2017年06月05日

人間と野獣の種を跨いだ共生とは

昨日は吉祥寺のビストロエピスにやって来ました。

赤ワインを飲みながら、前菜の盛り合わせはレバパテ、ぶりのリエット、鶏と高菜のガランティン、生ハム3種、メインはハンティングテンダーハリアート(はらみのさがりのうす切りステーキ)、トリッパ、デザートはオーナーの黒島さんのふるさと石垣島のパイナップルでした(写真上左・右、下左・右)。

一緒に行ったのは大阪のジビエ活動家井上不二子さんです。彼女から野生とはジビエとはいろんな素晴らしい話を聞けました。

人間は野獣(鹿やいのしし)との共生をいう。しかし、共生とは種が同じ、例えば人間同士に当てはまる言葉であり、種をまたいだ共生とはそんな生易しいものではない。

野獣を殺生してはいけない、愛護すべきだというのは野獣を擬人化している。

野獣の解体をする時、腹を割くと食べたばかりのどんぐりが入っていたりする。まさに食べて生きようとしている野獣と今、腹を割かれて食べられようとしている野獣は同一なのである。

同様人間も同じである。昔は死ぬと人間は土葬されていた。それを野獣が食い漁るのが普通であった。あるいは古文書にはお母さんの隣に寝ている赤ちゃんに狼が侵入して持ち去り、その鳴き声がだんだん遠退き、やがて聞こえなくなる。そんな話も書かれている。

野獣が人間に撃たれなければ天寿を全うできるというのは人間の頭で思うことである。野獣の半分が生まれてから1歳までに死んでいる。野生で生きることは死と背中合わせである。

死因はほとんどが餓死である。あるいは崖から落ちて死ぬ事故死もある。

鹿・いのししの天敵は古来から人間なのである。宮廷も幕府も人間の最高の趣味は鹿狩り、鷹狩りで、ハイカルチャーの営みだった。それが今の歴史のなかでは抹殺されている。

日本のジビエの季節はクリスマスディナーの鹿肉といのししのぼたん鍋である。両方とも冬の料理である。

しかし、野獣の害は夏や豊作の秋である。本当はその時に野獣をハンティングしなければいけないのに高く売れないから猟師は撃たない。

このミスマッチの獣害を深刻なものにしている。夏、秋のジビエ料理の開発はメニュー(献立)と一緒にジビエを届けなければ意味がないのに、行政主導ではそれはできない。

多くの政治家が獣害の対策でジビエ加工場を地域に作ろうと言っているのはそれが票になるからだけの話である。

井上さんは聖心出身の敬虔なクリスチャンです。
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posted by tk at 07:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする