を集めて調べてしゃべっていました。

現在、当社は私のみならず、うちのスタッフも全員事例は当社が手掛けたものです。成功事例も失敗事例もすべて当社が受託してやった事業です。自慢に聞こえますが、これが当社の同業者と当社の違うところです。

成功は表裏一体で失敗もくっついています。成功はいつでも失敗につながる危険ははらんでいます。失敗も同様です。それを逆手に取って成功に導くこともできます。それがコンサル業の真価です。

クライアント(農産加工のお母さん達と地方自治体や民間企業等)から先進地視察に行きたいと要望があります。これも自分で手掛けた事例で食と農に関する先進地視察ができるのも当社くらいではないでしょうか?

四半世紀の歳月は自然にこの当社の強みを作り出してくれました。ポイントは現場に入ること。一緒にやること。共に泣き、笑うこと。こっちが持っている人脈は惜しみなく、出してつないであげること。予算がない時はお金をいただかないこと。

お母さん達が料理を振舞ってくれる時は大いに食べること、お腹がはち切れるくらいに沢山いただくこと。「私ダイエットしているのでそんなに食べられません」なんて言う人間は食と農のコンサルは失格。地下足袋履いて出直して来なさい。

お母さん達ががっかりしたり、落ち込んでいる時は笑って、元気にしてあげること。共に戦うこと。農家の幸せは我々の幸せであり、我々の喜びは農家の喜びでもあります。

巨万の富や名声を得るためにやっているのではありません。一緒に泣き笑うことが最大、最高の成果であり、我々が報われることなのです。食と農に人生を賭けたいのならそのくらいの覚悟をして入ってくることです。
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2019年12月29日

忘年会が大いに盛り上がりこんな嬉しいことはない

一昨日の宮崎食品加工センター食品加工技術アドバイザー研修の忘年会も盛り上がりましたが、昨日の当社の忘年会も盛り上がりました。年末重賞レースの有馬記念で当てた人もいれば、負けた人もおり、悲喜こもごもでしたが。賭け事は生活費をかけたら必ず負ける。

何故、盛り上がったか?特に若手がすごい勢いでした。8名で1次会、2次会で飲んだワインは10本をゆうに超えていました。会社を動かしているのが彼らである証です。62歳で社長を降りて、4年かかりましたが、完全に平均年齢が30歳前半の会社になりました。

当社は向こう20年は高齢化の心配は要りません。このまま会社に在籍してくれればの話ですが。黒字なのに事業継承ができない、後継者のいない会社がいっぱいあります。当社は入社したいという人が沢山います。

私に関すると今年は忙しかったです。社長を降りてから経営には口を出さないようにと思ってなるべく関与しませんでしたが、今年は大いに関与しました。ただし、代表取締役時代の業務はしておりません。それは野口社長の専管事項です。

私はキースタッフ社の総合経営戦略を考えて、会社をそれに向けて動かすように行動しました。これだと現スタッフの仕事とは別の次元で仕事ができます。

あるところから仕事をいただいたら、営業担当は、次の新たなクライアントを求めて、仕事を取りに行きます。これが間違いです。初めて仕事をいただいたらじっくりそれをやって、評価いただくまで腰を据えることです。言葉は悪いですが「食い散らかさない」ことです。

新しい仕事を企画提案して、受注して、それなりの実績を作り、信頼を得るには3〜4年かかります。そういう意味では経営を若手に委譲して、その体制で仕事が取れるようになって来たということです。

経営資源がヒト、モノ(仕事)、カネだとすると今年はカネは昨年・今年はカネは相当使いました。私と社長は金策ばかりしていました。そしてモノ(仕事)は創り出すものだと覚悟して活動しました。

そして、結果、ヒトが成長しました。有能なヒトさえいれば会社は回ります、成長します。そんな自信がスタッフに出て来たので昨夜は大いにみんな楽しんだのだと思います。
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2019年12月28日

これからの食品マーケティングは制約の中の美

昨日は宮崎県食品開発センターと一緒に取り組ませていただいている加工食品技術講習セミナーの忘年会でした。当社が農漁業者や一般生活者へ食品加工技術を公開して、支援しているのと同じで、当センターも宮崎県内に加工食品技術を教えて加工食品の開発のできる人材育成したいという目的で本セミナーを行っています。セミナー受講者は12名ででうち男子は70歳を超えるレストランシェフが1人だけであとは全員女子です。

宮崎県食品開発センターは全国に先駆けてフードオープンラボを建設して、県食品事業者開放の食品加工場も設立しました。このセンター所長は大胆な施策を打ち出して来ます。世の中に頭のよい人はいますが、合わせて実行力のあるのはこの人くらいです。

今までの加工食品業は規模拡大・売り上げ増・利益増等拡大=成功でした。どこまで大きくすれば成功か?それもない限りなく拡大でした。それを流通業にも言えます。限りない拡大路線です。

そのための手法は「何でもあり」でした。たくさん製造したものをなるべく日もちさせるためには食品添加物使い放題、味の補強にも食品添加物使い放題、原料も産地は問わず、世界中から集める。しかもたくさん売るためには安くつくるので原料の品質よりも、安い原料の調達、原料生産者が死のうと生きようととにかく買い叩く等です。そしてそのマーケティング手法は崩壊しました。

これからの食品マーケティングは「制約」です。あらゆる制約の中で食品業の経営を成り立たせるにはどうしたらよいか?いろんな制約の中で商品開発をして、魅力的な商品を生み出す。「制約があるからこそ魅力が生まれる」、「制約があるから知恵が出る」です。

「日持ちしない」でもよいのです。「この価格でしか製造できない」等でもよいのです。それを超える魅力があれば。「制約」を「魅力」に変えられるかの競争です。それを認めてくれて愛顧してくれるお客様を獲得した人が成功します。

自分のマーケティングは10販売するマーケティングである、あるいは100製造するためのマーケティングである。その製造販売供給規模と需要の一致を見つけた企業が生き残ります。自分の魅力を購入者に認めてもらったものが成功者です。

昨日の忘年会でも苦境に立っているスーパー業界がバイヤーを全員女子にしたら復活してくるだろうなという話が出ました。
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2019年12月27日

自分が九州出身であることに大感謝

昨夜から九州に入りました。博多にいます。12月になって3度目の九州です。1月のスケジュール表を見ると1月も3回やってきます。私の出張の半分近くが九州になりました。

当社は平成5年に起業して平成16年に加工特産品開発読本の出版が仕事の範囲が全国になるきっかけになりました。その頃までは中小企業診断士を主としてとして主に群馬県と千葉県の仕事でメシを食っていました。

農産加工支援の仕事が増えるにつれて東北の仕事が増えて行きました。と言うよりも東日本の仕事が増えて行きました。東日本大震災が起こった頃は6割がたが東北・関東の仕事でした。宮城県、青森県、山形県の仕事が多かったです。

大震災で東北が被災して、被災支援プロジェクトのコンサル仕事も受注しましたが、巨大なお金が流れ込み、大手コンサルファームやシンクタンクや人材派遣会社が我々の受注額の10倍どころか、100倍の単価で仕事を受注するようになりました。震災狂騒曲の始まりです。

発注側の行政も今まで我々と付き合いのあった人は外れて、東京から復興支援員としてやって来て、役場に抱えられた自称コンサルが業務発注するようになり、4年位前には岩手県を除くと東北の仕事がほとんどなくなっていまいました。

さて、ピンチです。その頃までも九州は農業地域でもあるので東北に次いで仕事を受注している地域でした。仕事で関連のある方々もそれなりにいます。それでその人脈を生かして九州開拓にシフトし始めました。

九州だけではなく、全国に目を向けましたが、九州が反応してくれました。2年前から宮崎県で大きな仕事をさせてもらっています。それを受注した時にそのセミナーに参加してくれるように20年前頃から5〜6年やっていた中小企業人吉校の商品開発セミナーの受講者社長達の会社を訪ねました。社長達は突然の私の訪問にびっくりすると共に暖かく向かい入れてくれました。

また10数年前の私の講演を聞いたと言う人達も私を覚えていてくれて積極的に応援してくれました。そう言う九州の風土・人情のおかげで九州シフトが徐々に進み始めました。

大震災の次の日、東京への帰りの飛行機で被災した私は福岡の実家に向かいました。次の日の西日本新聞は大々的に報じていました。同じ第一面ではありましたが、遠慮目に九州新幹線開通の記事を掲載していました。被災しなかった九州が今最も農産物でも注目の地域になりました。「九州産」がブランドとなり、引っ張りだこです。

お前が福岡県出身なので九州シフトに成功したのでは?のご意見に対しては、もしそうなら自分が九州出身であることに大感謝です。
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2019年12月26日

つくる側に見合った買う側の能力育成も大事

世の中にはスーパーマンがいるもので、仕事も趣味もスーパーマンといった人がいます。私も最近、空手に趣味の世界を見出していますが、レベルとしては初心者レベルの域からなかなか上達しません。

仕事で著名な人が趣味でも一芸に秀でているというのはやはり地才能、地能力が違うのだろうと感心します。我々の周辺は仕事と趣味が一体です。2つは集中できません。食と農の世界を切り拓いてきた食品加工のお母さん達も趣味と実益でこの世界にいます。

この農産加工の世界はもとはといえば自給自足のみそ、漬け物、家庭内保存食料の製造から始まっています。歴史は多分、人類の食料調達が狩猟から農耕になり、備蓄、保存の営みが始まった頃から始まっています。

かって私がこの世界に入った四半世紀前からすでに農家のお母さんの加工品づくりは既に農村では日常の営みでした。しかし、これを販売しようというのはその頃から始まりました。それまでは都会に住む兄弟家族にただで送ってあげていました。

その頃の農産加工品は一般的に大食品メーカーに劣るものという位置付けでした。当時の品質ランクづけは大食品メーカーが最上位、続いてローカル食品メーカーそして農家の農産加工品はランク入りもしていませんでした。

時代が変わったのはというよりも現在激しい流れで怒涛のように流れが変わっています。大食品メーカーが大量販店の軍門に下って価格の安いものばかりつくるので品質が落ちてきた。次にコンビニの台頭で日持ちするそうざいが蔓延したために食品添加物まみれ食品になってしまった。

製造法も食品メーカーもそうざいベンダーも大量製造をするために機械化、無人工場になってしまい、調理の匠の技が繁栄しなくなった。しかも、原料も海外のとにかく安い原料が主流になりました。

大企業のオウンゴール、死の行進、自滅により、農家のお母さんのつくる農産加工品が引っ張りだこになっています。今頃になってスーパーが地域産品と言い出しました。もう遅い。君たちは死の行進から逃れられないのだよ。

よく地域農産加工品のアワードが開催されています。審査員は量販店や百貨店やコンビニのバイヤーばかりです。こういった商品が評価できない人ばかりが審査員です。

審査員は農産加工品をよく買い、よく食べている人にしなければならないです。私は一般社団法人の中にそういった人材を入れたいのです。つくる側に見合った買う側の能力も必要なのです。

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2019年12月25日

この時期、加工の農家のお母さんは忙しい

年末は加工をやっている農家のお母さんは忙しいです。どうしてか?お正月食品の製造販売に追いまくられています。一番忙しいのはお餅つきです。コメの消費が落ちていると言っても昔ほどの需要はないにしろお餅の需要はこの時期一気に頂点に達します。

実家が農家の人はこの時期になると実家から送って来ます。しかし、最近は実家も年老いた高齢者なのでお餅つきをするどころか、近くのスーパーで買うしかありません。とは言っても田舎に住んでいるとお餅をつく人が分けてくれたりしてまだつきたてお餅が手に入ります。

都会の高齢者はスーパーから無菌充填のお餅を買うしかありません。こういった都会の消費者のお餅需要がお母さんの手づくりお餅に向かいます。原料は自家生産のもち米ですが、製造は杵と臼でついてとはいかないでしょう。そういう農家もいますが、むしろイベント向けです。大方は機械つきですが、それでも原料がいいのとつきたてなので美味しいです。

この餅を買う人と餅をついて売る人の結びつきはどうやって生まれるでしょう?昔は実家ですが、その線が切れています。都会の生活者はどうやって農家のお母さんのお餅を知るのでしょう?餅をついているお母さん達が宣伝広告するはずもありません。

ほとんどがクチコミと評判でしょう。しかも知人、友人からのその世界が徐々に広がっています。そうやって農家の加工のお母さんは売り上げを伸ばして行きます。

地域の道の駅や農産物直売所に並べるとあっという間に売り切れます。都会の人は宅急便で購入します。宅急便の価格が上昇しています。しかも、買う人が私のように一人暮らしや二人暮らしでは買う量も知れています。

買い過ぎても食べ切れない。宅急便のサイズと胃袋のサイズが合っていない。それなら餅と一緒にほかのお正月食材も入れましょうということになります。これは都会の生活者にとっては大変助かります。

もう1つは食べる量が少ないので、なるべく長い期間食べられるように、消費期限を伸ばす方法です。要冷蔵、要冷凍の他、ホットパック等の加工技術を駆使します。無菌充填パックは装置が価格が高くて農家が導入するには難があります。餅販売が1年稼働する餅類製造業者でなければ導入できません。また、保存料などはご法度です。

ふるさとがあるから、幼い頃の記憶があるから、まだ餅を田舎から買おうとする需要があります。やがて無菌充填餅世代が大方になると餅はスーパーで買うものになります。そうしてまずい餅を食べ、やがてお正月の餅の消費習慣は消滅して行きます。
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2019年12月24日

時がしんしんと過ぎて行く

12月というのは我々の世界は意外に夜はスケジュールが空いているものなのです。世の中が忘年会シーズンなので、仕事関係者も自分の組織、会社や自分のコミュニティとの懇親が多いためです。

銀座エクエレントローカルも忘年会需要でおつかいただき感謝の限りもありません。忘年会だとほとんど都内の方ばかりなので、私の地方の仕事関係者はいないので私もお店に行くのが減っています。

お店は忙しくて嬉しいですが、これも忘年会という特別需要、お店のスタッフもこれにのぼせ上がらずに謙虚に、平常心で運営できるか?が来年のご愛顧につながります。

さて、そういったことなので12月は東京にいる夜が自分のものになります。通常なら羽田空港に着いた時間、あるいはイローカルの接客が終わった時間に自分の部屋に入られます。

まず、いつもはシャワーなのが、時間があるのでお風呂に入れます。この時間が一番蘇生します。体があったまって汗が噴き出すまでずっと湯船に浸かっています。その間にご飯を炊いています。鍋でご飯を炊くのがすっかり上手になりました。

通便をよくするために玄米と白米半々を食べていますが、実に大腸の調子がよいです。それにお歳暮で頂いた魚の塩干(ひもの)を会社から失敬して来ておかずにするのがささやかで豪華なメインディッシュです。

それに常備してあるわかめかもずくを酢の物でたっぷり食べます。わかめ雑炊やわかめ雑炊にすることも多いです。晩酌はノンアルビールです。2缶と決めています。それ以上飲むと酔っ払うから????

それから本を読もうとしますが、れいらんが乗っかってくるので遊んでいると眠くなってくるのでねいらんを一緒におやすみです。明日がれいらんの5回目の誕生日です。クリスマスに生まれました。

最初の誕生日の時は小さなケーキを買って来て2人でお祝いしました。さて明日はどうするか?時がしんしんと過ぎて行きます。
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2019年12月23日

小さくて、細かい行動を大切に

朝は私だけが早朝出勤です。まず日課のブログを書いて、そのあと、空手筋トレをやるか?トイレ掃除や事務所内の掃除をするか?両方の時間があれば両方しますが、ちょっと時間がタイトな時はどっちを選択するか?迷います。

自分のことを考えれば空手稽古と筋トレですが、会社のことを思うと掃除です。掃除を優先します。

最近、おかげさまで来年度の仕事の構想を練って、その企画書を作成する仕事が年末まで入っています。嬉しいですよね。これで来年も消滅せずに生き延びることができるかも。

同時に12月はお歳暮を贈ったり、年賀状書きがあります。人と会うのが仕事の私のところには未整理の名刺が束になってあります。その都度、整理していますがそれでも束になっています。

まず、お歳暮リストを整理しなければなりません。4種類くらいの贈るものを決めておいて、贈る人一人一人に何を贈るかを決めます。次はタイミングです。土日がよいか?土日はノーか?です。昨年や一昨年とダブらないようにも配慮しなければなりません。そしてそれを手書きデータ文書化して発注します。

年賀状は代表を下りた時から減らしています。よく考えると印刷賀状はもらっても2週間後には内閣府の得意な?シュレッダー行きです。枚数を減らして手書きにしようと決心しました。枚数は250名程度。300枚買って、残りの50枚はいただいたものへの返信用に確保です。

一般的に年賀状は印刷で一方的なこっちの近況報告です。でもよく考えるとそれをもらって相手はどう思うか?そうか元気で何よりだなと思ってくれる人は一握りでしょう。

賀状の狭いスペースで相手とのコミュニケーションができないか?こっちの近況報告ではなく、相手の近況を尋ねる、あるいは相手の近況に気を配る。そんなことができるときっと読んでくれるかも?

しかし、それをやっているとこの年末に追われている時期に膨大な時間を費やします。来年の売り上げに直結している企画書を書くか?積年の友人知人とのコミュニケーションを優先すべきか?色々考えます。

将来、残された時間と寿命が少なくなっている自分の中では後者を優先すべきではないかという結論に達しました。仕事も欲しいけど、今、生かしてくれている方々への感謝の方が大事でしょう。
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2019年12月22日

農業ファンドについての考え、あくまでも個人の

いつの時代を世を滅ぼすのは若者ではなく、年寄りです。若者で会社や組織が潰れた話は聞いたことがありません。歳を取れば取るほど人間は自己正当化して、生への執着が増してきます。

戦争末期、若者を特攻させ、大切な命を無駄にしたのも帝国陸海軍の年寄り高級幹部です。その一人が極東裁判で1票差で絞首刑から免れ、終身刑になった時に、「生きていられる」と喜んだそうです。そしてこの恥知らずは92歳まで生きたそうで、世の中とは皮肉なものです。

私は2〜3日前に廃止が閣議決定された農水ファンドの社外取締役です。7年前に設立されたこのファンドの役員に1年半(任期は1期2年なのでまだ1期もやっていませんが)に就任しました。経営が厳しいのでそのサポートとコンプラをしっかりやって欲しいというのが農水省からの就任の期待でした。

半年前からいろんなメディアが報じていました。論調はすべからく「廃止しろ」でした。閣議決定も廃止でした。その間、これについては私はブログにも書かなかったし、対外コメントを控えています。これからもしません。まだ、多くのスタッフが働いている現在、何かをしゃべれば誰かを傷つける、個人中傷になる、そんな状況の中でのコメントはできません。退任して1年くらい経てば話すかも知れません。

でも実際は月1回の取締役会では私のような社外取締役4名から相当に具体的な改革案を提示してきました。また、会社のスタッフも若手ほど、この会社をよくしようといろんな提案や進言をしています。しかし、結果は報道の通りになりました。

うまく行かなかったのは我々の社外取締役も含めた専従経営者からスタッフ全員の問題です。どこが良くなかったか?、どこは受け入れられたか?その検証をしっかりして、次の世代へ農業ファンドをあり方を提案できるかがポイントです。そうしないとこの7年間に無駄にした国民の税金に申し訳ありません。

私の個人的な意見ですが、農業が世に存在する意味が多様化しています。もとは自給自足の食料調達から始まります。その後、権力者の富のシンボルとしての時代も長かったです。

これからの農業はもうすぐ100億人を超える地球人口の胃袋を支える産業として大きな比重を占めます。一方で我が国のように農業人口激減の国では農業が低効率、低所得の産業からの脱皮が必要です。

また、ライフスタイルが多様化しています。農業をやること自体が人生の喜びだという人も増えています。また農薬を使用しない、化石燃料を使用しない環境保全型農業をしたいという人も増えています。

6次産業化は農業生産ー食品加工ー販売を農家が1人3役することを新しビジネスモデルに認定し、支援することです。いわば、6次化は既存産業の組み合わせ(足し算、掛け算)が前提でしたが、これからの既存産業のどこにも入らない新しい農林漁業ビジネスモデルが出現した場合、どうやって育成・支援するのでしょう?

そこにこれからの農業ファンドの出動の機会があると思います。補助金や担保付き融資だけに頼る既存の資金調達から、積極的な他人資本の導入という手法が本当に作動するのはこれからのような気がします。
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2019年12月21日

就職超氷河期の世代が大活躍している

平成9〜10年頃の話です。会社をクビになってその傷も少しずつ治り始めた頃、その事件をでっち上げたその会社の社内総会屋が逮捕された頃です。起業して3〜4年、中小企業診断士で何とか食べられるようになっていました。私の年齢は42〜43歳です。

6畳程度のスペースのワンルームマンションを事務所で借りていました。その巨大マンションはJR津田沼駅前にあり、地下フロアは飲食店街になっていました。私も少し余裕が出て来てそのお酒飲むところに出没するようになっていました。

周辺は大学が多いので、女子学生のバイトが多かったです。ある日、博多弁で喋ったら、同じ言葉で返した娘がいて、出身はと聞くと熊本。津田沼駅のあっち側の千葉工大工業デザイン科の学生というので、早速ナンパしてうちの会社のロゴを作ってくれと頼んだら、しばらくして立派なのが出てきました。このロゴは当社が全国区になるまで15年間くらい使いました。それからホームページを作ったりで彼女のお世話になりました。

その彼女は外国志向で3年生からアメリカの大学に編入して、日本を去りました。うちの会社のデザインをやる人がいないのでアメリカに行く前に後継学生を紹介してくれと言ったら、ひょっこり現れたのが野口です。現在の今の当社の社長です。大学の出席番号が隣だと言っていました。当社が現在あるのはその女子学生美穂ちゃんのおかげといえばおかげです。

それから20年の月日が経ちました。今週、当社関係の人を通して、若い女子と会食しました。英米文学部を出て、英語を活かす職業に就こうとしたが、夢叶わず、今は郷里で全く畑違いの仕事に就いて2年目になるそうです。

夢は「アメリカ、海外で就職して仕事をしたい」です。それで先達の美穂ちゃんが思い浮かんだので、クラスメートの野口経由でメッセンジャーただ電話で30分程度話しました。

日本を出て、アメリカの大学を卒業して、グラフィックデザイナーの仕事を10年して、結婚・出産したら、子供を預かってくれる保育園がないので、自分で立ち上げたら、現在、ブリックインで、その保育園は40名近いスタッフのいる保育園に成長して、彼女が社長だそうです。

日本のアメリカの大学院に入学したい話をしたら、2つ返事で「喜んで。私にできることならなんでもします」でした。「在米の日本人の数は減っていますが、女子にとっては日本よりもアメリカの方が働きやすいです。お薦めします」とも言っていました。

野口も美穂ちゃんも就職が超氷河期の卒業です。美穂ちゃんはアメリカに新天地を求め、野口は当社の社長。偏差値では決して一流ではない千葉工大から人材が輩出しています。新しい業界に果敢に挑んだからでしょうか。ただし、その苦境を乗り越えた人だけが成功しています。
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2019年12月20日

行動する時は自分が動く、必ず遊び、余裕を持たせる

仕事で全国飛び回っていますが、移動の飛行機や新幹線では考える時間が結構あります。最近は1、行動する時は対象物の正面に立って行う、2、歩く時は体をぶらさないでまっすぐ歩くです。

私は姿勢が悪い上に、手先が不器用です。なぜ、不器用か?例えば机に座って、何かを取ろうとすると、それを座ったまま行うと手を伸ばして、体をよじらせて行います。だから、不器用です。

ちゃんと100点満点でやろうと思えば、自分の体を手を伸ばそうとしている対象物まで持って行って、正面に立って行うといとも簡単にやれます。相手をこっちに手繰り寄せるのではなく、こっちが相手の前に行く。ごく当たり前のことですがこれを行なっていません。

次はどうして歩く時に体をぶらさないで、頭を動かさないでまっすぐ歩けないか?歩く時は足を前に左右交互に出しながら歩きます。その時に前に出した方の足に体の重心が行きます。左足を出せば、体は左に動きます。

体をぶらさないのにはどうしたらよいか?例えば、左足を前に出す場合、その左足の膝を抜く、そして左足側の腰・尻で体を支えれば体はまっすぐブレずに前に進みます。右足が前に出る場合はその反対です。頭と足(かかと)の2極の一本の線がブレなければ体はぶれません。

そしてその歩きでとりあえず、行けるところまで行くことです。そうしていると少しずつぶれない歩行の距離が伸びます。少しずつ距離が伸びればそれで大進歩です。

ここに書いたことは人生にも通じる気がします。トラブルが起こらないようにするには自分がその対象物の前に立つ、真摯に向かい合う。まっすぐ行きたい時はあえて、最前線の足に遊び、余裕を持たせる。そしてまずは行けるところまで行く。

そんな精進を続けていると毎日が楽しくて、前向きに生きることができます。相手を恨まなくなります。
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2019年12月19日

子供は親の背中を見て育つ

最近、伊都菜彩に行くと「糸島ブーム」あやかり商品が増えてきました。特に加工品です。販売者はたいてい博多からの流れ者。とは失礼ですね、博多からの移住者です。糸島が商品に薄っぺらく付いています。私の記憶では「糸島ブーム」の始まりは11年前に伊都菜彩が出来てからです。糸島野菜とか、糸島産という言葉を使ったのも伊都菜彩が最初です。

それ以前は伊都菜彩の経営者であるJA糸島は個人販売には目もくれませんでした。系統出荷オンリーでした。このJA糸島が時代を先読みして、個人向けの農産物直売所を作ったのが伊都菜彩です。もっとも、その頃は全国には農産物直売所は相当できていたので先駆者ではありません。ブームを先取りしたという事でしょう。

伊都菜彩前夜は各地区で週一回程度の朝市、夕市が生産者主催で行われていました。志摩朝市、二丈の夕市です。それに行政補助金がついて、常設直売所ができ、始まりました。

二丈の夕市時代のスターだったのが、福吉水産の釘本家と二丈赤米産直センターの吉住家です。私が出身地糸島郡二丈町(現在の糸島市二丈地域)のこの2つのお家を必ず訪ねるのはそのせいです。

20年前の当時、精を出す夫婦をそばで子供達が手伝っていました。家族総出の販売でした。釘本さんは中学の先輩です。網元の家に生まれましたが親の借金を引き継いで奥さんと必死で返済していたのがその時期です。

吉住さんは私の3つ下の高校の後輩です。糸高始まって以来の秀才と言われた彼は当然東大を受験することになっていましたが、受験出願の2週間前にお兄さんが事故で急逝して、急遽跡継ぎを命じられ、九大農学部に行きます。早くから赤米に目を付け、赤米の我が国の先駆者です。最近大ブームのかんきつ「糸島はるか」も産業化したのは彼です。

2人とも子供が後継しています。釘本家は2年前、長男次男が太宰府に居酒屋を開店して、自分のところの魚を使って大繁盛しています。子供たちの奥さんも全員一緒にやっています。釘本さんは奥さんと娘さんと魚の加工をやっています。「鳥巣、俺はもう10人孫がおるぞ」と顔が崩れます。

吉住さんも子供3名全員が後継して、二丈赤米産直センターで働いています。「子供達の給料が大変で、我々は無給ばい」と笑います。この2家の子供たちは幼い頃から夕市会場が遊び場でした。親の背中を見ていたのでしょうか。

2家の子供達のほとんどが有名大学卒です。働き先は大企業がたくさんあったろうにと思います。しかし、全員、家業を継いだ。農漁業に無限の可能性があるのを教えたのはその親達です。

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2019年12月18日

仕事を探すよりも仕事を創る(高齢者起業)

昨日のブログが農産加工品の第2世代の話題でしたので、今日は農産加工で高齢起業する人の話です。昨日は長崎県佐世保市小佐々町楠泊の農水産物販売所「波の道」を訪ねました。9月にオープンしたばかりだそうです。それすら私は知りませんでした。

経営者の久保講平さんとは15年くらい前に商工会事業で知り合いました。当時は全国のいりこの生産の20〜30%を占めるJF九十九島の参事をしていました。60歳で定年して、地元で漁業者や農家のための販売所を立ち上げようとしました。

銀行借り入れだけではなく、投資のお金も使おうと当時設立されたばかりの農水省系のファンドの導入も考えました。そのために6次産業化認定にもチャレンジしましたが、その両方も実現化しないままになりました。

その時が久保さんは62歳くらいでした。それから6年。その間、久保さんの動向は気になっていましたが、当初の起業の目論見が上手く行かなかったので声をかけるのを遠慮していました。

11月に博多のイベントで現在のJF九十九島の専務にこれまた久々に会ったら、「久保さんが道の駅を立ち上げましたよ」と情報をくれたのですぐ電話して昨日会いに行きました。

お互い、目頭が熱くなりました。私よりも3歳年上で68歳の久保さんが元気に出迎えてくれました。この9月から自力で農水産物販売所「波の道」を立ち上げました。資金は日本政策金融公庫からの借り入れと自己資金です。

久保さんと奥様と弟さんの3名と2〜3名のパートで運営しています。前者の3名はいずれも60歳代です。毎日、睡眠時間を確保するのがやっとだそうです。午前5時過ぎには魚市場と野菜市場で仕入れて、それをさばいて、パックして店頭に並べます。

農産加工品もすべて食品添加物を使用しないで製造しています。そうざいや弁当も製造しています。その合間に売り上げ集計や出入金の集計等も必要です。レジは奥様が中心でやっています。現在、家族は久保さんご夫婦と90歳の車椅子のお母さんの3名です。

当日、これはレア中のレアと言われる真珠をつくるあこや貝の貝柱を食べさせてくれました。この1ヶ月間の真珠の収穫期だけしか食べらない貝柱です。生牡蠣も売っていました。小ぶりの九十九島の牡蠣も絶品でした。

60歳過ぎて高齢者になっても働こうとする人がいます。仕事を探すよりもこのように仕事を作ることです。来年の春頃、イローカル土曜日企画に九十九島を登場させます。

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2019年12月17日

農産加工食品第2世代の活躍

宮崎県食品加工センター主催の加工食品開発アドバイザー養成セミナーが始まりました。12名中11名が女子です。男子は1名だけです。

その男子が自己紹介で「長年、コックをやっていました。加工品が好きでまとめて仕込んで保存しておりましたが、ある期間が経つと腐敗したり、異味異臭がして食べられなくなります。

後輩に教えても同じことが起こり、質問を受けますが、答えられません。何故、日持ちしないのか?わかりません。保存材を入れれば可能でしょうが、それは嫌です」まさにこの自己紹介がこのセミナーの核心を突いています。

女子は主婦も多くいますが、野菜ソムリエのような食と農の活動をしている人もいます。その人達も農家現場の人達から規格外農産物を廃棄しないで、活用する方法はないものかと相談が来るそうです。

今回のセミナーは食品加工を目指す農家や料理人に加工食品を企画開発できる人材の養成がポイントです。当社のやっている仕事と同じ仕事のできる人を育成しなければなりません。

今まで農家のお母さんにずいぶん食品加工を教えて来ました。農家から多くの農産加工品が生まれています。今回は今までのセミナーだけでは教え足りないものがあります。それは何でしょう?

今までは商品を自分で売ろう、あるいは道の駅や農産物直売所で売ろうとする人向けセミナーでよかったですが、今回のセミナーは流通に乗せられる農産加工品を開発できる人です。

どこが違うか?食品メーカーの研究開発スタッフは開発した新商品の@工業レシピ表、A製品品質規格書、B検査規格書、C製造フロー図、D製造マニュアル書の5点セットを作成できないと真の研究開発員とは言えません。今回のセミナーではそこまでできるように養成します。

また、最近、子育て世代のママ達で特に子供に安全な食品を食べさせたいと思っている人達が、子供が学校に行くようになり、その時間が空くので子供達に食べさせたい加工品を製造したいという声もあります。

その人達が当社食品加工場で食品製造したい(働きたい)と言う人も出てきました。それならと小ロット製造で外販するしくみも考え始めました。いろんな人材が育つことで、その多様な人材の中で素晴らしい加工食品が生まれて行きます。農産加工食品第2世代の誕生です。
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2019年12月16日

商品開発ではなく、商品創造と表現

会社は存続する限り永遠に人材の育成が必要です。今日から宮崎県で5回シリーズで食品加工のできる人材の事業が始まります。当社が受注しています。メイン講師は当社の若手商品開発担当の伊藤洸が務めます。主催する宮崎県食品加工センターのトップも長年に亘り、食品加工のできる人材の育成を訴えて来た人です。

いかにして売るか?販路開拓が難しいという事がずっと叫ばれて来ました。出口理論、マーケットイン論議はされ尽くされました。需要が旺盛でかつ細分化してくる中でターゲット論議は確かに有効でした。

しかし、それが満たされた現在、出口は需要よりも創造を求めるようになりました。生活者は今の商品に飽き飽きしています。生活者の潜在的な欲求は何なのでしょうか?

既存の流通はその答えを持っていません。既存の食品メーカーも持っていません。既存の店頭や商品をいくら追いかけてもそこには答えはありません。むしろ売れないものの代表として反面教師としては意味がありますが。

もし、答えがあるとしたら、生活者が既存のものに飽き足らずに自分や大切な人のために、自分で作っているもの、あるいは自分が欲しいと思っているものでしょう。

しかし、ここまでは誰でも書けます。それを商品というリアル、モノに表現できるか?それがポイントです。この人材の育成を図らない限り、食産業に明日はありません。その育成ができないのでどこも苦境に陥っています。

今日からのセミナーはその人材の育成のためのものです。コンセプト、概念で描いたものをリアルにするには食品加工技術が必要です。機械がある。機械でできることなど生活者は必要としていません。機械でできないものをどう具現化するか?ポイントはそこです。

私はまさにそこを狙っています。世にその人材を育成するためには、ます当社自体にそれができる人材が必要です。そのためには多様な人材が必要になります。新入社員の採用しますが、合わせて今、野にいる人で食品を作ることがが大好きだという人の発掘と育成も行います。来年から大胆に人を起用していきます。
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2019年12月15日

自然の動きに自分を任せることができるか?

私はせっかちです。周りの人が呆れるくらいせっかちです。堪え性がありません。待つことができない。スピード感があるとも言えますが、身勝手であるとも言えます。

短距離走のスターターなどは得意です。笛がなるかならないかの時に飛び出していますから。フライングも多いです。忘れ物が多いのもそのせいです。何かをやっている時にはもう次のことを考えています。今が留守になります。それで忘れ物が多い。

最近、急いでも、急がなくても、ゆっくりでも目的地点に着く時間はほとんど変わらないのではないかと思うようになり始めています。何でそう思ったかわかりませんが、突然そう思うようになりました。

世の中はスピードを競っています。早い者、速い者が勝ちです。もちろん、「早い」と「速い」も違います。スピードが速いと仕事が早いは意味が違います。しかし、共通点もあります。

例えば、階段を下ります。その場合、落下速度に合わせて、落ちるように下りていく下り方と、上るのと同じように脚の筋肉を意識しながら下りていく下り方もあります。

どっちが速いか?明らかに落下に任せた方が速いです。ましてや脚の筋肉を意識して下りると意識した分、遅くなるのと筋肉を使うので体力を消耗します。

空手の突きもそうです。腕を上から下に攻撃する時は自然落下に任せた方が強くてスピードのある突きができます。意識した方が速く感じるのは余計な動きをしているからです。余計な動きをしていないとむしろ止まっているように見えます。

それを仕事に置き換えるとどうなるか?余計な意識が動きを鈍くしたり、ミスを引き出しています。むしろ、自走する自分の頭に任せた方が仕事もうまく行きます。失敗したらどうしようと思った瞬間、余計な力が入り、スピードが遅くなり、ミスも出ます。それを迷いと言うのでしょうか?

言志四録に「天地の回転に自分を合わせよ」と書いてあります。合わせると一瞬、止まっているようですが実はそれが一番速い、早い、かつ正確ということでしょう。宇宙の大きな摂理に身を任せることができるかどうか?幸せな人生を歩けるかどうかの分かれ目なのでしょう。

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2019年12月14日

人様へのお辞儀と会話

最近、自賛していることがあります。お辞儀(おじぎ)をするのが上手になったと自分でも思います。なぜなら、こっちがお辞儀をすると相手が無意識にお辞儀を返してくれます。ということは私のお辞儀が相手に受け入れられていると言うことです。

私のお辞儀は敬礼スタイルの深々と腰も頭も下げるものではなく、相手の眼を見たまま、腰を折るという空手で習ったスタイルです。人に会った時も別れる時も、客として訪問した時に部屋に入る時も、出る時もお辞儀をします。

お辞儀を大切にするようになったのはイローカルの土曜日企画でお店のホールに立つようになってからです。飲食業の接客をしているとちゃんとして当たり前、粗相をすると迅速に丁寧に謝らなければなりません。

お客様がこっちを向いて手を挙げたら飛んで行ってまず「すみません」です。それで言葉だけではない態度としてお辞儀の大切さを知りました。

もう1つ、これは人様に私が褒められることですが、「人の話を聞き出すのがうまい」という事です。自覚していませんが、そうだそうでそれを「鳥巣マジック」と言うそうです。

よくコツを聞かれますが、コツは相手が喋りたがっていることを読んで、少し先回りして、質問することです。そうすると相手は無意識にそれについて喋ります。会話に一筋の道筋ができると相手はそのレールの上を一心不乱に喋り始めます。あとはその道筋を遮断しないこと、ヨレそうになったら再び相手が喋りたがっているところに戻る。

相手が喋りたくないことを聞かざるを得ない時はどうするか?喋りたくないことは相手にとってはハンディであり、汚点であり、コンプレックスであることが多いです。

質問する時にそのマイナスがプラスとして、喋れるような聞き方をすればいいのです。ハンディの中でどうやって乗り越えて今があるか、話がハッピーエンド、サクセスエンドで終わるように道筋を立ててあげれば相手は喋ります。

もう1つは聞く側のこっちのコンプレックス、汚点を晒すことです。すると相手は不思議の自分の過去をすらすら喋ります。
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2019年12月13日

冬は急ぎ足でやって来て店じまいを急き立てる

冬は急ぎ足でやって来て、今年を早く、店じまいさせ、春の扉を開かせようと急き立てます。まだまだ今年やらなきゃいけないことが山ほどありますが、何をノロノロしているの、早くしなさいと追い立てられます。

この年齢になって、急ぎ足になるということは死への行進を急いでいるだけです。あと、何回お正月を迎えることができるのか?父が亡くなったのは確か、4〜5年頃前だったかな?指で数えてみると7年前、87歳で亡くなり、存命なら今年95歳です。ということは8年が経過しています。もう8年。何で仏教に法事があるかわかりました。故人の死を忘れないためです。

自分のことも忘れています。来年で66歳です。マルイチになってもう5年が経つということです。れいらんとの同居も5年目に入ります。会社の同期会が62歳から始まりました。今年で4年目になります。少しずつ参加者も減って来ます。来年1月の開催はイローカルを使ってくれます。

人間というのは不思議と関心のあることは最近のことのように覚えています。関心のないことはその逆です。遠い昔のようです。記憶とは月日の経過ではなく、関心の高さ、思い出の深さで距離が決まります。思い出深いことは昨日のように覚えています。

私の部屋には私が起業して、開業して数年後から、常に仕事の時に携帯している手帳とノートを全部保管しています。膨大な冊数です。100冊ではききません。年間ノート・手帳合わせて7〜8冊程度なので、書き始めて20年近くなのでおよそが計算できます。

整理しようとは思いません。膨大過ぎて。私が亡くなった後、だれか物好きがいて、手に取ってくれたら、「鳥巣研二研究」の第一級資料にはなります。すべて私がシャーペンで書いています。

そんなことはどうでもよいのですが、今年も店じまいのための活動に入りました。お歳暮、年賀状等。来年のページはどうなるのか?わかりません。私の目の前には今月、来年1月、2月、3月までのカレンダーが開いています。少しずつ春が訪れて温かくなります。

あそこに行きたいな、あの人に会いたいな、あれをやりたいなと胸を膨らませながら、大晦日への着地は静かに進んで行きます。
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2019年12月12日

歳を取るとあっちこっちに損傷が起こる

空手の筋トレのせいか、左膝が痛くなり、昨日は相当に痛かったです。慌てて膝サポーターを買って来て着用しています。6〜7年前に右膝を損傷して、その時は3カ月松葉杖でした。今回は筋トレのやり過ぎによるものです。

昨夜暑いお風呂と早々と温かい布団に入ったら今朝はずいぶんよくなりました。昨夜までの冷雨が今朝は止んでおり、気温が上がったのと、気圧が上がった恩恵かも知れません。

膝が悪くなると歩かなくなるので太り始めます。そうなるとさらに歩くのがしんどくなって肥満へまっしぐらですが避けられそうです。膝を治すにはダイエットが一番です。膝の負担を軽減するから。

布団といえば今朝気づきましたが、シーツが2ヶ所破けて穴が空いていました????れいらんの引っ掻き穴です。最近は寒いので布団の近くに電気ストーブをつけて夜も暖を取っていますが、それでれいらんはいつも私の布団で寝ています。そのせいですね。年末までにはシーツを変えないと。

話を戻し、今年は体のかゆみ、湿疹がひどいです。外傷はありませんが、痒いです。老人性乾皮症でしょうか?11月から例年始まります。知人からココナツオイルをいただき、全身に塗っていますが、大改善です。

薬は2種類飲んでいます。心房細動の薬で血液サラサラと心拍数安定の薬です。前者は最新の薬なので高価で1ヶ月半分で1万円くらいします。飲み忘れが怖いですが、最近はその恐怖症を脱するために1日2回の複数回誤飲服用がさらなる恐怖です。

次の診察日は来週の今日なのに、ピルケースを見ると4日分しかありません。4日分、複数回誤飲服用していることになります。私は薬は2種類ですが、6〜7種類飲んでいる人を見かけます。複数回誤飲服用するとその影響たるや相当でしょう。それこそ寿命を左右します。

歳を取ると薬に頼る部分がまったくないという訳には行きませんが、基本は手づくり料理生活、なるべく断酒、適度な運動、体重の維持が最高の健康法ですね。
posted by tk at 07:33| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする