2018年04月19日

継続は力であるが、成長したか?

昨日ブログを投稿しようとしたら画面が変わっており、初めてから相当の年数が経っているのに画面リニューアルは初めてです。ちょっと戸惑いながら送信したらなんと昨日の記事数で4,177です。

最初は2006年(平成18年)11月3日から始まっています。4日は投稿していなくて5日から再開して12年間毎日欠かさずに投稿しています。当時はフェイスブックがなかったせいか、順位も1000〜2000位台をうろちょろしていましたが、最近文字が多いブログは敬遠されるせいか、順位が上がり500〜600位にあります。

一昨日久しぶりにある人から連絡があり、彼とは何年ぶりかなと調べました。私は鳥巣スケジュール表という1年間のスケジュールが瞬時にわかる手書きのものを使っています。

このスケジュール表も長くていつ頃から始めたか?調べてみると2001年9月1日です。現在は年度通しで4月〜翌3月のものを使っていますが。最初は7ヶ月分のもので始めたんですね。

あの人といつ会ったかやあの日はどこでどの仕事をしていたかを思い出すことができます。非常に便利です。

その日の行動をブログを遡って読むと当時がよみがえります。その時にブログに写真を貼付しているとさらにリアルです。

そういえば携帯・スマホで写真を撮ってデータで保管するようになったのはいつか?調べてみたら2004年(平成16年)6月頃からで毎日撮影して保存するようになったのは2007年(平成19年)6月頃からです。

この間にいろんな人と出会い、別れ、今も付き合っている人がいます。また、喧嘩別れして再会仲直りした人もいます。

また、成長して立派な人間になった人もいれば、堕落していった人もいます。人様はどうでもよいですね。自分がどうか?知人・友人は自分を映す鏡です。墓に入るまで永遠とこの作業は続きます。
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2018年04月18日

網地島のわかめの収穫から製造・加工まで

1泊2日のスケジュールで宮城県石巻市の汲竄ワきを訪問しました。目的は南三陸網地島わかめの製造、加工を学ぶためです。

社長の佐々木さんは62歳です。元々はいろんな職業に就きましたが電気設備の設計や製造の下請け仕事をしていました。その後、運送業を開始して特に生け簀に入れたまま活きた魚を築地等に運ぶ特殊輸送をしていました。

なまこの輸送でトラックごとに関釜フェリーに乗り込み、韓国を北上して北朝鮮国境まで運んでいたこともあるそうです。

実家が漁師だったので大震災が起こるちょっと前の9〜10年前から養殖わかめを始めました。当初4,000万円くらいの投資をして始めたのにすぐ大震災が起こり、絶望の淵に立ったそうです。そのわかめも順調なビジネスに成長しています。

そのわかめの一連の生産製造について教えてもらいました。10月下旬〜11月に漁業権を持つ網地島の海域で種付けをします。

2〜5月が収穫時期です。今は最盛期です(写真上左)。午前6時に収穫船を漁場に出船します。毎日2回午前6時15分〜45分が第1収穫、一旦わかめを港に持ち帰り、水揚げして、午前7時半〜8時まで再び収穫して午後8時半に2回目の水揚げをします(写真写真右)。1航海5tなので2度行って約10tの水揚げです。

そのうちわかめが7t、めかぶが1t、残りの2tは食べられないごみと言われる部分です。

水揚げしたわかめはごみとめかぶ(わかめの根株)とわかめに分ける作業に入ります。

そしてわかめはすぐに海から汲み上げた海水でボイルします(写真中左)。そして海水冷却、洗浄します。それの塩揉み工程に入ります(写真中右)。それを脱水します。ここまでは水揚げした港(浜)で行います。

それを会社の加工作業場に持ち込んで芯抜き、整形(写真下)、最終脱水、箱詰めをして冷凍庫に保管します。

これが一連のわかめの生産から製造までの流れです。
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2018年04月17日

漁業・漁師が生き残るには

昨日から宮城県石巻市に来ております。10数年ぶりにやって来ました。以前、来たときは中小企業大学校の中小企業診断士養成コースの生徒とともに1週間くらい宿泊して商業診断を行いました。

まず、驚いたのは仙台から石巻までは仙石線で行っていましたが、現在は東北仙石ラインというルートが開通しています。これだと仙台・石巻間を1時間以内で運行しています。東北大震災後の復興の一環で行われたもののようです。

石巻市内では「元気市場」を訪ねました。これも復興の一環です。街中にある魚の小売商業施設です。

金華鯖ブランドに力を入れているようです。また、他地域の小売市場に比べて鮮魚の比率が低く、すぐ食べられる加工品の比率が多いのも流れに沿っており、よいことです(写真上左・右)。

次は石巻港にある公設鮮魚市場を訪ねました。これも大震災で跡形もなくなり、復興で建設されています。大きさは東洋一だそうです。

そこに隣接する仲卸業の潟_イスイを訪問しました。ここでは魚の鮮度と味を保持するために神経〆(じめ)を行っています(写真中左・右)。

全国の料理店から注文が来て、宅配便で送っています。顧客単価は1回の送付で3〜5万円です。今の時期はさくらます、あんこう、天然鯛等が多いようです。

こうやって見ていくと一般小売は大衆魚をそのまま食べられる加工品が増えており、鮮魚販売は高級魚を料理店にダイレクト販売する営業形態が成功しています。

宿は民宿「後山荘」でした。ここの料理は感激の一言です。建物は大震災の復興資金で建て替えられました。元は浜の漁師・網元だったそうですが、現在は民宿というサービス業に転換して見事に生き残っています(写真下左・右)。

それに比べて復興資金で巨大な水産・加工施設を建設したところはたいていが経営難に陥っています。それはそうですね。震災で販路を失っているのに従来通りの流通向けの巨大施設をつくっても無駄です。新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れないとね。
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2018年04月16日

自分が買うか?魅力を感じるか?

新商品企画・開発をしているといろんなことを決めなければなりません。その時の決め手は何か?

それは1つだけ。自分がお金を出してそれを買うかどうか?だけです。自問自答してみましょう。自分が買うか買わないか?

そのためには自分の関心のない商品開発を命じられたときは辛いです。ですから就職も仕事も商品企画や開発に携わるのであれば関心のあるもの・サービスを提供している会社に就職するのが一番よいです。

私はうん十年ぶりに新ビジネスで商品開発と企画を進めています。それは食関連と非食関連分野のものです。食品は基本的は自分の欲しいもの、こんな商品があったらい思うものを開発します。

例えば、私は独り暮らしで自炊志向なので自炊が無駄なく、短時間にできてしかも食品添加物フリーなら買います。

たぶん、私と同じような食品があればいいなと思っている人は他にもいるでしょうからその人たちがターゲットということになります。

非食品はヘルス商品とビューティ商品を考えています。ヘルスは私も関心があり、空手もやっているのでそれなりの考えがあるのでそれに基づいて進めます。

困るのはビューティ商品。男は化粧品はわかりません。試作品ができたら「これを買うか、買わないか」と聞いて本音を言ってくれる親しい女子達に聞きます。そしてその意見を取り入れるかどうかは開発技術者と相談します。

化粧品のような自分が門外漢の商品を開発する時は原料や製法にこれを待ち望んでいる人たちに訴える特長・魅力・価値(それを判断するのは自分だけど)があるかどうか?とその商品を待ち望んでいる人の心を捉えるストーリーを書ける商品かどうか?で発売するかどうかを決めます。自分でストーリーの書けない商品は発売を止めた方がよいですね。
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2018年04月15日

20歳代で就職、40歳で起業、60歳代で第2起業。

私のつきあいの人の職業、年齢は多彩です。職業は食と農に限らずあらゆる関連分野に亘ります。共通点はみんな何らかのアイデンティティを持っている人ばかりです。その人を紹介する時に一言でその人を言い表せる特徴を持っています。

つきあいの年齢も20歳代〜80歳代に亘ります。祖父母から孫世代と70歳の幅があります。会社にインターンシップに来ている友菜は21歳。昨日、私が極秘で開発依頼している難易度Aの商品の技術開発に成功したと連絡をくれたのは86歳の技術者。

この人たちと年に最低でも会ったり、会食します。楽しく飲みます。これだけの年齢幅の人たちが人たちに付き会ってもらっている私は果報者です。

サラリーマンで会社関係の付き合いだと20歳位から定年延長になったといっても60歳頃まで。いれる年数はせいぜい40年です。100歳時代になると70年は群れの中にいなければなりません。

70年ー40年=30年のこの30年の幅が大きいです。人生60歳から人生100歳になった現在、30〜40年間をどう過ごすかが大テーマです。

当然、独りでは生きていけません。人間というよりも動物は群れているから生存できます。死ぬまで群れのなかにいれるか、自分でその群れをつくれるか?まさに問われています。

創業者は凄いです。なぜなら群れをつくったから。その群れのなかにいる人間の生存場所をつくったからです(いわゆるマーケティング用語のドメインという会社の生存領域ではなく)。

しかし、現在の企業で生存できるのは40年です。70年生存できる居場所をつくれるか?退職後の悠々自適の生活。そんなものはどこにもありません。

70年同じところで生存していると若い人に煙たがられます。姥捨て山に行けとね。また、実際は定年があるのでいられません。そのためには生存する場所を年齢に合わせて2ヶ所つくればよいです。そのためには1ヶ所目の生存場所に長くいないことです。30歳〜40歳で2ヶ所目を起業することです。1ヶ所目のアーリーリタイアメント(早期引退)が鍵です。

生存場所が3ヶ所に亘ってもよいです。私が目指しているのはこれです。20歳代で就職、40歳で起業。60歳代で第2起業。

そうすれば若者に限らず、あらゆる世代が応援してくれます。まさにシルバー起業の時代がやって来ました。
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2018年04月14日

最近、外食店の料理をヘビーに感じるのは?

当然なことですが、東京にいる時はお客様との夜の会食はイーローカルに行くことが多いです。

3,500円のコース料理しかないのでそれを食べますが、週に3〜4回位行く時は正直言うと飽きます。毎日同じものを食べていると致し方ありません。

もちろん、コース料理の中身は毎日代えていますが、大きな組み立ては大体同じです。今年当たりから少し仕入れ先のバラエティを拡げた方がよいのではないかと思っています。

もちろん、この意見はお店のスタッフに伝わっているのでその方向で動いています。

イーローカルを経営するようになって東京にいる時、他のレストランに行く頻度も回数も減りました。それでもたまには私のお気に入りのお店に行きます。

最近、そのお気に入りのお店の料理が重く感じられるようになってきました。ヘビー、グリーシー。胃がもたれて翌朝、胃と大腸のマッサージをして布団から出ることが増えました。

なぜか?年齢のせいか?いろいろ考えましたが、自分の胃や大腸がイーローカルの身体に優しい料理に馴れてしまったからではないかと思います。一般外食店の料理の濃さ、味付けに胃と大腸がついて行けなくなっています

これはイーローカルのよい点です。食材を産地から直接、調達して調味料も食品添加物を極力使用していないエクセレントローカルのものばかりを使っています。

料理人も特殊な技術を持った人がやっているのではなく、普通の料理法で普通に作っています。

この時期はお昼の賄いは私が作ります。私はコンビニや弁当チェーンの弁当は食べません。基本的には内食派で普段は外食はしません。自分で作って食べます。料理がうまいとは思いませんが、みんなで机を囲んで食べます。

加工食品も使います。当社が開発支援したドレッシングはよく使うし、今週は特産館から沖縄そばや熊本ラーメンといった地域の味のものをつくって食べるとみんな喜びます。
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2018年04月13日

各県の銀座特産品館の存在意義

この時期は事務所にいることが多いです。スタッフも出張が少なく、事務所にいます。お昼は賄いをつくれる時はつくります。

昨日は沖縄県物産公社のわしたショップで沖縄そばの材料を買って来て沖縄そばをつくりました。スープと麺はもちろん、トッピングも買ってきます。中味(内蔵・ホルモン)、チキアゲ(さつまあげ)、ソーキ(あばら肉)はわしたショップに行かないと売っていません(写真左)。

午後はあるメーカーがかんきつを欲しがっており、その商談の前さばきで熊本県東京事務所にうかがいました。1階は銀座熊本館です。ここではアベックラーメン(とんこつ味)を買ってきました(写真右)。翌日の賄いのためです。

銀座は各県の特産品館のメッカです。20年位前からアンテナショップとして始まりましたが、今はアンテナの名前は消えました。

銀座と日本橋三越がある日本橋と銀座の隣の新橋に集中していますが。圧倒的に銀座にあります。

地方には道の駅と農産物直売所が百花繚乱ですが、大半は赤字です。箱(建物)が均一でかつ中味(売る物)が貧相、揃わない。

銀座の特産館もたいていが赤字なのでは?採算が取れているのは北海道、沖縄県、鹿児島県くらいかな?

昨日行ったわしたショップ、銀座熊本館でも売れているのは地元沖縄県、熊本県で人気のあるものです。自分にとっての思い出話のストーリーのあるもの。例えば、幼き日の思い出、新婚旅行の思い出。

地方自治体が多額の契約で起用したコンサル、デザイナーは東京向けの商品やパッケージデザインを地元メーカーに押し付けて来ます。そして失敗します。

お客様は特産品を買う時は商品の信頼と思い出と食べたことのある経験とその地域そのものにお金を払っています。それが悲しいかな東京向けに開発された特産品にはありません。所詮、真似、コピー、まがい品の域を出ません。

人気の商品は沖縄だったら沖縄そば、サーターアンダーギー、チンスコー、熊本だったらアベックラーメン、赤酒。まだいっぱいあるのでしょうが私が知らないだけでしょうが。お客様はそんなものを求めています。
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2018年04月12日

糸島は農業人材の宝庫

昨日はJA全中(全国農業協同組合中央会)の馬場参事がイローカルにやって来ました。私の糸島高校の5年後輩です。

今、全国的に糸島ブームですがそれは最近のことで糸島と言えば農業・農村です。農業に関する人材は豊富です。日本一を誇る農産物直売所伊都菜彩はJA糸島の組織でその立ち上げから経営までしているのは小金丸肇さんです。

我が国の赤米の現場実践者の第一人者で最近はかんきつ糸島はるかで絶好調の吉住公洋さんも糸島在住です。

それに活躍はしていませんが私も糸島出身です。上記の50〜60歳代の4名は糸島高校出身です。

糸島高校は旧制糸島中学でもあります。中小企業飲料業界の雄九星飲料工業創業者仲原志平氏も旧制糸島中出身で糸島高校の同窓会長で尽力されました。

伊都物語で有名な糸島みるくぷらんとも現、旧糸島郡の酪農家が設立した乳業会社です。

糸島出身ではないですが農業学者で作家の宇根豊氏も糸島に住んでいます。

昨夜はたまたま私の親友の大手冷凍食品会社社長もやってきて、馬場参事を紹介したら、国内農産物が逼迫しているのに、つくる人がいない現実をどうするかの話になりました。

外国産農産物が敬遠されるので国内生産になっていますが実際生産しているのは外国人研修生ばかり。

産地は日本ですが生産者は外国人。これを国内生産物と呼んでよいのか?このままいけば近い将来、再び農産物は輸入品が主という時代になります。

大手企業の経営者や経済団体の幹部が声高に農業の時代だと叫んでいます。企業が農業に参入するのでもっと農地規制を緩めろと言っています。この人達はほんの3〜4前まで農産物市場は国際競争に任せて自由化しろと言っていた人たちです。

敗戦前夜、若者を特攻で死なせて、自分達は戦後のしかも平成頃まで何食わぬ顔でのうのうと生きた旧帝国軍人の顔とダブってきます。
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2018年04月11日

2代目鈴木三郎助を研究しよう

味の素食の文化センターに定年継続雇用で勤務している同期の男にメールして「まだいるの?」と聞いたら「いるよ。どうしたの?」と聞くので「味の素の創業者2代目鈴木三郎助について調べたくなったので、文献等がそこには揃っていそうなので」「いっぱいあるよ。おいで。帰りに一杯やろう」

私はあらゆるところでしゃべっているし、書いていますが、私は味の素社員でしたが騙し討ちの卑怯な手で会社を解雇されました。それで味の素のことはよく言いません。確かに当時の経営者達は社長と称する男を代表に無能でした。

しかし、最近思うのはなぜ自分は味の素を志望したのだろう?です。答えは1つ。我が国で唯一食のベンチャー企業から世界的な大企業になったからです。

チンドン屋の格好をして、我が国の広告、プロモーションの祖とも言える積極的な販売促進活動を行った味の素創始者の2代目鈴木三郎助や戦前戦後まもなくからすでに海外進出を行い、現地法人化の先駆者でもあった味の素4代目社長道面豊信に憧れていたからです。

それを忘れていました。今、もう一度2代目鈴木三郎助の活動の原点を学ぶタイミングになったのではないかと思っています。

39歳までそれこそ味の素の社員でした。それから現在のキースタッフを起業しました。2年前に代表を下りました。

私は今、64歳にして第3起業のスタートに立っています。自分社会人スタートの原点となったこの偉大なる起業家の研究をすることを忘れていました。

早速古典となっている書物を買って読み始めましたが面白い(写真)。2代目三郎助についてもっと知りたいと思うようになりました。味の素はどうでもよいですが、2代目鈴木三郎助は実に魅力的です。
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2018年04月10日

尊敬できるのは仕事に打ち込んでいる人

人間は情緒的な動物です。自分で自分のことを俺は天才だと自信過剰になったり、俺はどうしようもないバカだと絶望したりします。

そこにあるのは現実・事実だけなのですがそれに気を取られて勝手に昂ったり、落ち込んだりしています。

「俺はついている」と思って気持ちをコントロールするやり方もありますが、それもその逆が出た場合のコントロールが大変です。

一喜一憂しないというのが一番よい生き方です。

そんな生き方をするためには「自分が打ち込めるもの」を持つことです。無我夢中になれる、一心不乱になれる。そんなものを持てば幸せです。

もっと平たくいうと「それをやっていることが楽しくてしょうがない」ものを人生において持てるかどうかでしょう。

いろんな人がいます。尊敬できる人の共通点は自分が好きで決めた仕事や目標に膨大な時間も心も注入している人です。

「何とかバカ」が付く人は間違いなく素晴らしい人です。日々の活動・行動がうまく行こうが行くまいが人の責任にしない。常に自分に対してどうしたらうまく行くのだろう?次はこうしてみようと問いかけている人。そしてそれを自分なりに工夫して行動する人。

そんな人にしか女神は微笑みません。もちろん、本人は女神に微笑んでもらおうとは思っていません。ある段階に行くとさらに次の段階を目指すからです。

私が尊敬する農産加工をやっているお母さん達もみんなそう。自分が納得できるか。毎日そう思ってつくっています。売れるか売れないか2の次でよいのです。

自分の人生を振り返る時に一番そういう生き方をしていたのは40歳から50歳前半頃です。

その時期に私はどんな生活をしていたのかほとんど記憶にありません。そのくらい今の仕事の食と農の理論体系づくりに集中していました。

帰りの車中が記憶にないくらい、この食と農の現象をどう捉えたらよいのだろ?どうしたら自分の肚に落ちるだろうと考え続けていました。

今は?気が抜けましたか?とんでもない。今は今で墓場まで持っていくライフジョブに集中しています。
posted by tk at 08:04| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする