2021年10月16日

顧客のためは本心は自分のため

奈良県月ヶ瀬に仕事で行って、お昼の時間になりました。過疎地域なのでお昼を食べるところがありません。そこで県(府)境をまたいで京都府の道の駅に行きました。

温(ぬる)くて、おいしくなくて、価格ばかり高いうどんにがっかりし、挽回しようと物販コーナーで大福を買いました。裏を見たら我が国最大手のパンメーカーの商品でした。2度がっかりでした。

大手食品メーカーが地域の顔をして商品を道の駅で売ってはいけません。例えば、清涼飲料業界には中小企業が主に製造しているラムネ、シャンメリー等6アイテムは大企業は発売しないという不文律があります。

食品メーカーにはそういったお互いを尊重し合う暗黙のルールはありませんが、あんまり露骨でがっかりしました。正直、「ここまで堕ちたか〇〇パン」と思いました。

マーケティングの世界で我が物顔でのさばっている言葉に「消費者のため」というのがあります。あの演歌歌手が「お客様は神様です」と言ったのを履き違えて、あるいは都合よく解釈して使うメーカーや流通がいます。

ある地方県で会社を大きく育て、大企業幹部も海外企業も学びに来る会社の会長さんが次のように言っています。「暖簾を掛けて手作りされている個人店。同じ事を3軒から言われたら実行。某・大手パン屋さん、コンビニさん、何回言われても対応しない事があります。なぜなら要望が個店さんのように顧客の意見でなく、大量生産、大量販売という自分達の事情による要望だからです。」(ママ) 

まったく、至言です。大手企業は消費者のためではなく、自分の会社の都合のために納入業者や原料業者に無理強いしています。本当に消費者(生活者)・お客様のためならそれは社会的観点からも経営観点から見ても実行するべきです。自らが一時痛みを感じても。それを弱い者に押し付けるのはクズのやることです。

昨日は2つ素晴らしい商品に出会いました。「すっぴん梅 塩分0の梅ピュレ」原料は梅のみです。一切食品添加物を使用していません。それで賞味期限は1年です。なぜ?ここがこの会社のノウハウです。

もう1つは「烏梅(うばい)」です。紅花で赤く染める時の媒染財です。赤がきれいに染まり、かつ定着し、色落ちしない機能があります。明治時代は近隣集落を含めると400の業者がいたのが、今は化学染料と安価な酢に取って代わられ、製造しているのは訪問した会社だけす。

2つとも中小企業分野商品です。この2社の凄さをつぶさに見ました。でもうまく行きそうになるとまた大手が参入するのでしょう、大企業は情けなや、自分で考えろ。
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2021年10月15日

過疎地域集落は廃れ続けている

奈良県旧月ヶ瀬村に行きました。正式には奈良県奈良市月ヶ瀬です。梅の郷や月ヶ瀬温泉といったフレーズが多く見かけられるので梅と温泉の郷と頭に入ります。実際に訪問すると山村の産業が今でも生きている素晴らしい地域です。

法律で言うとこの月ヶ瀬地域は山村振興法が適用される「振興山村」です。中山間地域さらに山村に向かっている私にとっては願ってもない地域です。当社がここで5回のセミナーを実施し、特にこの地域の特産農産・林産物である梅、お茶、しいたけ等を使ったドレッシング実習も行います。

初めて訪問して「月ヶ瀬梅の資料館」に入ったらびっくり。まず、奈良晒(さらし)と呼ばれる織物の産地の紹介があります。これは私の勝手な想像ですが、古墳時代に貴族が来ている貫頭衣はこの麻の晒ではないか?を連想させます。明日香で見たまこもだけも古代は大麻と並ぶ大事な繊維として使われていたようです。

現在は奈良晒(さらし)保存会が活動して月1回の勉強会で原料の「青苧(あおそ)」と呼ばれる大麻を紡いで繊維にするところから始まります。この作業は「苧積み」といい、手作業ですが、この出来不出来が仕上がりに大きく影響するそうです。

また、梅の産地で烏梅(うばい)があります。これは紅花染めに欠かせない発光剤だそうです。明治時代になるとその役目に安価な酢が使われる様になり急激に廃れて行きます。しかし、1軒だけまだその烏梅を製造しているところがあります。

資料館に入ると販売コーナーがあります。奈良晒(さらし)は反物で一巻10万円の価格でした。それでも技術と人件費を考えると相当に安い気がします。

食品は梅干し、梅シロップ、お茶、しいたけ煮パック等が売られています。全国産地で売られている商品形態ですが、びっくりするのはその原料の梅やしいたけのグレードが高いのと価格が安いことです。東京だとこの3倍の価格で販売されています。

20年ほど前に小泉改革といって規制緩和・新自由主義の美名のもとに郵便局や農協潰しが始まりました。その後もアベノミクス等経済政策が打ち出されますが、この20年日本はずっと不況です。負け続けです。それ以前のバブル時代までの高度成長の蓄えで何とか持って来ましたがその貯金も底をつきました。いい思いをしたのは規制緩和された利権を独り占めにした一味だけです。

20年経ち、小泉改革の負が過疎の地域集落及び、山村や中山間地域を破壊しています。地域の農林資源である魅力的な農産・林産物も耕作する人がいません。このまま行けば完全に廃れます。地域集落にこういった産業を維持して発展させて地域に経済的な恩恵をもたらすような組織が必要です。
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2021年10月14日

身の丈にあった年金プラス農業

ここ2日間の2軒の明日香村農業訪問で共通したのは生産者の2人に共通したのはJA出身であるということです。そしてさらなる共通点はJA定年退職後に農業をしているのとJAが主要作物にしている作物を生産していないことそしてJAに出荷していないことです。

JAは一般的にはかって米の統制経済を行っていた食糧庁の実行部隊でもありました。それから我が国が豊かになるにつれて農家→農協(JA)→市場→小売業(スーパー)・食品メーカー・外食店→生活者(消費者)の流れの大きな一翼を担っていました。

米がダブつき始めたのと裏腹に果樹・園芸作物(野菜)の需要が伸びてきました。その産地形成を担ったのもJAです。玉ねぎなどは北海道、淡路、長崎等季節で産地を変えながら年間供給できる産地分業が機能して安定した品質と価格での供給を可能にしました。

その後、トマトといちごの時代がやってきます。サラダ需要が伸びるとともにトマトの需要が増えました。また、クリスマスケーキから生食といちごの人気が高まりました。

新規就農でもこの2つの作物は全国的に振興されました。新規就農したトマト農家と昨夜、話しました。新規就農して8年になります。伸びたのはトマトを栽培する自分の腕(技術)、一方下落したのはトマトの販売単価。それにハウスで使用する重油代、肥料代、苗代は毎年上昇。販売単価が下落するので生産数量を増やしてもトータルの売上高は下落、経費は上昇、差し引き経営の悪化。

追い詰められている農家の自死も近くで2軒あったとのこと。自分は子供がいないのとアパート暮らしで住宅ローンがないので何とかその日暮らして生きていられるけど、教育費のかさむ年齢の子供がいる家庭はやりくり不可能。

それでもトマトといちごの栽培振興、産地振興、品種開発合戦は続く。その果ては何が待っているのか恐ろしくなる。この県のJAもついにトマト栽培での新規就農者育成を止めたそうです。

たくさん量が増えれば販売単価は下落します。ハウスのローンを抱えた中途半端な規模の農家は採算が合いません。人のことは言えません。当社も1年前まで銀座で外食店を経営していました。どんなに頑張っても高額家賃を回収する売上高にはならないことを知らされました。自前の土地と店舗だったら採算は取れますが。

自分の身の丈にあった農業経営とは?販売単価が下落しない作物とは?競争の少ない作物とは?自分と奥さんの2人が年金プラスで暮らせる農業経営とは?先祖代々の狭い農地を生かせる農業とは?中山間地域と山村地域にその答えがあるような気がします。

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2021年10月13日

平地の農業はロボットが中山間地域は人間が

昨日は明日香村の「奥明日香」と呼ばれる山間地域に入りました。ここのところ中山間地域と呼ばれる山村地域や里山地域を訪問しているのは農水省の中山間地域所得確保推進事業を受託して行っているからです。

明日香村の市街地から奥明日香に向かう途中に「稲渕棚田」という景観のよい地域があります。面積は約20町部くらいあります。ここはオーナー制度を行っており、年会費1口4万円で80組がオーナーになっています。1区画100u単位で穫れなかった場合の収穫補償は30kgだそうです。年間4回NPO法人が栽培・収穫指導を行っています。
ここにも耕作放棄田があります。山の上の方は灌漑、治水が天水に頼らざるを得ないのでオーナー制度でも人気がなく、廃田となっています。こういった廃田を無くすために国は中山間地域直接支払い制度を設け、所有農家に1反歩21,000円の支払いをしています。それでも耕作放棄田が増えているのが実情です。

さらに山に進み、奥明日香に入りました。壬申の乱で後の天武天皇と持統天皇が大友皇子との戦いの難を逃れて吉野・熊野に逃げた古道が今でもあります。この道を通っていると鹿が2匹あどけない表情で道にいました。我々を見てすぐ逃げましたが。

奥明日香地域の棚田はすでに廃田になっています。そこに新しい作物でマコモダケを栽培している農家があります。害獣ネットが棚田区画4面に張られています。このマコモダケと一昨日訪ねた新生姜が当社が行っている明日香村中山村地域所得確保推進事業の対象作物になっています。

現在はマコモダケを栽培している農家は10軒程度あります。米と同じ時期に水田に株を植えて今が収穫期です。収穫期間が2週間程度で米と同じで短いです。米は乾燥して備蓄できますが、マコモダケは生を調理して食することが多く、この時期限定の食材です。

しかし、健康機能からも注目されており、粉末、液体にして健康食品で販売する加工も増えています。昨日見学したのは元水田です。水は張ってありますが、雑草も多く生えています。そんな環境でも育ちます。もちろん農薬と肥料は必要としません。中山間地域農家の所得確保にもってこいの作物です。

私も10年以上前から栽培農家からの情報を聞いていましたが、あまり関心がありませんでした。今年、これを焼肉店に持ち込んで野菜を焼くのと同じように焼いて食べたらその食感とクセのない味に魅了されました。これはおいしい。食物繊維も豊富でダイエットにも最適。

日本の農業政策は矛盾もたくさんあります。平場(平地)はスマート農業がもてはやされ、ドローンでの農薬散布等IT化が進んでいます。農家もマニュアル通りに管理すれば農産物もできます。農家は単なるオペレーターです。これが進むと農家はロボットでまかなえます。人間は要らなくなります。

中山間の狭い土地ではITで農業はできません。人間がやる農業です。まず何を栽培するか?から長年の技術と最新の知恵が必要です。機械も狭い農地には入りません。人力による農業です。

私は平地の農業はロボットがやり、中山間地域の農業は人間がやる農業と思います。


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2021年10月12日

狭い農地を生かして少量多品種栽培

東日本大震災が来る10年前頃までよく東北に行っていました。東北農家の栽培品目は圧倒的に米でした。土地改良事業で農地の集約が進み1枚1町歩、3町歩といった九州の農家出身の私には信じられない面積の田んぼが作られていました。

また、生産者の集約は進み、1農家(あるいは1農業法人)で30町歩、50町歩耕している農家もいました。しかし、現在、米の価格が暴落しています。彼らは飯は食えているのだろうか?飯を作っている人が飯が食えない。そんな事にならないで欲しい。

私自身は狭い農地に春夏秋冬の作物を植えて多品種の作物を人力で栽培している農家に関心があります。農産物をマスで管理するのではなく、1個1個を子供を育てるように育てていく。そんな農業です。

昨日は奈良県明日香村の中山間地域の農家を訪問しました。浅山さんは77歳の農家です。奥様と一緒に農業をしています。昨日、見せていただいた3反歩の畑に15〜16種類の野菜が植えてあります。大根、にんじん、かぶ、水菜、白菜、玉ねぎ、かぼちゃ、さつまいも、カリフラワー、海老芋、しょうが等です。

年間にすると輪作障害を避けるために、この3倍のアイテム数の野菜を生産している事になります。昨日の私の目的は新生姜(しょうが)でした。畑では虫類が元気にはって、動き回っています。肥料は有機質肥料を使用し、特に牛糞の堆肥を使います。

牛糞はみみずが繁殖します。そのご馳走を狙ってもぐらがやって来ます。もぐらが通り道を作ってくれるので、もぐら道には今度はねずみがやって来ます。畑は見事なまでのイノシシ対策の電気柵で囲ってあります。しかし、イノシシはしょうがはさつまいもやかぼちゃの穀類は好きですが、しょうがは食べないそうです。そして最大のごちそうはみみずです。みみずを食べに畑にやって来る。

しょうがは5月に定植して、今の10〜11月に収穫します。そのまま出荷するのが「新生姜」でこの時期だけの販売、一般的にスーパーでよく見るしょうがはそれを保管して販売するいわゆる「土生姜(つちしょうが)」と呼ばれるものです。

現在77歳の浅山さんは勤め人の頃は兼業農家でしたが、定年後奥様と一緒に専業になりました。今の畑の土を作るのに10数年がかかったといいます。しょうが赤土によく育つそうで明日香ではそれこそ飛鳥時代から栽培されていました。装飾壁画で有名な高松塚古墳も発見されたのはしょうが畑です。

農産物の売り先は100%「道の駅飛鳥」です。昔は地域農協がありましたが今はJA奈良県で1つになってしまいました。農協の根幹業務である営農事業が失われてしまった。「今のJAは営農といえば栽培技術だと思っている、農協の営農とは農家の生産増大と合わせて販売先開拓である」

小泉政権で郵便局とJAが槍玉に上がり、破壊されました。同時に田舎地域の生活インフラも破壊されました。もう一度、農村地域、田舎地域に昔、農協と郵便局がやっていた機能を作る必要があります。
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2021年10月11日

ここにも凄い達人がいた

私が人様に送るかんきつは二丈赤米産直センターの糸島はるか、三重県紀宝町ハギ農園のマイヤーレモン、長崎県平戸市の善果園の平戸夏香、鹿児島県屋久島の白川茶園のたんかん、ぽんかんです。

それぞれ収穫時期が短く、希少性も高いのでそれが採れる時期を覚えておいて送ります。希少性が高くなっているのは人気が出ているためもありますが、現実は栽培者の高齢化と収穫要員の減少のためです。

ではスーパーの目玉、特売温州みかんは送らないか?送りません。生産者ー農協ー卸市場ースーパーの販売経路が出来上がっており、JA規格の大玉で、しみ一つないぴかぴかかつ適度の甘いみかんが「特撰ふくおかみかん」、「特撰くまもとみかん」と書かれて売られています。

その類のものを私が贈ると私も失笑を買います。鳥巣研二も落ちぶれたものだと。鳥巣研二だから「贈る何かがない」と送りません。

村上浮子さんは熊本県熊本市河内町のみかん農家です。河内みかんと言えば名の知れた産地です。当然、村上家もみかん農家です。しかし、面白いのはご主人のみかん畑と浮(うき)子さんのみかん畑は別々です。

仲が悪くてそうなったのではありません。みかん栽培に対する考え方が違うので畑を分けてお互い干渉しない栽培をしています。ご主人の慣行栽培に対してうき子さんはうき子栽培法を行っています。

うき子さんは私よりも少し年上なのでお嫁に来てからみかん栽培歴は半世紀は立っているはずです。いつ頃からご主人栽培法と分かれてうき子栽培法になったのか知りません。

私がこのみかんを人様に贈るようになったのは昨年からです。いただいたものが箱の中全てそばかす美人だったのでB級品を贈ってくれたのか?うき子さんをよく知る知人に聞いてみたら「いや、すべてがそばかす美人です」とのこと。

食べるとすぐわかりました。酸味が違う、酸味が美味です。それから農産物のわかっている知人たちに送るようになりました。わかっていない人に送ると「こんなB級品を送って来て」と言われるので。

うき子さんはクレバーです。箱に入っているメッセージは3項目です。「栽培方法」、「私の食べ方紹介」、「生産者」です。これにはコンサルの端くれである私も参りました。この3つが食べる人が一番知りたいことなので。

特に栽培方法は素敵です。「みかんの樹には蜘蛛の巣があり(ダニを食べてくれる)、圃場を草切すると数えきれないほどの赤とんぼが飛んでくる(虫を食べてくれる)また、草払後、イノシシがミミズを食べに畑を耕してくれる(ミミズを食べてくれる)自然のサイクルで、特別の栽培をしています」
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2021年10月10日

中山間・山村の農業が範になる日

中山間地域や山村地域はスーパーでは買えない特産食料資源があり、魅力的です。しかし、それを栽培したり、収穫する人がいません。いるのは老人ばかりです。

いくら老人が元気でも斜面のきつい、耕作機の入らない田畑の耕作は不可能です。また、山に入って森林資源を採集するのも害獣等の跋扈を考えると不可能です。

「いるのは老人だけ」と書くとこれは幼い頃、祖母に直接聞いた話ですが、第2次世界大戦で祖父を召集された祖母は農業ができなくなり、途方にくれて旧制中学に行っていた次男の叔父を中退させたいと担任のところに行きます。

先生は「学校には来なくてよいから中退はさせるな」言ってくれたそうで、叔父はちゃんと卒業して農林省の下っ端役人で定年まで勤めました。祖母はその先生にずっと感謝していました。

今の中山間地域、森林地域はまさにこの状態です。この状態が続くと邪(よこしま)な気を持つ企業や隣の国の投資家がやって来て中山間地域や森林を買い漁ります。報道されませんが、実際そうなりつつあります。

昔は農協がありました。統制下の米の需給のためにつくられたこの組織は戦後も村落の経済の核でした。金融も生活物資も食品(a-coop)も農協組織から供給、販売されました。農協も新自由主義とかで悪者扱いになり、ものすごいリストラ合併で地方を支える力をもがれてしまいました。

農村共同体を破壊したのは戦後復興から始まる「都市部の労働力の需要」です。高度成長で工業社会に変身する我が国の生産を担ったのは「地方の農家の次男・三男・四男・五男等」です。彼らがいなくなったので田植えも機械になりました。

気がつけば「国破れて山河あり」です。日本は世界の中の「既に用済み国」になりました。「棄国」になりました。我が国の経済苦境、世界への発信力、影響力のなさがそれを物語ってします。

江戸時代は反収2〜3俵(現在は8〜9俵)だったそうです。米は大変貴重な食糧で江戸でも中級武士は自宅の広さが100坪くらいあり、そこに生活用の野菜を植えていたそうです。地方の武士も農村に知行地を持っているのではやはり耕していたようです。農家とあまり変わらない生活だったようです。半農半侍。

上杉鷹山は名門上杉家に婿入りして、関ヶ原で敗れ、100万石以上の大藩が20万石以下の小藩に落されて生活に苦しむ武士や農民の窮状を見ます。それで織物や養蚕・機織り、特産品生産を奨励しました。失敗の連続でしたがやがて米沢藩はそれで潤うようになります。

中山間は山村は魅力的な資源の宝庫です。これを迷惑物で税金で廃棄するか?資源として活用するか?答えは1つです。SDGsもそこにあるような気がします。





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2021年10月09日

畑にいたのは芸術家だった

IpadのGoodNotesを使うようになってノートを持ち歩かなくてよくなりました。これも当社のこれの達人の若いスタッフに教えてもらったためです。それでも一発でできるようにはなりません。

農業も一発でできるようにはなりません。何度も何度も試行錯誤です。昨日知人のお母さんの農園に連れて行ってもらいました。お母さんは当年とって77歳です。我々がお母さんの畑に向かっているとちょうどスカイブルー系のおしゃれなワゴンが現れました、しかも新車で。

運転しているのがお母さんでした。毎年、新車を買い替えるそうです。プレートナンバーも自分の誕生日にしたり、記念日にしたりして楽しんでいるそうです。

朝から畑に出てお昼を食べに帰ります。お昼は同居している知人の奥さんがつくります。それから1時間ほど午睡して再び午後の労働です。日が暮れない時間に帰宅して、夕食を食べて午後7時には熟睡だそうです。

お母さんは2.5反歩ほどの畑を借りています。元々知人の家は農家ではなく、両親ともサラリーマンでした。お母さんは音響メーカーの組み立て工場で50歳まで働き、それから退職してから家の近くの農家から農地を借り、野菜の栽培を始めます。最初は7畝(0.7反)を借りました。

四半世紀以上前の話です。試行錯誤、見よう見まねで始めます。自信が着くと少しずつ農地を広げて行きます。一時は年間80種類の野菜をつくっていたそうです。それでも今でも30〜40種類の野菜を植えています。

趣味かというとそうでもなく、退職後の所得を得るために始めました。当初は知り合いや友人に上げましたが、役場のイベントで東京に行って販売しているうちに馴染みの購入者や飲食店ができ、その要望で作付けと品目を増やします。

5年前に道の駅ができ、最近は道の駅集中です。お母さんの多品種少量・季節重視生産がぴったりマッチして、常に農産物売上高の上位です。

今の時期だと畑にはイタリアンパセリ、赤唐辛子、紅大根、紫大根、綿等希少性と差別化野菜が植えられています。27年かけて身に付けた自分独自の栽培法、最小限の農薬で無化学肥料栽培をしています。

道の駅でお母さんの乾燥ポップ(とうもろこし)を買いました。黄色一色とレインボーコーン(7色とうもろこし)の2種類を販売しています。大ヒット商品です。私はスタッフに食べさせようと思い、売り場に並んでいたのを1袋だけ残して、残りを全部買って来ました。

とうもろこしを乾燥させて、1粒、1粒、身をほぐして袋詰めする作業も並大抵のものではありません。道の駅に並んでいる野菜も洗浄、均一裁断、包装・袋詰め、パッケージシール貼り等手のかかる仕事があります。そしてから道の駅に登場します。

この農業が私の理想です。そこにいたのは農民ではなく、アーチストでした。農業はアートだと言ったのルソーでしたっけ?
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2021年10月08日

不況の後に活況、そして大不況に

定宿にしている旅館があって、10月下旬にそこの近くで仕事があるので、10月1日(金)からの女将さんに旅館営業再開のお祝いも兼ねて宿泊4名の予約をしたら口を濁し、「あとで電話します」とのこと。

その後、私が不在の時にスタッフに電話で「その日は満員なのでご予約を受けられません」とのこと。私が電話した時も電話越しに何かやり取りしているのが聞こえたので不安に思っていましたが的中しました。

福岡県は独自で宿泊客に5,000円の還元をしていましたが、コロナが蔓延して中止していたのがこの10月14日(木)から再開するそうでそれを当て込んだ客が再開情報を聞いて予約しているようです。

ただし、客をどれだけクーポン対象で入れるかは旅館の裁量ですから、定宿に使う客や常連さん用の部屋は普通、別に最低1部屋は確保して置くのが接客業の基本です。

しかし、この旅館は全室をそのキャンペーンの対象として早い者勝ち予約を受けているようでそれでクーポンマニアの一見さんが殺到し、常連さんがはじき出されているという現象が起きています。このしくみを教えてくれたのはこの市の観光協会会長を務める私の友人です。

女将さんに電話したら「鳥巣さん、ごめんね。コロナが増え始めてお客様が来なくなった時も泊まり続けてくれたのは鳥巣さんだけだったのに、こんなことにしてしまって」と謝りました。女将さんは私の母親とあまり年齢が変わらなく、老母を苦しめるのもと気持ちよく引き下がりました。

女将ともめていたのは電話越しの声は若女将だったのです。厨房の調理長の嫁です。子育てが終わり、配膳係で手伝っていましたが、今は権限を完全に掌握しようとしています。どこにもある話なので受け流していました。ここの常連はみんな女将さんの人柄が好きで宿泊しています。これからどうなるのだろう?

雇用調整助成金が切れたのかどうかわからないですが、最近5名のホールスタッフが解雇されたようです。それでクーポンをフル活用してお客を増やそうとしている若女将の戦略が見え隠れします。コロナ以降、あるいはWITHコロナ経営は難しいです。

はじき出された我々4名は困ったか?観光協会会長の紹介で市街地のビジネスホテルにクーポン対象で泊まれるようになりました。そして会食も私の仕事に興味を持ち、接触してくる料理人の経営する人気居酒屋を予約しました。

今まで私も女将に気を遣い、この旅館に泊まり続けましたが、その枷が取れました。自由にどこでも泊まれるようになりました。結局得をしたのは私です。誰も傷つけないで離れることができた。

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2021年10月07日

功労者は毎日試食してくれた長男

昨日は宮崎県ひなたMBAフードビジネス部門人材育成プログラムチャレンジコースの第2回目でした。定員が20名で第1回目で20名を超えていましたがオンライン受講なので冷やかし、様子見もあるのだろうと思っていましたが昨日からリアルセミナーになりました。すると応募がまた増えて30名弱までなりました。

昨日のゲスト講師は川北製麺有田社長でした。「商品コンセプト・ブランディング構築」と題して1時間半内容の濃い講演をいただきました。この会社はグルテンフリーの麺を発売して、それが海外で火が点いて今も成長の好調の最中の会社です。

大阪出身で大阪で宮崎県の女性と知り合い、結婚して、その女性(奥様)の故郷串間市に戻り、家業の製麺所を手伝うようになりました。義父が社長でしたが、販売先は地元スーパーと飲食店。1袋20〜30円の麺(特に中華麺)を夜明け前から製造して、開店前のスーパーに納品。売っても売っても会社は赤字が続きます。

ある日、知り合いのお母さんから子供が小麦粉アレルギーで麺が食べられない、グルテンフリーの麺をつくって欲しいの依頼で米粉麺開発に着手しました。そこそこのものができてその母子には喜ばれました。

しかし、それを商品化して売ろうとすると買い手の評価は普通の麺に比べて「ぼそぼそして美味しくない」それなら小麦粉麺より美味しい、のどごしのよい麺をつくろうということでトライが始まります。

米粉麺は結構すぐできましたが、「美味しい米粉麺」の開発は思っていたよりも難しく2〜3年を要します。最初は試食につき合った従業員ももう試食疲れしたか、誰も食べなくなって来ました。

有田社長はそれでも試作して、毎日毎日試食します。誰に食べさせたか、長男です。長男はお父さんの試作した米粉麺は毎日、毎日食べ続けた。そしてある日、「お父さん今日のは違うよ」と言います。

そのレシピでつくったものを数年前から出展していたイベントで初登場させました。数名の臣下を引き連れた初老の紳士が偶然売り場で試食します。「米粉麺はぼそぼそしてうまくない」とつぶやきながら。その紳士が1口食べて「これはうまい、すぐ発注しなさい」

だれだかわからないまま去って行きました。しかし、首にかけた入場者名札が背中側に回っていたので見るとあの日本一の高級スーパーの社長だとわかりました。すぐ発注が来て「価格も量もお任せしますので納品してください」とのこと。

それからしばらくして別の話で輸出関連の話が来てこれも積極的に応じたら、香港の2週間のイベント分の数量を送ったらイベント開始から数時間後に「全部売り切れた。すぐ追加を送って欲しい」という電話。

快進撃は今も続いています。最後に私が「おたくのグルテンフリー麵の最大の功労者は誰でしょう?」と社長に問うたら社長はぽかんとしていました。

大手流通の社長でもない、輸出業者でもない。「親父の試作品を毎日毎日食べ続けてくれた長男ですよ」と言ったら社長の目が潤みました。その長男も高校3年生福岡で介護の仕事をするそうです。いずれの日かに戻ってくれたらいいですね、有田社長夫妻。
posted by tk at 07:36| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする